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女子大生社長は、勝たない  作者: 久遠 睦


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23/51

第23章:小さな拡散

翌朝、販売管理画面の数字は少しだけ増えていた。

森本食品の惣菜セットは、残り半分を切っている。

田宮農園の野菜セットも、ゆっくりではあるが確実に動いていた。

完売にはまだ遠い。

けれど、最初に想定していたよりも反応は悪くなかった。

星野紬は、社長室の机に座り、問い合わせ一覧と販売数を見比べていた。

数字だけを見れば、胸が少し明るくなる。

でも、その横には、問い合わせ対応時間、倉庫作業時間、食品流通部への確認件数が並んでいる。

売れている。

同時に、手間も増えている。

その二つを並べて見ることに、少しずつ慣れなければならなかった。

午前九時過ぎ。

美崎が社長室へ入ってきた。

いつもより少し表情が硬い。

「星野さん、SNSで少し動きが出ています」

その言葉に、紬は顔を上げた。

「SNSですか」

「はい。購入者の方が、田宮農園の野菜を使った料理写真を投稿しています」

美崎がタブレットを机に置く。

画面には、白い皿に盛られた野菜の煮物の写真が映っていた。

少し曲がった大根と、不揃いな人参。

けれど、料理になると形の違いはむしろ温かく見えた。

投稿文には、短い感想が添えられている。

『形は不揃いだけど、味が濃くておいしい。こういう買い方、好きかもしれない。』

紬は、思わず画面を見つめた。

「これ、田宮さんに見せたいですね」

「はい。松永さん経由で共有する準備をしています」

美崎は、次の画面を見せた。

森本食品の惣菜についての投稿だった。

『説明文が押しつけがましくなくて良かった。地方の商品を“かわいそう”に見せていない感じが好き。味もやさしいけど、ちゃんと今の食卓向け。』

柚木が社長室へ入ってきたところで、その投稿を見た。

「これ……」

声が震えていた。

「伝わったんですね」

美崎は静かに頷いた。

「一部には、確かに届いています」

柚木は、タブレットの画面をじっと見つめた。

何度も直した説明文。

森本に赤字を入れてもらい、美崎が言葉を整え、松永が確認した文章。

その一文一文が、誰かに届いた。

それは、数字とは違う手応えだった。

「よかった……」

柚木が小さく呟く。

紬も同じ気持ちだった。

けれど、美崎の表情は晴れない。

「良い反応だけではありません」

タブレットの画面が切り替わる。

そこには、別の投稿が表示されていた。

『結局、大企業が地方の小さい会社を利用してるだけでは?』

紬の胸が、ひやりと冷えた。

美崎は、さらに別の投稿を見せる。

『規格外野菜を美談にする商売、苦手。』

『女子大生社長の話題づくりに地方企業が使われてる感じがする。』

『こういうの、最初だけ持ち上げられて、現場が疲れるやつでは。』

柚木の顔から血の気が引いた。

「そんなつもりじゃ……」

言いかけて、柚木は口を閉じた。

そんなつもりではない。

その言葉だけでは、きっと届かない。

紬にも分かった。

自分たちは、森本や田宮の言葉を聞き、現場の負担を考え、できるだけ丁寧に始めたつもりだった。

けれど、外から見れば違う。

老舗商社。

女子大生社長。

地方企業。

規格外野菜。

SNS販売。

その言葉だけを並べれば、誤解される余地はいくらでもある。

「美崎さん」

紬は、乾いた喉で尋ねた。

「反論した方がいいんでしょうか」

美崎は、すぐには答えなかった。

投稿の流れを確認し、少し考えてから言った。

「今は、直接反論しない方がいいです」

「なぜですか」

「取引先を盾にする形になる危険があります」

美崎の声は落ち着いていた。

「こちらが“森本さんも田宮さんも納得しています”と強く言えば、たとえ事実でも、取引先に説明責任を押しつけるように見える場合があります」

紬は、唇を噛んだ。

たしかに、その通りだった。

自分たちが傷つかないために、森本や田宮を前に出してはいけない。

「では、どうすれば」

「まずは、販売ページと公式発信で、過度な美談化を避けた姿勢を続けます。購入者の声を拾う場合も、取引先を持ち上げすぎず、商品そのものと使われ方を中心にします」

美崎は画面を指差した。

「良い投稿も、感動物語として拡散しすぎないこと。特に“救う”“応援”“地方を助ける”という言葉は使いません」

柚木が深く頷いた。

「田宮さんが言っていました。かわいそうな商品にしないでほしいって」

「はい」

美崎は続けた。

「見られるということは、誤解されるということです。誤解を完全になくすことはできません。ただ、こちらから誤解を増やす発信は避けられます」

その言葉は、紬の胸に重く落ちた。

見られるということは、誤解されるということ。

総会の時とは違う種類の怖さだった。

あの時は、自分が笑われればいいと思った。

だが今は、自分たちの発信によって、森本や田宮まで誤解される可能性がある。

それが怖かった。

「田宮さんには、共有しましょう」

紬は言った。

「良い反応も、悪い反応も。隠さない方がいいと思います」

美崎は頷いた。

「松永さんと相談し、伝え方を整理します」

「私からも話します」

「はい。ただし、謝りすぎないでください」

「謝りすぎない?」

「はい。田宮さんが傷ついていない段階で、こちらが過剰に謝ると、かえって大ごとに見えます。事実を伝え、どう受け止めるかを確認する。まずはそこです」

紬は、小さく頷いた。

午前十時半。

紬は松永に連絡を入れた。

松永はすでにSNSの反応を把握していた。

『田宮さんには、私からも軽く伝えています』

「ありがとうございます。私からも直接お話ししたいです」

『分かりました。ただ、社長』

「はい」

『謝るために電話しないでください』

美崎と同じことを言われ、紬は思わず背筋を伸ばした。

「はい」

『田宮さんは、こういう反応が出ることもある程度分かっていたと思います。大事なのは、こちらが慌てて話を大きくしないことです』

「分かりました」

『良い投稿も悪い投稿も、整理して見せてください。感情だけで伝えると、相手も疲れます』

松永の声は、いつも通り冷静だった。

その冷静さに、紬は救われた。

電話を切ったあと、田宮へ連絡を入れる。

少しの呼び出し音のあと、田宮の声が聞こえた。

『はい、田宮です』

「星野です。お忙しいところ失礼します」

『松永さんから聞いてますよ。SNSで少し広がってるんですって?』

「はい。良い反応もありますが、誤解や批判的な反応も出ています」

電話の向こうで、田宮が小さく笑った。

『まあ、言われるでしょうね』

その声は、思ったより落ち着いていた。

紬は、少し言葉に詰まった。

「申し訳ありません」

『何に対してですか』

田宮の問いは、静かだった。

紬は、すぐに答えられなかった。

「田宮さんの商品やお仕事が、誤解される形で見られる可能性があることに対してです」

『それは、始める前から少しはあると思ってました』

田宮は、畑にいるのだろうか。

風の音が混じって聞こえる。

『形の悪い野菜を売るとなれば、いろいろ言われますよ。良いことをしているように見えることもあるし、商売に見えることもある。どちらも間違いではないでしょう』

「間違いではない、ですか」

『うちは商売で野菜を作っています。良い話だけでは続きません。でも、ただの金儲けでもない。その間にあるものを、外の人が一回で分かるとは思っていません』

紬は、受話器を握る手に力が入った。

「私たちは、その間にあるものを、ちゃんと伝えられているでしょうか」

『まだでしょうね』

田宮は、あっさり言った。

紬の胸が痛む。

『でも、最初から全部伝わるわけがない。謝るのは、勝手に話を大きくした時でいい。今は、ちゃんと見ていればいい』

「ちゃんと見る」

『誰がどう受け取ったのか。どんな誤解が出たのか。どんな言葉なら伝わったのか。そこを見てください』

「はい」

『それと、良い反応だけを送ってこないでくださいね』

「え?」

『悪い反応も見ます。気分は良くないけれど、勉強にはなる』

紬は、少しだけ笑いそうになった。

田宮は強い人だ。

けれど、その強さに甘えてはいけない。

「整理して、松永さん経由でお送りします。田宮さんに負担がかからない形にします」

『お願いします』

電話を切ると、紬はしばらく動けなかった。

社長室の空気が少し重い。

けれど、電話をする前のような焦りは少し引いていた。

謝って終わるのではない。

見続ける。

誤解も、好意も、数字も、手間も。

そのすべてを、次に返す。

午後になると、販売ページへのアクセスが増え始めた。

美崎が分析画面を見ながら言った。

「購入者の投稿から流入しています。特に田宮農園の商品ページへのアクセスが増えています」

柚木が、管理画面を確認する。

「田宮農園、残り六セットです」

紬の胸が鳴った。

残り六。

売れている。

嬉しい。

けれど、その瞬間に田宮の声が戻ってきた。

売れたら、増やしたくなるでしょう。

紬は、唇を引き結んだ。

「追加販売の表示は出さないでください」

柚木が顔を上げた。

「はい。上限に達したら完売表示にします」

「“好評につき追加予定”も、入れません」

「分かっています」

柚木は答えた。

少し悔しそうだった。

その気持ちは、紬にも分かる。

せっかく届き始めた。

せっかく反応が出ている。

今、少し広げれば、もっと多くの人に届けられるかもしれない。

銀行にも見せられる数字が増えるかもしれない。

社員にも、希望を示せるかもしれない。

でも、約束した。

売り切れても、勝手に追加はしない。

森本にも、田宮にも、倉庫にも、食品流通部にも。

その約束を軽くした瞬間、この小さな試みの土台は壊れる。

「森本食品は?」

紬が尋ねると、柚木は画面を切り替えた。

「残り八セットです」

「問い合わせは?」

「累計十九件です。ただ、FAQ修正後は食品流通部への確認が減っています」

相沢に回る件数が減った。

その報告に、紬は少しだけほっとした。

「倉庫の作業時間は?」

一ノ瀬が答えた。

「初日より改善しています。ただし、まだ当初想定より二割ほど長いです」

「想定に近づいてはいるけれど、まだ負荷は高い」

「その通りです」

一ノ瀬は、淡々と頷いた。

数字は、喜びを急がせない。

その冷たさが、今はありがたかった。

夕方、本社の会議室で短い共有会が開かれた。

美崎がSNS反応を整理し、良い反応と批判的反応を分けて報告する。

柚木は販売状況と問い合わせ内容を共有する。

一ノ瀬は作業負荷と利益見込みを示す。

加賀は倉庫と食品流通部の感触を話す。

松永と相沢はオンラインで参加した。

黒川も、倉庫の事務室から短く参加している。

「SNSで良い反応が出ていることは事実です」

美崎が言った。

「ただし、こちらから大きく拡散させるのはまだ避けるべきです。購入者の投稿を公式が不用意に引用すると、取引先を宣伝材料として消費している印象になる可能性があります」

松永が画面越しに頷く。

『賛成です。森本さんにも田宮さんにも、まずこちらから整理して伝えます』

相沢が続ける。

『問い合わせは、FAQ修正で少し減りました。ただ、調理方法の質問は今後も来ると思います。購入者は、商品そのものだけではなく、使い方を求めています』

柚木がメモを取る。

「レシピや保存方法の見せ方を改善します」

黒川の声が、画面越しに聞こえた。

『倉庫側は今のところ大きな混乱はありません。ただし、完売が近づいているからといって追加されると困ります』

その言葉で、会議室の空気が少し変わった。

柚木が、わずかに視線を落とす。

一ノ瀬は黙っている。

加賀は腕を組んだまま、紬を見た。

紬は、ゆっくりと口を開いた。

「追加販売はしません」

誰もすぐには答えなかった。

紬は続けた。

「少なくとも、今回の販売期間中に、上限を超えて追加することはしません。完売した場合は、完売表示にして、取引先と現場の振り返り後に次を判断します」

黒川が短く言った。

『分かりました』

松永も頷く。

『その方がいいです』

一ノ瀬は、そこで初めて口を開いた。

「数字の機会としては、追加販売の検討余地はあります」

紬の胸が少しだけ強張る。

一ノ瀬は続けた。

「ですが、今回の目的が検証である以上、上限を守った上でデータを取る方が信用できます。銀行向けにも、無計画に広げなかったという説明はできます」

その言葉に、紬は少し驚いた。

一ノ瀬は追加販売を求めるかもしれないと思っていた。

しかし、彼は数字のためにも、約束を守ることの価値を見ていた。

「ありがとうございます」

紬が言うと、一ノ瀬は表情を変えずに答えた。

「感謝されることではありません。検証条件を途中で変えると、数字の意味が薄れます」

加賀が小さく笑った。

「一ノ瀬らしいな」

会議が終わる頃、田宮農園の商品は残り三セットになっていた。

森本食品は残り五セット。

柚木は管理画面を見つめている。

その横顔には、喜びと悔しさが両方あった。

もっと売りたい。

もっと届けたい。

その気持ちは、きっと悪いものではない。

ただ、その気持ちに約束を踏ませてはいけない。

紬は、柚木の隣に立った。

「悔しいですか」

柚木は、少しだけ笑った。

「はい。正直、悔しいです」

「私もです」

「星野さんも?」

「はい。もっと広げたい気持ちはあります」

柚木は、画面から目を離さずに言った。

「でも、増やさないんですよね」

「はい」

「分かっています」

柚木は、ゆっくり息を吐いた。

「分かっているのに、悔しいです」

「その悔しさも、次に持っていきましょう」

紬が言うと、柚木は小さく頷いた。

「次は、ちゃんと現場と取引先に相談してから、広げられる案を作ります」

その言葉に、紬は胸の奥が温かくなった。

柚木はもう、ただ前へ走ろうとしているわけではない。

止まることも、相談することも、案の一部にしようとしている。

夜になって、紬は社長室に戻った。

販売管理画面には、現在の残数が表示されている。

森本食品、残り四。

田宮農園、残り二。

アクセス数は、午前よりも増えている。

SNSの反応も、まだ少しずつ動いている。

良い声。

疑う声。

誤解。

感想。

期待。

違和感。

そのすべてが、画面の向こうで流れている。

紬は、今日田宮に言われた言葉をメモ帳に書いた。

『謝るのは、勝手に話を大きくした時でいい。今は、ちゃんと見ていればいい』

その下に、美崎の言葉も書く。

『見られるということは、誤解されるということ』

ペンを止める。

誤解されるのは怖い。

批判されるのも怖い。

でも、怖いからといって閉じれば、購入者の声も届かない。

田宮の野菜を食べた人の写真も、森本の商品に触れた人の言葉も、届かなくなる。

見られることを選ぶなら、誤解ごと受け止めるしかない。

ただし、取引先を盾にしない。

現場を置き去りにしない。

美談に逃げない。

紬は、販売ページを開いた。

完売が近い商品に、追加販売の表示は出ていない。

そのことに、少しだけ安心した。

売れることは嬉しい。

けれど、売れた時ほど、約束は軽くなりやすい。

紬は、画面を閉じる前に、もう一度残数を確認した。

小さな数字だった。

でも、その小さな数字が、今夜はとても重く見えた。

藤堂物産の最初の試みは、少しずつ外へ広がり始めている。

その広がりが、誰かを傷つけないように。

そして、届いた声を次へ返せるように。

紬は、机の上に置かれた軍手と取引先リストに目を向けた。

画面の向こうに広がる声を受け止めるためにも、足元にあるその重さを、忘れてはいけなかった。


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