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【完結】安価で俺の人生変わった件について。  作者: ドラドラ
安価で俺の人生変えたかっただけだった

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十一月十七日 日曜日 誘い

 目覚めたとき、部屋は妙に静かだった。


 いつもなら、スマホの目覚ましが、無遠慮な電子音で意識を引きずり上げてくる。

 休みの日は予定がなければ、目覚ましをかけていない。

 それでも体が覚えているせいで、八時前後には自然と目が覚める。


 ――今日は、それがない。


 薄く開けたカーテンの隙間から、白っぽい光が差し込んでいる。


(……明るいな)


 ぼんやりとそう思い、枕元に置いてあった時計に目をやった。


 ――十一時三十二分。


「……は?」


 声が、間抜けなほど低く漏れた。


 一瞬、脳が数字を理解するのを拒んだ。

 二度見して、三度見して、それでも表示は変わらない。


 昨日は、あれだけ気を張っていた。

 知らない場所、知らない空気、人の視線。

 精神的にも、体力的にも、間違いなく消耗していた。


 条件を並べてみれば、理由はちゃんと揃っている。

 それでも――


「……こんなに寝たの、いつぶりだ……」


 布団の中で、小さく呟く。


 身体が重いのに、不思議と嫌なだるさはない。

 むしろ、深いところまで沈んで、ようやく浮かび上がってきたような感覚だった。


 昨日の夜、服も着替えずにベッドに倒れ込んだことを思い出す。

 電気を消して、天井を見上げて、考えるのをやめて――

 気づいたら、意識は途切れていた。


(……いや、もう昼だけど)


 天井を見上げたまま、しばらくぼんやりとする。

 頭の奥が、まだ少し夢と現実の境目にある。


 ゆっくりと起き上がり、枕元に置いていたスマホを掴む。

 画面を点けると、通知のアイコンが浮かんでいた。


 心臓が、どくんと跳ねた。


 表示されている名前は――


「……照宮さん……」


 喉が、無意識に鳴る。


 深呼吸を一つしてから、画面をタップする。


 照宮 灯

【昨日はありがとうございました。伊原さんと、まだお話ししたいので、よろしければ、水曜日にお食事に行きませんか?】


 文字を、目で追う。


 一行ずつ。

 一言ずつ。


 読み終えた瞬間、頭の中が真っ白になった。


「……え……?」


 思考が、完全に止まる。


 いや、読めている。

 意味も、ちゃんと分かる。


 食事。水曜日。二人で。


 それなのに、現実に追いつかない。


(……誘われた? 俺が?)


 昨日、連絡先を交換したばかり。

 社交辞令の一言が来て、それで終わる可能性だって、正直、覚悟していた。


 それなのに。


 胸の奥が、一気に熱くなる。


「……やば……」


 慌てて、返信画面を開く。


 文章を考える余裕なんてない。

 下手なことを書いて、間を置いたと思われるのも怖い。


 勢いのまま、打ち込んだ。


 伊原 啓人

【すいません、今起きました】

【はい、水曜日大丈夫です】


 ――やってしまった。


(いや、起きたばっかりって言う必要あったか?)


 一瞬で後悔が押し寄せる。


(もっと落ち着いた文章にすればよかったんじゃないか。大人としてどうなんだ、この一文は)


 削除しようと思ったが、すぐに既読がついてしまった。


 画面を見つめたまま、固まっていると、すぐに、返信が届いた。


 照宮 灯

【ありがとうございます。水曜日、楽しみにしていますね。お店も、伊原さんにお任せして大丈夫でしょうか?】


 息を止めていたことに、ようやく気づく。

 胸の内側が、じんわりと温かくなった。


(……楽しみに、してるって……)


 その一言だけで、心臓の鼓動が一段階速くなる。


 また、勢いで返信する。


 伊原 啓人

【任せてください】

【俺も楽しみです】


 メッセージを送った瞬間、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。


「……はぁ……」


 天井を見つめながら、深く息を吐く。


 胸が、落ち着かない。

 嬉しいのに、同時に不安も湧いてくる。


(……店、どうしよう)


 冷静になると、一気に現実が押し寄せてきた。


 レストラン?

 それともおしゃれなイタリアンとかフレンチ?

 静かなところがいいのか、それとも程よく賑やかなほうがいいのか。


(俺のセンスで決めて、大丈夫なのか……?)


 自信なんて、あるわけがない。


 数秒悩んで、結論はすぐに出た。


(相談しよう)


 俺は起き上がり、スマホを握り直す。

 指が、自然とあの掲示板を開いていた。


 そして自然な流れで行く店を安価で決めることになった。


(……安価か……)


 正直、嫌な予感はしていた。

 だが、流れはもう止められない。


 安価を送信した直後、胸が少し軽くなる。


(……一人で悩むより、マシだ)


 どうせ、自分で考えても、ろくな答えは出ない。

 それなら、最初から投げたほうがいい。


 レスは、すぐに流れ始めた。


 結果が出るまでの数十秒、心臓が無駄にうるさい。


 ◇   ◆   ◇


 450:名前:名無しの使い魔

 居酒屋。


 451:名前:名無しの使い魔

 ラーメン屋


 ◇   ◆   ◇


「……よかった……」


 思わず、声が漏れる。


(ラーメン屋じゃなかった……)


 一つ間違えば、完全に詰んでいた。

 こいつら、本当に容赦がない。


 だが、安心したのも束の間、個室か半個室など、相手のペースに合わせることなどアドバイスをもらう。


(……めちゃくちゃ助かる……)


 文句を言いたくなる瞬間もあるが、こういうときだけは、本当に頼りになる。俺一人だったら、そこまで考えが回らなかった。


 スマホを片手に、検索アプリを開く。


 「居酒屋」「おしゃれ」「個室」


 そんなワードを並べながら、店を探していく。


(……ここ、よさそうだな)


 写真を見て、雰囲気を確認して、レビューを読む。条件も悪くない。


 予約ボタンを押す指が、少しだけ震えた。


(……やるしかない)


 意を決して、予約を確定する。


 完了画面を見た瞬間、肩の力が抜けた。


 そのまま、照宮さんに店の詳細を送る。

 すぐに返ってきた返事は、短くて穏やかだった。


 照宮 灯

【大丈夫です。】


「……よし」


 小さく、拳を握る。


 まだ何も始まっていない。

 けれど、確実に、昨日とは違う場所に立っている。


 昨日、勇気を出して動いた自分。

 それを、受け止めてくれた照宮さん。

 背中を押してくれる、名前も顔も知らない仲間たち。


 全部が、少しずつ繋がっている気がした。


(……水曜日、か)


 楽しみと、不安が、同じくらい胸にある。


 それでも、逃げずに、向き合おう。


 そう思えた日曜日だった。

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