十一月十八日 月曜日 揺動
月曜日の朝は、身体が重い。
理由は単純で、また仕事が始まるからだ。
(……月曜か)
目覚ましの音を止めたまま、しばらく天井を見つめる。
頭では理解している。今日は月曜日で、会社に行かなければならない。
けれど――今までとは、どこか違った。
胸の奥が、落ち着かない。
嫌なざわつきではなく、むしろその逆。
(水曜日……)
まだ布団から出てもいないのに、その二文字が浮かぶ。
スマホを手に取るわけでもなく、ただ記憶をなぞるだけで、口元が緩みそうになる。
(……駄目だ駄目だ。仕事前から浮ついてどうする)
自分に言い聞かせるように、布団を蹴って起き上がる。
朝食を簡単に済ませ、顔を洗い、作業着に着替える。
いつもと同じ動作のはずなのに、動きがどこか軽い。
家を出て、自転車に跨がる。ペダルを踏み込むたび、頬を刺す冷たい空気が冬の気配を主張してくる。
寒さは相変わらずだが、世界が少しだけ違って見えた。
(……現金だな、俺)
そんなことを思いながら、仕事場へ向かう。
◇ ◆ ◇
仕事は、いつもと変わらず、図面の溶接仕様を確認し、溶接を行う。
火花が散り、金属が溶け、形を変えて固定されていく。
集中できていないわけじゃない。
ただ、頭の片隅に、常に小さな灯りがともっている感じだった。
消えはしないが、主張もせずに、そこにある。
(……浮かれてるな、俺)
自覚はある。
あるからこそ、姿勢を正し、意識的に仕事へ集中する。
浮ついた気持ちのままじゃ、危ない作業だ。
昼休みの食堂で、弁当を食べていると、向かいに人影が落ちた。
「伊原」
顔を上げると、信先輩だった。
「お疲れ。隣いいか?」
「どうぞ」
そう言って、信先輩は俺の向かいに腰を下ろした。
何気ない、いつもの昼休みの風景――のはずだった。
数口、黙々と食べ進めてから、信先輩がふっと笑う。
「なあ伊原」
「はい?」
「なんか、いいことあったか?」
箸が、ぴたりと止まる。
「……え?」
「いや、なんつーか……今日のお前、ちょっとふわふわしてる」
思わず、口元に手をやる。
「危なっかしいっていうか。仕事はちゃんとしてるけどな」
(……そんなに表にでてたかな?)
自分では、普段通りのつもりだったけれど、こういう人には隠せないらしい。
少し迷ってから、観念する。
「……実は」
声を落とし、土曜日の街コンのことを話す。
連絡先を交換できたこと。
水曜日に、食事に行くことになったこと。
一通り話し終えると、信先輩は一瞬きょとんとしたあと、勢いよく笑った。
「おお! それは――おめでとう!」
思わず、肩が跳ねる。
「いや、まだ何も――」
「いいんだよ。こういうのはな、始まる前から祝っていい」
信先輩はそう言って、俺の肩を軽く叩く。
「ちゃんと繋がったんだろ? それだけで十分だ」
胸の奥が、じんわり温かくなる。
「浮かれるのも無理ないわ。久しぶりだろ、そういうの」
「……まあ……」
(久しぶりどころか、初めてなんだけど……)
心の中でそう付け足しておく。
「ま、気をつけろよ。いいときほど足元が見えなくなるからな」
「肝に銘じます」
そう返すと、信先輩は満足そうに頷いた。
午後の仕事は、少しだけ軽かった。
気持ちの問題だと分かっていても、人間は単純だ。
◇ ◆ ◇
定時を迎え、帰宅し昨日、スーパーで買っておいた食材を使って焼きそばを作る。
フライパンを出し、野菜を切り、麺をほぐす。
油の跳ねる音、ソースの香り。
(……こういうのも悪くないな)
皿に盛って、一口食べる。
(……上出来だ)
自画自賛しつつ、箸が進む。
自然と、水曜日のことを考えていた。
(何を話そうか……どんな服で行こうか……)
浮かれている自分に、少し照れる。
そのときだった。
『――ニュース速報です』
テレビから、けたたましい音が鳴る。
画面下に流れる、赤いテロップ。
【各地で自爆テロ発生】
「……は?」
箸を持ったまま、固まる。
アナウンサーの声は妙に落ち着いている。
だが、その口から流れてくる言葉は、日常からかけ離れたものばかりだった。
『現在、複数の地域で同時に爆発が確認されており――』
画面が切り替わる。
見覚えのある駅前。商業施設の入り口。人通りの多い交差点。
いつもなら、何気なく通り過ぎるはずの場所が、今は警察車両と規制線で埋め尽くされていた。
『現場周辺は混乱しており、負傷者の数は――』
救急車の赤色灯が画面いっぱいに反射し、人々が肩を寄せ合うように避難している映像が映し出される。
泣いている人。
呆然と立ち尽くす人。
スマホを握りしめ、誰かと必死に連絡を取ろうとしている人。
遠くで聞こえるサイレンの音が、テレビ越しでもやけに生々しい。
『警察は、無差別的な自爆テロの可能性が高いとみて――』
その言葉を聞いた瞬間、背中を冷たいものが走った。
(……自爆……テロ……?)
フィクションや海外ニュースでしか聞いたことのない言葉が、今、自分の生活圏と重なっている。
ほんの少し前に水曜日の服装や、会話の内容を考えてたり、焼きそばの出来を気にしていた自分。
そのすぐ隣に、こんな現実が並んでいる。
「……とんでもないだろ……」
声に出して、ようやく実感が追いつく。
これは、ただの事件じゃない。俺が巻き込まれていても、おかしくなかった出来事だ。
テレビの向こう側と、こちら側の境界が、急に薄くなった気がした。
胸の奥が、ざわざわと落ち着かない。
さっきまでの浮ついた気持ちが、一気に現実へ引き戻されていく。
(水曜日……)
その言葉を思い浮かべた瞬間、
楽しみよりも先に、大丈夫なのか、という感情が湧き上がった。
照宮さんに連絡を――と思いかけて、指が止まる。
(……いや、まずは)
スマホを手に取り、掲示板を開く。
こういうとき、俺は一人で判断できない。
すぐに、レスがつくが、どれも、まっとうな意見だった。
(……だよな)
残念な気持ちは、正直ある。
でも、それ以上に、危険を冒す理由はない。
深呼吸して、照宮さんにメッセージを送る。
伊原 啓人
【水曜日の件ですがニュース見ました】
【今は状況が落ち着くまで、延期にしましょうか?】
少しして、返信が来る。
照宮 灯
【色々ありますが、心配しなくても大丈夫です。】
【予定通り、晩御飯にしましょう。】
画面を見つめる。
(……本当に?)
嬉しい反面、不安が拭えない。
掲示板にも報告し、フォローしておけというレスを見て、もう一度考える。
(……無理はさせたくないな)
指を動かす。
伊原 啓人
【無理はしなくていいですよ】
すぐに、返事が来た。
照宮 灯
【本当に大丈夫です。】
【水曜日、楽しみにしています。】
その一文を見た瞬間、胸のざわつきが、すっと引いた。
(……そっか)
照宮さんがそういうなら、いいんだろう。
掲示板にも報告し、スマホを置き、ベッドに横になる。
(色々あるけど……)
世界は不安定で、先のことなんて分からない。
それでも。
(水曜日がある)
そう思えるだけで、今日一日が報われた気がした。
目を閉じて、俺は、静かに眠りについた。




