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第二話

 エルミナの嫌な予感は的中した。第五王女イザベラが、舞い込んだ縁談をことごとく断りはじめたのである。


 あるときは有力貴族の子息、あるときは騎士団で頭角を表した出世頭、またあるときは政商の子息──さまざまな男性が婚約者として名乗りをあげたが、イザベラは決して首を縦に振ることはなかった。


「わたくしの幼馴染ではありません」

「わたくしの理想の幼馴染の足元にも及びません」

「……ね、ヘンドリックス」


 理由を聞いたエルミナは、頭を抱えた。ヘンドリックスとはいったい誰のことだ。


 困惑する周囲の視線をよそに、イザベラは傍ら……何もない虚空に向けて、幸せそうに微笑んだ。


 淑女教育の一環として恋愛を学ばせる……王妃の依頼がこのような形になるとは、いったい誰が予想できただろう。


 縁談を断る理由については逐一ごまかしてきたものの、第五王女イザベラには、すでに意中の男性がいるのではないかとの噂が広がった。


「イザベラ様、ヘンドリックス殿とは誰のことです」

「わたくしの架空の幼馴染です」


 至極当然といった様子で語るイザベラに、エルミナはうなった。


 このままではイザベラの頭がおかしくなってしまった、乱心したのではないかと疑われてしまう。それでは王族とは言え、縁談に差し障りがある。ましてや、イザベラは縁談を断りすぎて「すでに心に決めた想い人がいるのではないか」と噂されている身である。心に決めた誰かに思慕を寄せるあまり乱心した、王家がイザベラに無理に縁談を勧めていると囁かれては、目も当てられない。


「人のいる場所で、ヘンドリックス殿と話をするのはおやめください」

「なぜです?」

「他人からは、奇行にしか見えません。イザベラ様が乱心したのではないかと噂されてしまいます。このままでは縁談も──」

「まあ! ならば、わたくしのヘンドリックスについて知ってください。わたくしのヘンドリックスは、幼馴染です。幼い頃から暮らしを共にし、勉学に励み、互いに支え合って、苦労を乗り越えてきた仲です。健やかなるときも病めるときも、生きるときも死ぬときも、一緒だと決めています。……長く愛情を育んで来たヘンドリックスよりも、ぽっと出の、どこの馬の骨かわからない男を選べだなんて!」


 イザベラが幼馴染ものの恋愛小説を読みはじめたのは、つい最近ではないか。だというのに、彼女の架空の幼馴染、ヘンドリックスの設定が盛りに盛られている。


 エルミナは教育係としての責任を感じて、めまいを起こしそうになった。


 イザベラが恋愛に興味を持てるように、幼馴染ものの恋愛小説を勧めたことを心の底から後悔した。


 ──完全にこじらせてしまった。


 すっかり血の気がひいて震えているエルミナを責める者は誰もいなかった。誰にとっても、予想外すぎた。まさか現実には存在しない幼馴染に夢中になるなど、誰も考えもしなかったのである。


「それでは、イザベラ様が特にお好きな幼馴染小説を書く作者と──」

「いいえ。それは幼馴染ではありません。なにより、わたくしのヘンドリックスではないのですから。わたくしのヘンドリックスは、わたくしの頭のなかにしかいません」


 イザベラはきっぱりとそう言い放つと、ヘンドリックスがいるらしい宙に向けて微笑んだ。白い頬に薔薇色が映える。イザベラの眼差しは、幸せな恋をしている眼差しに違いなかった。その相手が架空の幼馴染だということを除けば。


 教育係・エルミナの説得は、すべて灰燼に帰した。


 王妃に淑女教育の進捗を尋ねられたエルミナは、すさまじい胃痛を覚えながらもおそるおそる王妃の部屋を訪ねた。扉をノックする手がいつの間にか真っ白になり、震えている。


 侍女が開けた扉をそっと通る。王妃の隣に王までいる。エルミナは目を丸くして萎縮すると、ますます身を小さくした。


「エルミナ、ずいぶんと手こずっておるようじゃのう」

「大変申し訳ございません。イザベラ様に、恋愛小説を勧めたのですが……」

「わかりますよ。お前のことだから、幼馴染の出てくる恋愛小説を勧めたんでしょう。王族にとって、婚約者は幼馴染であることが大半ですものね。……本当に、苦労をかけるわね」


 王妃の言葉に、エルミナは感極まった。王妃はエルミナの苦心を理解してくれている。思わず涙を浮かべたエルミナに、王は「よいよい」と笑い声をあげた。


「イザベラは第五王女じゃ。急ぐものでもない。それよりも、全く恋愛に興味を持たなかったあの子が、やっと興味を持ったんじゃ。好きにさせてやりなさい。……ヘンドリ……なんじゃっけ?」

「ヘンドリックスですよ、あなた」

「それだ。なぁに、ワシも昔、本のなかの英雄に憧れて、剣を振り回したもんじゃよ。たいして変わらん」


 軽やかに笑う王に、イザベラの教育係エルミナは、じゅうたんに額をこすりつけんばかりにひざまずいた。


「寛大なお言葉に、心より感謝します」


***


 第五王女イザベラが幼馴染ものの恋愛小説にお熱を上げているという噂は、いつしか王都に広がっていた。


 作家たちは王族の庇護を得ようと、こぞって幼馴染ものの恋愛小説を書きはじめ、巷にはさまざまな幼馴染作品が出回ることとなった。


「素晴らしい! 研究が捗りますわ!」


 第五王女イザベラは両手にたくさんの幼馴染ものの恋愛小説を抱えて、寝る間も惜しんで読み耽っている。


 教育係のエルミナは、第五王女の暴走に若干慣れつつある自分に驚きながら、睡眠時間を減らしがちなイザベラをいさめた。


「イザベラ様、いけません。睡眠はきちんととっていただかなくては──。ヘンドリックス殿も、悲しみますよ」

「まぁ、ヘンドリックスが?」

「はい」

「ごめんなさいね、ヘンドリックス。今日はゆっくり眠りましょう」


 いつの間にか、イザベラの架空の幼馴染、ヘンドリックスが実在しているかのような話し方をしている。


 エルミナは第五王女の暴走のみならず、ヘンドリックスという見えない存在に慣れつつある自分に気づいて、内心絶句した。


「それにしてもイザベラ様、幼馴染ものの恋愛小説が多すぎるのではありませんか? これほど数が多くては、内容も似たりよったりになってしまうのでは……」

「そう思うでしょう? これがなかなか奥深いのですよ。幼馴染もののなかで、特に私が好きなのは──」


 教育係エルミナの耳を、右から左に抜けるように、イザベラの幼馴染についての講義が流れていった。


 イザベラは大いに熱をこめて語っているが、きっと最後には、いつものように話し終える。


「……それでも、ヘンドリックスに敵う幼馴染はどこにもいません。どれだけ他の作家さんが真似をしても、決してヘンドリックスの魅力には及ばない。ヘンドリックスは、わたくしの頭のなかにしかいないからです。以心伝心ぶり、軽口の加減やタイミング、忠義、わたくしの好みや気分の把握……そのどれも、本物のヘンドリックスに敵うわけがないのですから。……ああ! 語り足りませんわ!」

「……ならばご自分で、小説を書かれてはいかがですか?」

「まあ! エルミナ、名案ですわ!」


 教育係のエルミナが曖昧な笑みを浮かべる横で、イザベラはペンを取り出して何枚もの便箋に文字をつづりはじめた。


 おそらく隣国のシャーロット王女に送るのだろう。受け取ったシャーロット王女はどんな顔をするのだろう、とても困るのではないかと、エルミナは心配になった。

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