エピソード2嘘で遊ぶ
これは作者の実体験をもとにした半分フィクションのお話...
頼人と会った翌週末。
深夜の胸糞悪い事件や頼人の言葉が嘘だったかのように、
玲明からあっけらかんとしたメッセージが届いた。
『明日、頼人と水族館行ってくるから。裕人も来ればよかったのにw』
文面を見る限り、いつも通りの気まぐれな彼女だった。山中は「楽しんきて」とだけ返し、
スマホを伏せた。頼人から聞いたあの歪んだ覚悟のあとだ。
二人だけで出かけて本当に大丈夫なのかという不安は消えなかったが、
介入する余地がないことも痛感していた。
その頃、当の二人は都内の大型水族館にいた。
休日で賑わう館内。薄暗く青い光が差し込む大水槽の前で、頼人はおどおどと玲明の後ろをついて歩いていた。
前日の夜、玲明からいきなり「明日水族館ね」と呼び出されたのだ。
頬にはまだかすかに痛みが残っている。それでも、こうして二人で出かけられることが、頼人にはたまらなく嬉しかった。どんなに理不尽に扱われても、自分を必要としてくれているのは玲明だけなのだから。
「ねえ頼人、ちょっとあっち行って」
「えっ、あ、うん……」
玲明の不機嫌そうな声に、頼人は慌てて数歩後ずさる。
玲明は横目で頼人の怯えた顔を確認すると、そっぽを向いて小さく息を吐いた。
(……相変わらず、バカみたいにビクビクしちゃって)
内心では、この日をずっと楽しみにしていた。
何着も服を選び直し、メイクもいつもより時間をかけた。本当は手を繋いで歩きたいし、可愛いねと言ってほしい。けれど、それを素直に口にするやり方なんて、玲明にはもう分からなくなっていた。
自分の弱い部分を見せれば、いつか捨てられる。だから強がり、傷つけることでしか、相手を繋ぎ止められないのだ。
巨大なクラゲの水槽の前で、玲明は足を止めた。
ゆらゆらと当て当てもなく漂う白い影を見つめながら、ふっと口元を歪める。
「ふふ、ねえ頼人。このクラゲ、あんたにそっくりw」
「えっ、僕……? クラゲ?」
「そうだよ。脳みそもなくて、ただ流されて、誰かにすがりついてないと生きていけない感じ。本当惨めw」
「う……うん、そうかもね。僕、玲明がいないと何もできないから……」
意地悪く笑う玲明に対して、頼人は嫌がる風もなく、申し訳なさそうに微笑んだ。
何を言われてもいい。どんな蔑みでも、彼女の視線が自分に向けられているという事実だけで、頼人の胸は満たされていた。
玲明はそんな頼人の横顔を盗み見ながら、カバンの中でぎゅっと拳を握りしめた。
(ほんと、バカ……。そんなんだから、私が側にいてあげなきゃダメなんじゃん……)
「ほら、次行くよ。グズグズしないで」
すたすたと歩き出す玲明の後ろを、頼人は嬉しそうに追いかけていく。
暗い大水槽のトンネルを抜けたところで、玲明はスマホを取り出した。隣で泳ぐエイを珍しそうに見上げている頼人の横顔と、自分の笑顔を画面に収める。
パシャリ、と電子音が響く。
「ちょっと裕人に送っとこ。余計な心配されてもウザいし」
玲明はそう言って画面を操作し、俺の元へ一枚の写真を送信した。
部屋で手持ち無沙汰に過ごしていた山中のスマホが鳴った。
恐る恐る画面を開くと、送られてきたのは一枚の画像だった。
そこには、水族館の青い光の中で照れくさそうに笑う頼人と、その隣で心底楽しそうに破顔する玲明の姿が写っていた。
メッセージには一言、『魚みてーな顔w』と添えられている。
「……なんだ、大丈夫そうだな」
俺は胸を撫で下ろした。
数日前に頼人からあんな話を聞かされ、どうなることかと気をもんでいた。だが、こうして楽しそうにデートをしている写真を見る限り、二人の間には二人なりの折り合いがついているのかもしれない。
俺は二人の歪な関係から目を背けるように、自分へ言い聞かせて安堵した。
この時、俺は甘く考えていた。
これが暴力と支配の間に挟まれる、束の間の穏やかな時間に過ぎないということに、
まだ気づいていなかったのだ。
夜。デートが終わり、それぞれの家に帰宅した後のことだ。
頼人と別れ、自分の部屋へと戻った玲明は、玄関でヒールを脱ぎ捨てるなりベッドへ倒れ込んだ。
静まり返った部屋。昼間の賑やかさが消え、強烈な寂しさが襲ってくる。
彼女はスマホを取り出すと、迷わず山中の連絡先を開き、怒涛の勢いでメッセージを打ち込み始めた。
『あーマジで今日のデート最悪だった』
『頼人って本当に気が利かないしイライラする』
『話もつまらないし、横にいるだけでイライラして吐きそうだったわw』
『やっぱりあいつゴミだわ。早く消えてくんねーかな』
画面を埋め尽くす罵詈雑言。
愚痴を吐き出すことでしか、自分の「歪んだ愛」を誤魔化す術を彼女は知らなかった。
しかし、画面上でどれだけ頼人を貶めようとも、玲明の頭の中を占めていたのは昼間の頼人の笑顔だった。
(……楽しかったな)
スマホを胸に抱きしめ、玲明はベッドの上で小さく丸まった。
自分の言動で頼人が傷つき、怯えるたび、胸が張り裂けそうになる。本当は優しく抱きしめたい。愛していると伝えたい。
けれど、素直になった瞬間に頼人が自分から離れていってしまうのではないかという異常な恐怖が、彼女を支配していた。
支配しなければ、愛されない。
壊さなければ、繋ぎ止められない。
「ねえ、頼人……」
薄暗い部屋で、玲明はぽつりと呟いた。
「お願いだから、ずっと私だけの犬でいてね……」
スマホの画面が暗転し、彼女の歪んだ笑みを冷たく映し出していた。




