第8話 遺跡の奥に眠るもの
王都の大聖堂。
朝の礼拝を終えたアイリスは、いつものように聖堂の掃除を始めようとして――ふと、手を止めた。
「……今日は、お休みでした」
今日は教会の仕事がない。
久しぶりの休日だ。
「そうでした!」
アイリスは嬉しそうに笑った。
「今日は何をしましょう!」
「何もしなくていいんじゃない?」
近くにいたリリーが答える。
「せっかくのお休みなんだから、ゆっくりすれば?」
「そうですね!」
アイリスは頷いた。
「では、冒険者ギルドへ行きましょう!」
「……休みなのに?」
「はい!」
「いや、だから……」
リリーが呆れたようにため息をつく。
「冒険者の依頼も仕事でしょ?」
「教会のお仕事はお休みですよ?」
「そういう問題じゃないと思う」
アイリスは少し考える。
「でも、冒険者として依頼を受けるのは久しぶりですし!」
「……まあ、アイリスがそれでいいなら」
「行ってきます!」
「気をつけてね」
「はい!」
アイリスは笑顔で大聖堂を出ていった。
「……休日って何なんだろう」
その背中を見送りながら、リリーは小さく呟いた。
王都の冒険者ギルド。
朝から多くの冒険者たちで賑わっている。
アイリスは掲示板の前に立ち、ずらりと並べられた依頼書を眺めていた。
「魔物討伐……」
少し興味を引かれる。
「護衛……」
これも悪くない。
「薬草採取……」
そこで、アイリスの目が止まった。
「これにしましょう!」
依頼書を手に取り、受付へ向かう。
「薬草採取ですね」
受付嬢が依頼書を確認する。
「はい!」
「森の奥に生えている薬草の採取です。場所は……」
受付嬢が地図を広げる。
「隣町の教会近くにある森ですね」
「どんな場所ですか?」
「比較的安全な森ですよ。薬草も多く採れるので、初心者向けの採取依頼としてよく利用されています」
「それなら安心ですね!」
アイリスは嬉しそうに頷いた。
「では、お願いします!」
「はい。お気をつけて」
王都を出て、しばらく歩く。
やがて、目的の森が見えてきた。
「ここなら……」
アイリスは森を見渡す。
以前、この森には何度か訪れたことがある。
そして――。
「そういえば、ミロさんがいましたね!」
以前、この森で友達になったケットシー。
もしかすると、今日も会えるかもしれない。
そう思うと、アイリスの足取りは自然と速くなった。
森の中へ入る。
木漏れ日が地面を照らし、鳥たちのさえずりが聞こえてくる。
「気持ちいいですね」
アイリスは深く息を吸う。
教会でのんびり過ごす休日とは、また違った穏やかさだった。
そのとき――。
「……アイリス?」
聞き覚えのある声がした。
「この声は……!」
振り返る。
木々の向こうから、一人のケットシーが姿を現した。
「ミロさん!」
「やっぱりアイリスだ!」
二人は笑顔で駆け寄る。
「久しぶりですね!」
「うん! 今日はどうしたの?」
「冒険者として依頼を受けに来たんです」
「依頼?」
「薬草採取です!」
アイリスが依頼書を見せる。
「ああ、これならこの辺りで採れるよ」
「本当ですか?」
「案内するよ」
「お願いします!」
ミロに案内され、森の中を進んでいく。
「この葉っぱが薬草」
「これですね!」
アイリスがしゃがみ込み、丁寧に採取する。
「こっちは?」
「それは毒草……」
「……危ないところでした」
アイリスは慌てて手を引っ込めた。
「難しいですね……」
薬草と毒草を真剣な顔で見比べる。
「教会では調合された薬を使いますが、自分で採取したことはなくて……」
「じゃあ、今日は勉強だね」
「はい!」
二人で薬草を集めているうちに、やがて必要な量が揃った。
「これで依頼は達成ですね!」
アイリスは採取した薬草を袋へしまう。
「ありがとうございました、ミロさん」
「どういたしまして」
そのまま森を出ようとした――そのときだった。
ふと、アイリスが森の奥へ目を向ける。
「……」
「どうしたの?」
「確か、あちらの方に遺跡がありましたよね?」
「ああ。石造りの遺跡かな」
アイリスは少し考える。
「あの遺跡には、小さな祠があったんです」
「祠?」
「はい。以前訪れたとき、あの辺りに瘴気が溜まっていて……」
アイリスは森の奥へ目を向ける。
「少し、様子を見ておいたほうがいいかもしれません」
「また瘴気が出てるかもしれないの?」
「分かりません。でも……」
アイリスは森の奥を見つめる。
「何か、嫌な感じがするんです」
しばらく考えた後、アイリスは立ち上がった。
「少しだけ確認してみませんか?」
「いいけど……大丈夫?」
「はい。前回は杖しかありませんでしたが、今日はこれがありますから!」
アイリスは背中の黄金のメイスを軽く叩いた。
「……それ、杖より物騒じゃない?」
「そうですか?」
アイリスは不思議そうに首を傾げた。
二人は森の奥へ進んでいく。
やがて、木々の向こうに古びた遺跡が見えてきた。
崩れた石壁。
苔むした柱。
そして、その一角には小さな石造りの祠が残されていた。
「ここです」
アイリスが足を止める。
「前に来たときは、ここに溜まっていた瘴気を浄化したんです」
祠へ近づく。
「……?」
不意に、アイリスの表情が変わった。
「どうしたの?」
「……瘴気があります」
祠の奥。
石壁の隙間から、薄紫色の煙のようなものが微かに漂っている。
アイリスは祠の奥を見つめる。
「でも、前回ここにあった瘴気は、すべて浄化したはずです」
「それなのに……」
薄紫色の瘴気が、ゆらりと揺れた。
「また発生しています」
ミロが不安そうに祠を見る。
「どうするの?」
「もちろん、浄化します」
アイリスは黄金のメイスを背中から下ろした。
意識を集中させる。
「天に坐す神よ。我らの祈りを聞き届けたまえ。
穢れは塵へ、呪いは虚無へ、瘴気は光へ還れ。
この地に聖なる安息をもたらしたまえ――【サンクチュアリ】!」
黄金の光が祠を包み込む。
光に触れた薄紫色の煙が、少しずつ薄れていく。
やがて、祠の中に漂っていた瘴気は完全に消え去った。
「……やっぱり、おかしいです」
「何が?」
「瘴気が残っていただけなら、前回の浄化が不十分だったとも考えられます」
アイリスは祠の奥を見つめる。
「でも、これは違います」
「違う?」
「新しい瘴気が、どこかから流れ込んできています」
アイリスの視線の先。
祠の奥には、長い年月によって崩れ落ちた瓦礫が積み重なっている。
「この奥に、何かあるみたいです」
「でも、行けるの?」
「少し調べてみましょう」
アイリスは瓦礫を一つずつ退かしていく。
そして――。
「……あ」
最後の瓦礫を退けた瞬間、その向こうにぽっかりと黒い空間が現れた。
岩山の内部へと続く、狭い入口。
「洞窟……?」
「はい」
アイリスが中を覗き込む。
その先には、人の手によって掘られたらしい通路が、暗闇の奥まで続いていた。
「こんなところに……」
「瓦礫が入口を隠してたんだ」
ミロが驚いたように呟く。
「たぶん、昔は入口が見えていたんでしょうね」
アイリスは洞窟の壁に手を触れる。
「……かなり古いです」
岩壁には、人の手で削られた跡が残っている。
二人は慎重に奥へ進んでいく。
壁面には、いくつもの古代文字や彫刻が刻まれていた。
「祭祀遺跡……でしょうか」
「祭祀?」
「昔の人たちが、何かを祀るために作った場所だと思います」
さらに奥へ進む。
狭かった通路は次第に広くなり、やがて二人は大きな空間へと出た。
崩れかけた石柱が並び、その中央には古びた祭壇が残されている。
「すごい……」
ミロが息を呑む。
だが、アイリスは祭壇ではなく、そのさらに奥を見ていた。
「……瘴気が、ここからです」
岩壁の一部が、黒く変色している。
近づいてみると、そこには細い亀裂が走っていた。
そして、その隙間から薄紫色の瘴気が絶えず流れ出している。
「この向こうにも空間があります」
アイリスが亀裂へ手をかざす。
間違いない。
瘴気は、この向こうから来ている。
「開けてみます」
周囲の岩を慎重に取り除いていく。
やがて、人一人が通れるほどの隙間が現れた。
その先には、小さな部屋があった。
二人が中へ足を踏み入れた、その瞬間――。
「……何、これ」
ミロの声が震えた。
部屋の中央。
古びた石の台座の上に、それはあった。
――卵。
人の背丈ほどもある巨大な卵が、静かに鎮座している。
その表面には黒紫色の不気味な模様が走り、周囲では濃密な瘴気がゆっくりと渦巻いていた。
「……卵?」
アイリスも驚きを隠せない。
「生き物の卵でしょうか……」
一歩、近づく。
その瞬間――。
バチッ!
「っ!」
目の前で黄金の光が弾けた。
「アイリス!」
「大丈夫です」
アイリスはすぐにメイスを構え直す。
目を凝らす。
卵の周囲を、半透明の膜のようなものが覆っていた。
「結界です」
「瘴気でできてるの?」
「おそらく」
アイリスが浄化の力を込める。
黄金の光が結界へ触れた。
しかし――。
「……!」
光が結界の表面へ広がり、そのまま消えていく。
瘴気の結界には、わずかな揺らぎすら起こらない。
「……解除できません」
「アイリスでも?」
「はい」
アイリスは卵をじっと見つめる。
もう一度試すこともできる。
もっと強い力をぶつけることもできる。
だが――。
「無理に壊すのは危険です」
「どうして?」
「この結界が、何のためにあるのか分かりません」
卵を守るためなのか。
それとも――。
「中にいるものを、閉じ込めているのかもしれません」
「……」
ミロが息を呑む。
アイリスはしばらく卵を見つめた後、ゆっくりとメイスを下ろした。
「ここは一度、戻りましょう」
「え?」
「私たちだけで判断するべきではありません」
もう一度、巨大な卵を見る。
「これは、教会に報告する必要があります」
二人は来た道を引き返していった。
誰もいなくなった祭祀遺跡の最奥。
長い年月、誰にも知られることなく残されていた巨大な卵だけが、瘴気の結界に包まれたまま静かに佇んでいる。
静寂の中――。
その表面が。
ほんのわずかに、脈動した。
日暮れ前。
森でミロと別れたアイリスは、そのまま近くの教会へ向かった。
祭祀遺跡で発見したものを、一刻も早く教会へ知らせるためだ。
事情を説明すると、教会から大聖堂へ伝書鳩を飛ばしてもらうことになった。
「これで、ひとまず大丈夫ですね」
空へ舞い上がった伝書鳩が、王都の方角へ飛んでいく。
「私も急いで戻らないと」
アイリスも王都への帰路についた。
しばらくして――。
王都へ戻ったアイリスは、その足で大聖堂へ向かった。
到着すると、すぐに大司教の執務室を訪れる。
「大司教様、アイリスです」
「入りなさい」
「失礼します」
扉を開ける。
執務室では、大司教とリリーが先ほど届いた報告書に目を通していた。
「ご苦労だった」
「はい」
アイリスは一礼する。
「報告には目を通した。詳しい話を聞かせてくれるか」
「はい」
アイリスは祭祀遺跡で見たことを、一つずつ説明していく。
祠の奥から再び発生していた瘴気。
瓦礫に隠されていた洞窟。
壁に刻まれた古代文字や彫刻。
祭壇。
そして――。
「最奥で、巨大な卵を発見しました」
「卵?」
大司教の手が止まる。
「はい。人の背丈ほどもありました。ただ、普通の生物の卵とは思えません」
「どういうことだ?」
「周囲を濃い瘴気が覆っていました」
その言葉に、大司教の表情が険しくなる。
「瘴気……」
「はい。しかも、卵の周囲には強力な結界が形成されています」
「解除は?」
「できませんでした」
アイリスは首を横に振る。
「浄化を試みましたが、ほとんど影響がありませんでした」
「そうか……」
「ただ、無理に解除することはしませんでした」
「理由は?」
「結界の目的が分からなかったからです」
アイリスは続ける。
「卵を守るための結界なのか、それとも中にいるものを閉じ込めるための結界なのか……。それが分からない状態で壊すのは危険だと判断しました」
「賢明な判断だ」
大司教は静かに頷いた。
「卵そのものについて、何か分かったことは?」
「いいえ。ただ……」
アイリスは少しだけ言葉を選ぶ。
「中に何かがいるような気配は感じました」
「……なるほど」
大司教はしばらく考え込む。
「瘴気については?」
「卵のある部屋が最も濃かったです」
「卵が発生源ということか?」
「そこまでは断定できません」
アイリスは首を横に振った。
「ですが、瘴気はあの部屋から外へ流れ出していました。卵か結界、あるいはあの場所そのものが関係していると思います」
「卵には触れず、そのまま戻ってきたのだな」
「はい」
「それでいい」
大司教は即座に答えた。
「正体の分からぬものを、不用意に刺激する必要はない」
「はい」
「だが――放置もできない」
大司教の声が低くなる。
「古代の祭祀遺跡。その最奥に存在する、瘴気を纏った未知の卵。そして、それを覆う強力な結界……」
机の上に置かれた報告書へ視線を落とす。
「教会として、看過するわけにはいかない」
「では……?」
「改めて調査隊を編成する」
「再調査ですか?」
「ああ」
「私も行きます!」
即答だった。
大司教は少しだけ苦笑する。
「そう言うと思っていた」
「はい!」
「ただし、今回はお前一人ではない」
「?」
大司教が別の書類を取り出した。
「話を聞く限り、内部には狭い通路もあるのだろう?」
「はい」
「大人数を送り込めば、かえって動きづらくなる。今回は少数で向かう」
アイリスは差し出された書類を受け取る。
そこには、見慣れた名前も記されていた。
「アルベルトさんも?」
「ああ。王国騎士団から護衛として同行してもらう」
大司教は続ける。
「聖騎士団からはガルド。そして、教会浄化局から退魔術師を二名派遣する」
「退魔術師……」
「瘴気が関係している以上、専門家は必要だ」
そして――。
「私も同行するわ」
それまで黙って話を聞いていたリリーが口を開いた。
「リリーさんもですか?」
「何が起こるか分からない以上、支援役はいたほうがいいでしょ?」
「確かにそうですね!」
アイリスが力強く頷く。
「これで六人だな」
大司教が確認する。
「それ以上は増やさない。内部の構造が完全には分かっていない以上、大人数での行動は危険だ」
「はい」
アイリスは先ほど歩いた祭祀遺跡を思い出す。
人一人がようやく通れる場所もあれば、祭壇の置かれた広い空間もあった。
戦闘になった場合、大人数では互いの動きを邪魔する可能性もある。
「再調査の目的は二つだ」
大司教が告げる。
「卵の正体。そして、瘴気の発生源の特定」
「はい!」
「ただし、卵の破壊や結界の解除が目的ではない。危険を感じた場合は手を出すな。正体が分からない以上、まずは情報を持ち帰ることを優先しろ」
「分かりました!」
大司教は一度頷いた。
「出発は明朝だ」
「明朝ですか?」
「ああ。今日はもう遅い。今回の調査は危険を伴う。今夜はしっかり休みなさい」
「分かりました!」
アイリスは素直に頷いた。
「それでは、失礼します!」
アイリスが頭を下げる。
「私も失礼します」
リリーも続いて立ち上がった。
「二人とも、今日はゆっくり休むように」
「はい!」
「分かりました」
二人は揃って執務室を出ていった。
扉が閉まる。
静けさを取り戻した執務室で、大司教は一人、報告書へ目を落とした。
そこには、アイリスが記した一文がある。
――卵の周囲に、強い瘴気を確認。
大司教はしばらく、その一文を見つめていた。
「……一体、何が眠っている?」
その答えを知る者は、まだ誰もいなかった。




