第三話
第五王女イザベラはヘンドリックスへの想いのたけをつづった。教育係エルミナはそのいくつかを読んだが、どう考えてもヘンドリックスは、複数の人格を保持していた。イザベラにとにかく優しいヘンドリックスもいれば、ぼそりと毒舌を見せて笑わせるヘンドリックスもいた。ヘンドリックスのあり方は、イザベラの気分次第だった。
エルミナは完全に頭を抱えた。「イザベラ様はこういう男性がお好きなようです」と報告することもままならない。
イザベラへの縁談は相変わらずいくつも届いている。最近では、縁談相手がすでにヘンドリックスについて知っており、対策を講じているようだった。
「イザベラ様、本日はお話をする機会を与えていただき、恐悦至極です」
「こちらこそ、お越しくださってありがとう。縁談とはいうけれど、ただのお茶会です。どうぞお気を楽にして」
うららかな春の日差しが差し込む庭園を見守りながら、イザベラは初手で「ただのお茶会」と縁談を破壊した。縁談相手が困惑した表情で話しかける。彼は有力貴族の子息の一人だが、イザベラと比べると、若干歳をとっている。
「イザベラ様が今ご覧になっているお庭……懐かしいですね。子供の頃、イザベラ様とお会いしました。イザベラ様はあの木に登っておいでで……降りられなくなって、べそをかいてらっしゃいました。覚えていらっしゃいますか。イザベラ様はまだ幼かったから、覚えておられないかな」
くじけずに話をつづける縁談相手に、教育係エルミナは密かに拳を握りしめた。このエピソードは幼馴染と言ってもいいのではないか。この調子でイザベラとの縁談が進めば、恋愛を学ばせる淑女教育もうまくいくというものだ。
「何歳ごろの話ですか?」
「イザベラ様が6歳になられた頃だったかと」
「6歳? でしたらまだ、わたくしは離宮で母と暮らしていた頃です。王宮に来たことはなかったはずですけれど」
「いいえ、私はイザベラ様の『幼馴染』ですよ。きっと、覚えておられないのでしょう」
縁談相手は幼馴染という言葉を口にして、勝ち誇ったように笑った。
しかしイザベラはゆっくりと首を傾げて、それ以上言葉を口にせず、静かにお茶を楽しんだ。
縁談相手が帰ったあと、イザベラは教育係エルミナに、首を横に振ってみせた。
「あの殿方は、わたくしの幼馴染ではありません」
「しかし、以前お会いになられたと──」
「いいえ。あれは架空の思い出か、姉妹の誰かと間違えておられるのではないかしら」
縁談相手も、ヘンドリックスとの架空の思い出を語り倒しているイザベラに、言われたくはないだろう。
「もしも本当にわたくしが6歳ならば、10年ほど前の話でしょう? あんなに歳の離れた殿方が、お庭の端で何をしてらしたのかしら。……女性との密会でなければいいのだけれど。ねぇ、ヘンドリックス、あなたはどう思う? ……ただ自然を楽しんでいたのかもしれない? そうね。そうかもしれないわ」
ヘンドリックスと話をしはじめたイザベラに、エルミナは苦笑いする。縁談を破談にする旨を伝えると、侍女は一礼して去っていった。
***
次の縁談相手は、さわやかな男性だった。女性と話すのに慣れているのか、イザベラに屈託なく笑いかけた。
「イザベラ様、以前学校でお会いして以来ですね。ご機嫌はいかがですか。ヘンドリックス卿も、ご機嫌麗しく」
「ご機嫌うるわしゅう。まあ! ヘンドリックスのこと、ご存知ですの!」
「ヘンドリックス卿は王宮でも知られていますからね。本当は幽霊なのではないかって、噂されているほどですよ」
「幽霊? いいえ。わたくしの架空の幼馴染です。ヘンドリックスは、とても優秀ですのよ。淑女教育に励む私を横で見守って、ときに助言をくれます」
イザベラは延々とヘンドリックスについて語りつづけ、縁談相手はそのたびに困ったように笑った。
一時間ばかり過ぎた頃、縁談相手がふいに瞳をかげらせた。
「イザベラ様がヘンドリックス卿ばかり見ているものだから、嫉妬の炎で身を焼かれそうです」
「そうですか」
「どうか──僕を見てください」
「今、見ていますけれど?」
「え? そうではなく……」
「そうでないならば、なんですの?」
「えっ……」
熟練の口説き文句も、イザベラにはまるで効果がなかった。縁談相手はがっくりと肩を落として帰っていった。おそらくは考えに考え抜いた、渾身の台詞だったのだろう。
縁談が終わったのち、イザベラは不思議そうに首を傾げた。口説き文句にまるで気付いていない。
「イザベラ様、あれは口説き文句です! お気づきにならなかったのですか!」
「口説き文句? そういう類のものは、誰が言うかで大きく意味が変わってくるものではなくて? 彼もわたくしの幼馴染にはなりえません」
ここまでくると、いっそ清々しい。元学友でもダメだったかと、教育係エルミナは侍女に縁談の失敗を耳打ちした。
「ああ……もしも先ほどのセリフを言ったのがヘンドリックスだったなら、小説のいい題材になりましたのに。……いいえ、わたくしのヘンドリックスは、軽々しく嫉妬などいたしません。たとえ嫉妬したとしても、それを自分の内側で処理する礼節を持っていますわ」
エルミナは先日読んだイザベラの書いた小説に、「嫉妬を処理し損ねて、少し拗ねるヘンドリックス」がいたのを思い出して苦笑いした。今日のイザベラの気分は、嫉妬しない男性だったのだろう。
そんなエルミナを知ってか知らずか、イザベラは物憂げに微笑んで、ソーサーの上にそっとティーカップを置いた。
***
その次の縁談相手は、イザベラのヘンドリックス語りに負けず劣らず、熱い語りをする男性だった。
「僕はヘンドリックス卿に妬きませんよ。ヘンドリックス卿ごと、イザベラ様を受け入れてみせます!」
教育係のエルミナはそれを聞いたとき、吹き出しそうになるのを堪えた。前回の縁談での「ヘンドリックス卿は嫉妬しない」というのを真に受けているのは明白だった。いったいどこから情報が出回ったのだろう。
イザベラがヘンドリックスは嫉妬しないと述べたときには、すでに前回の縁談相手は退席していたし、可能性があるとしたら侍女だろうか。
侍女の様子をそっとうかがうと、彼女はティーカップにお茶を注いだ。
「イザベラ様は覚えておられないかもしれませんが、以前騎士団で鍛錬する私に、優しく声をかけてくださったのです。ケガをして、復帰したばかりの頃でした。あの日から、あなたは私の憧れです」
「そうでしたか。けれどもわたくし、結婚するつもりはございませんの。ですから、今日はお茶を楽しんでいらして」
「はい! ご相伴にあずかります!」
結婚するつもりはないとイザベラに明言されても態度を変えない縁談相手に、エルミナはこっそりと身を乗り出した。
今回の縁談相手は湯気の上がるお茶をぐいっと飲み干すと、イザベラをまっすぐに見据えた。
「ヘンドリックス卿も、剣がお得意で、鍛錬に余念がないと聞き及んでいます! もしも実在するのなら、ヘンドリックス卿と手合わせをしたかったのですが……」
「まあ! ヘンドリックスも残念がっています。わたくしも拝見したかったですわ」
架空の幼馴染について会話を弾ませる二人をながめながら、教育係エルミナは「意外とこの縁談相手とは馬が合うのでは?」と思案した。
剣術の流派からはじまり、型や受け方まで話し込んで、イザベラも興味深そうに聞いている。
「それではまた! ヘンドリックス卿にもよろしく!」
「はい。ヘンドリックスもわたくしも、楽しい時間を過ごせましたわ」
教育係エルミナは、もしかしたらと若干そわそわしながら縁談相手についての印象をイザベラに尋ねた。
「今日の殿方は、ヘンドリックスも気に入ったようですわ」
「左様でございますか! では、縁談をお受けになりますか?」
「いいえ。だって、わたくしのヘンドリックスではありませんもの。けれども剣術についての知識は深まりました。ヘンドリックスを小説に書くときに、大変参考になります」
一瞬の期待が木っ端微塵に打ち砕かれて、エルミナはもう笑うしかなかった。
教育係エルミナは、もしも自分が次々と縁談相手を紹介されたら、イザベラのように振る舞えるだろうかと考えた。実際、いい歳なのだからとエルミナに縁談を勧める人もいた。心配してくれるのはありがたいが、独身でも特に困ったことはない。友人たちと支え合ってきたし、なにも結婚という形を選ぶ必要がないのだ。
片っ端から縁談を破壊していくイザベラを見ていると、ほんの少し、身のすく思いがする。
「わたくしの理想の幼馴染は、わたくしの頭のなかにしかいないのですね……」
人間にヘンドリックスのような真似をできる者など、いるはずがない。
こっそりと笑うエルミナをよそに、イザベラは寂しそうに目を伏せて、アンニュイな手つきでお茶菓子を一つ口のなかに入れた。
そうして自室に戻ると、隣国の王女に向けて、手紙をしたためはじめた。




