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第一話

 オルティア国の王族はそろって晩餐を囲む。色ガラスの精緻な細工を通した灯りが、白いテーブルクロスの上に色鮮やかな光を落としている。


「先般ご紹介いただいた婚約の件、お断りいたします」


 第五王女イザベラの言葉に、教育係・エルミナは、耳を疑った。ナイフを持っていた手が止まる。


 王は長くたくわえた白いヒゲをなでて、興味深そうにイザベラに尋ねた。


「気に入らんかったのか」

「ええ」

「理由を聞いても?」

「幼馴染ではないからです」


 イザベラの静かな言葉に、晩餐会の空気が一瞬で凍る。


 イザベラの教育係エルミナは、思わずナイフとフォークを取り落としそうになった。


「幼馴染ではない」という到底理解できない破談の理由に絶句し、すぐに原因に思い当たった。


 ──もしかして、私がイザベラ様に恋愛小説を勧めたのが原因なのでは?


 既に飲み込んだはずの肉の塊が、喉の奥に引っかかったような心持ちがする。


 エルミナのうつむいた視界で、両手が小刻みに震えている。皿にぶつかって音を立てる前に、エルミナは慎重にナイフとフォークを置いた。


***


 オルティア国の第五王女イザベラは、あまりにも恋愛に興味がなかった。


 上の姉妹たちのように、成長すれば多少は恋や浮いた話の一つも出てくるだろうと気長に見守られていたが、その気配さえ起きなかった。


 イザベラに年の近い侍女たちが、王宮に出入りする騎士や政務官への憧れをあれこれと熱っぽく語ったが、微塵も興味を示さず、ただ「あなたが楽しそうにしているのがかわいらしい。わたくしにはわからないけれど」と微笑むだけであった。


 そんなある日、第五王女イザベラの教育係・エルミナは、王妃に呼び出された。


「イザベラの淑女教育はどうですか」

「学問も淑女教育も、順調にこなしておいでです。特に読書がお好きなようです」

「そう。エルミナのおかげね。ありがとう。ただ一つ、気になるところがあるのです」


 オルティア国の至宝と呼ばれるほどの美貌を讃えられてきた王妃は、長いまつ毛をそっと伏せた。エルミナは王妃の若い頃の肖像画を見たことがある。歳をとっていくぶんか変わったとはいえ、年齢に応じた美しさは健在であった。


「どのようなお話でしょうか」

「侍女たちから話を聞いたのだけれど、あの子、浮いた話がまるで一つもありません。十七歳ともなれば、恋や憧れの一つは持つ年頃じゃなくって? 上の娘たちも、息子たちも、そうでした。なのにイザベラときたら!」


 教育係のエルミナは、そういうものだろうかと内心首を傾げた。エルミナは三十代だが、自身を振り返ってみても、その手の経験がほとんどなかった。


 自分にはできない素晴らしいことをやってのける者への憧れならばあったが、それは恋ではない。恋なら自分が相手に認められることが含まれるのではないか。アルミナがかつて抱いた憧れは、もっと純粋な、能力への評価や称賛である。


 能力に憧れて研鑽した結果、第五王女イザベラの教育係に任命されるまでの地位にのぼりつめた。


「第五王女とはいえ、今後、嫁ぐこともあるでしょう。実力のある政務官や、功績をあげた騎士、隣国の王子たちから声がかからないとも限りません。恋にまるで興味がないのでは、差し障ります。……イザベラに、恋愛について学ばせてあげて頂戴。これも淑女教育の一環ですよ」

「……かしこまりました」


 こうして、教育係のエルミナは王妃からの依頼を受け、第五王女イザベラに恋愛について教えることになった。


 なんとかして、イザベラに恋愛に興味を持ってもらわなくてはならない。しかしエルミナにも、さほど恋愛経験があるわけでもない。


 どうしたものかと思案したエルミナは、巷で流行している恋愛小説をイザベラに勧めることにした。本好きのイザベラだから、小説ならば喜んで読むだろう。


 次に、エルミナはどんな内容の恋愛小説を勧めるべきかと悩んだ。


 イザベラはそうではないが、王族には幼い頃から婚約者がいることが多い。幼馴染が固い絆で結ばれる恋愛小説などどうだろう。


 そうしてエルミナは、第五王女イザベラに幼馴染ものの恋愛小説を勧めることにしたのだった。


***


 思えばそれが、騒動のはじまりだった。


 本好きのイザベラはあっという間に何冊もの幼馴染ものの恋愛小説を読み耽り、夢中になった。


「エルミナ、今日の小説はどんな幼馴染ものなのかしら?」

「先日お渡しした小説は、もう読んでしまわれたのですか」

「ええ! とても面白かったです。手と手を取り合って、共に苦難を乗り越える幼馴染の固い絆……感動しました。特に戦場での場面、目と目で通じ合って意思疎通をとるでしょう? あの武器を投げるところ……。やはり幼馴染は最高です」


 ときに熱っぽく語り、ときに両手を組んで目を輝かせる王女に、エルミナはほっと胸を撫で下ろした。なんとか恋愛に興味を持ってくれたようだ。


「わたくしも、幼馴染について考えてみましたの」

「……えっ?」

「少し年上の、頼りになる幼馴染もいいですわね。同じ歳で、同じ師から学ぶ幼馴染もいい。年下の、懸命さが印象的な幼馴染も魅力的です。屈託のない年下幼馴染から学ぶというのも、主人公の懐の広さが垣間見られて素敵です」


 第五王女イザベラがあまりにうっとりと語るので、エルミナは言葉に詰まった。


 イザベラに渡した本は、すべてエルミナも読んでいる。王女が読んでも問題なさそうな本だけを勧めてきたつもりだが、果たしてそのような内容の小説があっただろうか?


「イザベラ様、それはどの小説の話ですか?」

「先日、城に出入りしている商人に個人的に頼んで取り寄せましたの」


 ──市井で言うところの、ドはまりではないか。


 これまでイザベラに渡しても問題なさそうな恋愛小説を選んできた苦労がふいになったようで、エルミナは脱力しながらも、わずかに危機感を持った。エルミナの知らないところで受けた影響を、教育係の責任にされてしまっては困る。


 エルミナは恐々と「お気に召したようでなによりです」と言うのが精一杯だった。


「わたくしの考える、最強の幼馴染というのもいましてよ!」

「最強の……幼馴染……?」

「架空の幼馴染です。わたくしの頭のなかにいます!」


 何かがずれはじめている。


 計画通りに淑女教育が進んでいたはずだったのに、教育係エルミナの予想をはるかに超えた事態が起きようとしている。


 第五王女イザベラがはしゃいで手紙をしたためる姿をながめながら、エルミナはそっと自身のこめかみを押さえた。


「お手紙は、どなたに送られるのです?」

「隣国の王女です。以前より、ときどき文通していますの! 幼馴染という存在への、この感動をぜひ伝えたくって!」


 イザベラが満面の笑みでペンを進める。便箋はあっという間に十枚を越えた。にも関わらず、イザベラの手は止まらない。まだまだ増えそうだった。

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