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女子大生社長は、勝たない  作者: 久遠 睦


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第46章:数字に残らない支持

販売期間が終わった翌朝、紬は会社より先に、大学のゼミ室にいた。

その日は、卒業研究の中間報告があった。

紬は、藤堂物産の話はしなかった。

数字に残らない支持、という言葉だけを、研究のテーマとして口にした。

教授は、静かに聞いていた。

「それは、あなたが会社で見ていることですか」

紬は、答えに詰まった。

「まだ、研究の言葉には、なっていません」

教授は、少しだけ頷いた。

「見てから書きなさい。書いてから、また見なさい」

その一言を、紬はノートの隅に書き留めた。

見てから、書く。

書いてから、また見る。

ゼミを終えて会社に向かうと、社長室には、いつもより多くの紙が積まれていた。

暮らしの森マーケット青山台店での販売結果。

中央売場の速報値。

藤堂物産の一店舗棚の検証記録。

声のカードの写し。

店舗スタッフのコメント。

問い合わせ分類。

売り切れ後の対応記録。

SNS反応の一覧。

倉庫作業時間。

食品流通部への確認件数。

そして、一ノ瀬がまとめた収支表。

星野紬は、それらを一枚ずつ見ていた。

結果だけを見れば、分かりやすい勝敗がある。

売上高。

来店者の滞在数。

SNS投稿数。

売場面積あたりの売上。

そのどれも、貴之の中央売場が上だった。

大きな売場は、数字でも強かった。

それは否定できない。

紬たちの棚は、小さく完売した。

けれど、売上規模としては中央売場とは比べものにならない。

一ノ瀬は、その事実を最初のページに大きく書いていた。

『売上規模では中央売場が優位』

その下に、別の項目が続いている。

『一店舗棚は販売上限に到達』

『完売後も問い合わせ継続』

『再購入一件』

『店舗スタッフ説明負荷は想定範囲内』

『購入者コメントの具体性が高い』

『次回販売希望あり。ただし時期未定への納得も一定数あり』

『取引先への声の返却を前提にした継続検討が可能』

紬は、その二つの結果を並べて見た。

大きな数字。

小さな声。

どちらも現実だった。

その時、社長室の扉がノックされた。

入ってきたのは進藤だった。

「暮らしの森マーケットの野上さんから、午後にオンライン面談をしたいとの連絡がありました」

「今日ですか」

「はい。販売終了後の初期評価について、共有したいそうです」

紬は、机の上の資料を見た。

「分かりました」

「藤堂代表側も、同じく別枠で面談があるようです」

貴之の名前が出ると、胸の奥が少し硬くなる。

だが、以前ほど息が詰まる感じはなかった。

貴之の売場は強かった。

それはもう分かっている。

紬たちは、その強さから逃げずに、自分たちの小さな結果をどう扱うか考えなければならない。

「五人にも共有してください」

「すでに招集しています」

進藤は、いつものように静かに答えた。

「午後までに、こちらの評価資料を整えます。星野さんには、結論部分を確認していただきたいです」

「はい」

「ただし」

進藤は、少しだけ言葉を置いた。

「こちらの成果を大きく見せすぎないようにしましょう」

紬は頷いた。

「分かっています」

「完売、再購入、店舗スタッフ評価。どれも重要です。しかし、数はまだ小さい。小ささを隠すと、次の判断を誤ります」

「はい」

「小さいけれど、意味がある。そう説明する必要があります」

紬は、その言葉を胸に入れた。

小さいけれど、意味がある。

それが今回の結果に一番近い気がした。

午前中、五人が小会議室に集まった。

進藤が全体構成を整理する。

一ノ瀬が数字を示す。

美崎が言葉の扱いを確認する。

加賀が現場負荷をチェックする。

柚木が声の分類を説明する。

紬は、その中心で資料を見ていた。

一ノ瀬が最初に言った。

「売上については、誤魔化さない方がいいです。中央売場と比較すれば、当社棚は規模が小さすぎます」

「はい」

紬は頷いた。

「ただし、売場面積と販売上限を前提にすれば、上限到達は評価できます」

「利益は?」

「ほとんど出ていません。作業工数、販促物、声の回収と整理まで入れると、初回検証費用として見るべきです」

一ノ瀬は、資料に赤い線を引いた。

「ここを曖昧にしないことです。利益が出ました、とは言えません」

「言いません」

美崎が続けた。

「外部向けには、完売を強く打ち出さない方がいいです。完売だけを見せると、次回販売への期待が大きくなります。取引先の準備が整う前に、問い合わせが増える可能性があります」

柚木が少し残念そうに言う。

「完売しました、って言いたい気持ちはあります」

「言いたいですね」

美崎は優しく頷いた。

「でも、“完売しました”の後に何を続けるかが大事です」

加賀が腕を組んだまま言った。

「売り切った自慢じゃなくて、売り切った後の宿題を出せ」

「宿題」

柚木が小さく繰り返す。

進藤がまとめる。

「今回の成果は、三つに分けましょう」

資料に三つの項目が映される。

一つ目。

販売上限に達したこと。

二つ目。

購入者・店舗スタッフ・取引先へ返すべき声が集まったこと。

三つ目。

複数店舗展開に進むには、現場負荷、売れ残り時対応、問い合わせ対応、取引先継続意向をさらに整える必要があること。

紬は、その三つを見た。

喜びと課題が、同じ資料の中に並んでいる。

その形が良いと思った。

勝ったと言い切らない。

でも、意味がなかったとも言わない。

「この方向でお願いします」

紬が言うと、五人がそれぞれ頷いた。

午後、暮らしの森マーケットとのオンライン面談が始まった。

画面の向こうには、野上、川辺、宮下がいた。

野上の表情は、いつもより少し柔らかい。

川辺は数字資料を手元に置いている。

宮下はSNS反応の一覧を開いていた。

「販売期間、お疲れ様でした」

野上が言った。

「お疲れ様でした。貴重な機会をいただき、ありがとうございました」

紬が頭を下げると、画面の向こうで野上も軽く頭を下げた。

「まず、当社内の初期評価を共有します」

画面に資料が映る。

中央売場と藤堂物産棚の比較表。

紬は、背筋を伸ばした。

野上が説明を始める。

「中央売場は、売上、集客、SNS拡散の面で非常に強い結果でした。初速もあり、店頭での視認性も高く、当社の販促施策との相性も良かったです」

その言葉に、川辺が頷く。

「売場としての完成度は高かったと思います。商品供給についても、一部欠品はありましたが、代替提案で一定の対応ができました」

紬は、静かに聞いた。

それは事実だった。

貴之の売場は、強かった。

野上は次に、別のページを開いた。

「一方、藤堂物産様の棚についてです。売上規模は小さく、当社全体の売場企画として見ると、中央売場とは比較になりません」

胸に、少し痛みが走る。

だが、野上の声はそこで終わらなかった。

「ただし、検証項目の明確さ、店舗スタッフの説明負荷の低さ、購入者の声の具体性、完売後の対応については、社内でも注目されています」

柚木が、隣で息を止めたのが分かった。

野上は続けた。

「特に店舗スタッフから、“説明できる言葉があったので安心した”“売り切れ時の案内が明確で助かった”という声が出たことは、当社としても重要です」

宮下が画面にSNS反応を映した。

「SNS投稿数は少ないですが、内容は具体的でした。“派手ではないけど信用できる”“次回未定と書いてあるのが逆に安心した”“感想を返せるのが面白い”。こうした反応は、通常の販促では得にくいものです」

川辺が続ける。

「売上だけで見れば小さい。しかし、継続売場の検証としては、興味深い結果です」

継続売場。

その言葉を、紬は胸の中で繰り返した。

ただの小さな棚ではない。

続けるための売場として、見てもらえている。

「ありがとうございます」

紬は、静かに言った。

「ただ、こちらとしても、今回の結果だけで拡大できるとは考えていません」

野上は頷いた。

「そこを確認したいと思っていました」

紬は、用意した資料を画面共有した。

『一店舗検証結果と次回判断条件』

一ノ瀬が数字部分を説明する。

「販売上限には到達しましたが、利益面では検証費用として扱うべき結果です。複数店舗へ進む場合、現状の体制では対応できません。特に問い合わせ対応、声の回収と返却、売り切れ後対応、売れ残り時対応が課題です」

加賀が続ける。

「倉庫側は、一店舗分なら調整可能でした。ただ、三店舗以上は専用の確認場所と作業手順が必要です。通常業務に食い込む形では受けられません」

黒川もオンラインで入っていた。

『現状の倉庫で、今回のやり方をそのまま三店舗に広げるのは無理です』

はっきりした声だった。

野上は、その言葉を真剣に聞いている。

美崎が言葉の面を説明する。

「購入者の声は集まりましたが、それを販促に使う場合は慎重に扱う必要があります。作り手に返す声、社内改善に使う声、外部発信できる声を分ける必要があります」

柚木が、少し緊張しながら次の資料を出した。

「次回の改善案です。声のカード回収動線、店舗スタッフ向けFAQ、売り切れ後案内、声の返却レポートを改善します。また、商品サイズへの要望が出ているため、森本食品さんへ無理のない範囲で相談します。ただし、すぐの商品変更を前提にはしません」

野上が、画面の向こうで小さく頷いた。

「非常に現実的ですね」

柚木の表情が少し明るくなる。

「ありがとうございます」

川辺が紬に尋ねた。

「星野社長としては、次にどの規模を希望されますか」

その質問に、会議室の空気が少し張りつめた。

三店舗。

一店舗継続。

別商品追加。

複数店舗への広がり。

どれも可能性としてはある。

だが、今ここで大きく言えば、その言葉が次の期待になる。

紬は、息を整えた。

「現時点では、一店舗での再検証、または条件を絞った二店舗までが現実的だと考えています」

川辺の眉が少し動いた。

「二店舗ですか。三店舗ではなく」

「はい」

紬は答えた。

「三店舗を否定するわけではありません。ただ、今回の検証で見えた課題を改善しないまま三店舗へ進むと、声を返す仕組みが形だけになる可能性があります。まずは、一店舗で改善を確認するか、店舗特性の異なる二店舗で負荷を比較する形が妥当だと思います」

野上は、メモを取っていた。

「慎重ですね」

「はい」

紬は頷いた。

「でも、止まりたいわけではありません。続けるために、進める幅を確認したいです」

その言葉に、野上の表情が少し和らいだ。

「分かりました。社内で検討します」

面談の最後、宮下が言った。

「御社の棚について、社内で出た言葉を一つ共有してもいいでしょうか」

紬は少し驚いた。

「はい」

宮下は、手元のメモを見た。

「“売場が小さいのに、販売後の記憶が残る”という意見がありました」

紬は、思わず言葉を失った。

販売後の記憶。

その言葉は、今回の棚にとても近かった。

宮下は続けた。

「中央売場は写真として残りやすい。藤堂物産様の棚は、買った後に少し残る。そういう違いがあるのではないかと」

柚木が、隣で小さく鼻をすすった。

美崎がそっとティッシュを差し出す。

柚木は慌てて受け取った。

紬は、画面の向こうに向かって深く頭を下げた。

「ありがとうございます。その言葉も、こちらの検証に入れさせてください」

面談が終わると、小会議室に静かな空気が残った。

誰もすぐには話さなかった。

勝ったわけではない。

次が決まったわけでもない。

だが、暮らしの森マーケット側は、紬たちの棚に意味を見てくれた。

それは確かだった。

柚木が、ようやく口を開いた。

「販売後の記憶って、すごい言葉ですね」

美崎が頷く。

「使い方に気をつけたいですが、良い言葉です」

一ノ瀬は資料を閉じながら言った。

「記憶が売上につながるかは、まだ検証が必要です」

加賀がすぐに言う。

「余韻だけじゃ飯は食えねえからな」

柚木が笑いながら頷いた。

「分かっています」

進藤は、全員を見渡した。

「暮らしの森マーケット側の判断はまだです。ただ、次の協議に進む可能性はあります。その場合、二店舗案、一店舗再検証案、三店舗準備案をそれぞれ作っておきます」

「三店舗準備案もですか」

紬が聞くと、進藤は頷いた。

「今すぐ提案するためではありません。いつ何を満たせば三店舗に進めるか、こちらが理解しておく必要があります」

一ノ瀬が続ける。

「資金面も同じです。三店舗以上を視野に入れるなら、現状のままでは難しい。早めに銀行へ相談する準備が必要です」

銀行。

その言葉が出ると、空気が少し変わった。

完売の余韻から、次の現実へ戻る。

柚木の顔も引き締まる。

加賀は腕を組んだまま言った。

「倉庫も今のままじゃ無理だ」

「はい」

紬は頷いた。

「分かっています」

美崎が静かに言った。

「期待が増える前に、できることとできないことを整理しましょう。外に出る言葉も、社内の言葉も」

紬は五人を見た。

ここから先は、完売したから進むという単純な話ではない。

むしろ、完売したからこそ、次の負荷が見える。

小さな支持が集まったからこそ、次はその支持を裏切らない仕組みが必要になる。

その日の夕方、松永から連絡が入った。

森本食品との面談が終わったという。

紬は、すぐに電話をつないだ。

『森本さん、完売はとても喜んでいました』

松永の声は落ち着いていた。

『ただ、次回については慎重です。小さいサイズの要望はありがたいが、製造工程を変える必要がある。従業員の負担も見たいとのことです』

「はい」

紬は頷いた。

「急がせないでください」

『そう伝えました。それから、購入者の声を見て、森本さんが少し黙っていました』

「黙って」

『はい。“味のことだけじゃなくて、温め方が分かりやすかったと言われるのは、うちだけでは気づかなかった”と』

紬の胸が温かくなった。

松永は続ける。

『ただし、“声をもらうのは嬉しいけれど、全部に応えようとすると苦しくなる”とも言っていました』

「大事な言葉ですね」

『はい。次回提案には、その点を入れるべきです』

「お願いします」

電話を切ると、紬はその言葉をノートに書いた。

『声をもらうのは嬉しい。でも、全部に応えようとすると苦しくなる。』

声を集めるだけでは足りない。

声をどう扱うか。

どこまで応えるか。

応えられない声にどう向き合うか。

そこにも責任がある。

夜になって、もう一つの連絡が来た。

今度は松永ではなく、藤堂物産の問い合わせ窓口からだった。

「星野社長、地域食品の取り組みについて、複数の事業者様から問い合わせが来ています」

紬は、思わず聞き返した。

「事業者から?」

「はい。小規模の食品メーカー、農家、漬物屋、菓子工房などです。暮らしの森マーケットでの棚を見た、またはSNSで知ったとのことです」

胸が、一瞬跳ねた。

取引したいという声。

それは嬉しい。

同時に、とても怖かった。

「件数は?」

「現時点で七件です。まだ詳細確認前ですが、“大手に出たい”というより、“きちんと説明してくれる売場に興味がある”という内容が多いです」

紬は、受話器を握ったまま、しばらく黙った。

喜びが来る前に、加賀の声が頭の中に響いた。

全部受けたら、全部壊れる。

黒川の声も聞こえた。

今の倉庫では無理です。

一ノ瀬の声も。

期待だけでは返せません。

紬は、深く息を吸った。

「すべて、すぐに返信しないでください。まず一覧にしてください。業種、地域、商品、供給量、品質管理、表示対応、希望内容を確認する項目を作ります」

「承知しました」

「それから、“お問い合わせありがとうございます。現在、対応体制を確認しており、順次ご連絡します”という一次返信だけ出してください。取引を約束する表現は入れないでください」

「分かりました」

電話を切ると、紬は椅子に深く座った。

次が来ている。

静かに、しかし確実に。

一店舗棚は、小さな支持を集めた。

その支持は、消費者だけでなく、取引先候補にも届き始めている。

嬉しい。

けれど、受け止めきれなければ、信頼は壊れる。

紬は、五人にメッセージを送った。

『地域事業者から問い合わせが複数来ています。明日、取引希望一覧と対応方針を確認したいです。全部受けるのではなく、受けられる条件を整理したいです。』

すぐに加賀から返事が来た。

『浮かれるなよ』

次に一ノ瀬。

『件数、商品、供給量、必要対応を一覧化してください』

美崎。

『一次返信文案を確認します』

柚木。

『嬉しいです。でも、ちゃんと絞ります』

進藤。

『明朝、選定基準案を用意します』

紬は、画面を見て少し笑った。

五人らしい返事だった。

そして、その全部が必要だった。

社長室の机には、まだ販売結果の資料が並んでいる。

売上で見れば小さい。

でも、そこから声が広がり始めている。

消費者から、店舗スタッフへ。

店舗スタッフから、暮らしの森マーケットへ。

暮らしの森マーケットから、次の協議へ。

そして今、まだ見ぬ地域事業者から藤堂物産へ。

小さな棚は、終わったのではない。

声の通り道になり始めていた。

紬はノートを開いた。

『数字に残らない支持がある。でも、数字に残さなければ続けられない。』

少し考えて、続きを書く。

『声が増えることは、喜びではなく責任。取引したいと言われても、全部受けることは誠実ではない。』

最後に、今日の言葉を並べた。

『販売後の記憶。

声をもらうのは嬉しい。でも、全部に応えようとすると苦しくなる。

きちんと説明してくれる売場に興味がある。』

そして、朝に教授から言われた言葉を、その下に書き足した。

『見てから書く。書いてから、また見る。』

書き終えると、胸の中に、静かな熱と重さが同時に残った。

貴之の売場は、数字で強かった。

紬たちの棚は、声で残った。

けれど、次に必要なのは、その声を数字と仕組みに変えることだ。

それができなければ、ただの良い話で終わる。

紬は、声のカードの束に手を置いた。

小さな紙の重さが、昨日よりも増している気がした。

次の扉は、もう開き始めている。

その向こうには、期待と不安が同じ数だけ待っている。

紬は、ゆっくり息を吸った。

喜ぶのは、少しだけ。

怖がるのも、少しだけ。

その両方を持ったまま、明日、また五人と向き合う。

小さな支持を、壊さず次へ運ぶために。


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