第5話 物理系シスター、杖を持つ
不滅なる王の霊廟。
王の間でオシリスと死者たちが安息を得た後も、アイリスは霊廟に留まっていた。
霊廟全体に長年蓄積された瘴気を、完全に浄化する必要があったからだ。
「ここからは、私たちにお任せください」
教会から派遣されたのは、退魔と浄化を専門とする浄化局の聖職者たちだった。
彼らは数人ずつに分かれ、霊廟の各階層へ向かっていく。
「よろしくお願いいたします!」
アイリスは深々と頭を下げた。
「それにしても……」
一人の聖職者が霊廟を見回す。
「よくここまで辿り着きましたね」
「そうでしょうか?」
「ええ。ここはただの墓ではありません。古代王の墳墓ですから」
崩れた石壁。
巨大な石扉。
落とし穴をはじめ、侵入者を阻む様々な仕掛け。
「瘴気やアンデッドの浄化は私たちの専門ですが、こうした物理的な障害への対処は別です」
聖職者の視線が、アイリスの黄金の十字架型メイスへ向いた。
「そういう意味では、あなたが選ばれた理由も分かります」
「なるほど!」
アイリスは嬉しそうに頷く。
その直後。
「……ただ、そのメイスは修理したほうがいいでしょうね」
「…………」
アイリスが手元を見る。
黄金の十字架型メイスには、無数の傷。
十字架の一部には、大きな亀裂まで入っている。
「……頑張ってくれましたから」
「相当、激しい戦いだったのでしょうね」
「……はい」
アイリスは苦笑した。
王都へ戻ると、アイリスはすぐに鍛冶屋へ向かった。
「これを修理していただきたいのですが……」
店主はメイスを受け取ると、しばらく無言で眺めた。
「……おい」
「はい?」
「何を殴った?」
「ドラゴンとか、アンデッドとか、王様とか……」
「最後の何だ?」
「王様です!」
「聞かなきゃよかった」
店主は深いため息をついた。
「こいつは特注品で、かなり特殊な造りだ。修理には数日かかるぞ」
「数日……」
アイリスは寂しそうにメイスを見る。
「その間、武器がありません……」
「普通のシスターなら、武器なんていらねぇだろ」
「私は必要なんです」
「……そうだったな」
店主は少し考える。
「杖でも使えば?」
「杖?」
「ああ。魔法も使えるんだろ? だったら、そのほうが便利だろ」
「なるほど!」
アイリスの顔が明るくなる。
「丈夫な杖はありませんか?」
「鍛冶屋に杖があるわけないだろ」
「……はい」
「杖や魔導書なら魔法店へ行け」
「分かりました!」
店を出ようとするアイリスに、店主が声をかける。
「おい」
「はい?」
「杖は武器じゃないからな」
「……分かっています」
「絶対分かってない顔だぞ」
魔法店。
棚には様々な杖や魔導書が並んでいた。
「すごい……!」
アイリスは目を輝かせる。
「こんなにたくさんあるんですね!」
「聖職者の方でしたら、杖か魔導書を使われる方が多いですよ」
店員が一本の杖を差し出した。
「杖は魔力の流れを整え、魔法の発動を補助します。特に浄化や防御魔法とは相性がいいですね」
「発動も早くなるんですか?」
「ええ」
アイリスは杖を受け取った。
「では、試しても?」
「どうぞ」
アイリスは杖を軽く掲げる。
「【聖光】」
杖の先に、金色の光が灯った。
「……!」
アイリスが目を丸くする。
「本当に早いです!」
「魔力の流れを杖が補助していますから」
「便利ですね!」
続いて――。
「【ディバイン・プロテクション】」
アイリスを中心に、聖なる結界が瞬時に展開される。
「わぁ……!」
アイリスは嬉しそうに杖を眺めた。
「これなら、いざという時も安心ですね!」
「魔導書なら、複雑な術式の補助もできますよ」
店員が革張りの魔導書を差し出す。
アイリスはそれを受け取り、重さを確かめた。
「……こちらも、なかなか」
「魔導書は聖職者が持つことも多いです」
「なるほど……」
アイリスは魔導書をじっと見る。
「……これなら、いざという時に――」
「武器にはなりませんよ」
「まだ何も言ってません!」
こうして、アイリスはメイスの代わりに一本の杖を手に入れた。
その姿は、いつもの彼女とは少し違っていた。
青に金刺繍の法衣。
細身の聖職者用の杖。
背中には魔導書。
巨大な黄金の十字架はない。
「……なんだか新鮮ですね」
「普通のシスターに見えるわよ」
リリーが笑う。
「本当ですか?」
「ええ。今までの姿は、どう見ても普通のシスターじゃなかったもの」
「失礼ですね!」
アイリスは頬を膨らませる。
「私はいつだって立派なシスターです!」
「巨大な十字架を振り回してドラゴンを倒すシスターが?」
「……立派ですよね?」
「まあ、立派ではあるけど……」
そこへ大司教がやってきた。
「アイリス」
「はい!」
「隣街の教会へ、これを届けてほしい」
手渡されたのは、一通の書簡と小さな箱。
「中身は?」
「聖水が二本だ。向こうで使うそうだ」
「お使いですね!」
「ああ。危険な任務ではない」
大司教は穏やかに微笑んだ。
「メイスが修理されるまで、少し休んでくるといい」
「分かりました!」
アイリスは杖を握る。
「それでは、行ってまいります!」
隣街への道。
アイリスは一人で歩いていた。
メイスがないせいか、いつもよりずっと身軽だ。
「……杖って軽いですね」
試しに振ってみる。
ヒュン。
「でも、ちょっと頼りないです」
そんなことを呟きながら歩いていると、やがて隣街が見えてきた。
教会へ聖水と書簡を届けると、アイリスはそのまま帰る予定だった。
「そういえば……」
教会のシスターが困ったように話す。
「最近、この街の周辺で妙なことが起きているんです」
「妙なこと?」
「森の動物が減っているんです」
森に生える木の実や薬草。
小動物。
そして、それを餌にしていた魔物。
最近になって、どれも急激に数を減らしているらしい。
「原因は分かっていないんですか?」
「分かりません。ただ……」
シスターが声を落とした。
「食料を盗む魔物も出ています」
「魔物が?」
「猫のような姿をした魔物です」
アイリスは少し考えた。
「……その子も、食べ物が必要なのかもしれませんね」
その日の夕方。
アイリスは街の外れで、小さな影を見つけた。
「……そこに誰かいますか?」
影が走り出す。
「待ってください!」
アイリスも追いかけた。
細い路地に入り込んだところで、影が振り返る。
「来るな!」
「……喋りました?」
「そこに驚くのかよ!」
猫のような姿。
二本の足で立ち、小さな服を着ている。
「ケットシー……」
「俺を知ってるのか?」
「はい。お話を聞きたいんです」
「どうせ退治するんだろ?」
ケットシーが警戒する。
アイリスは杖を下ろした。
「どうして食べ物を盗んだんですか?」
「…………」
「困っていることがあるんでしょう?」
しばらく沈黙した後、ケットシーが答えた。
「森の食べ物がなくなった」
「どうして?」
「分からない」
ケットシーは悔しそうに爪を握った。
「木の実も、魚も、小動物も減った。だから……」
「街から盗んだんですね」
「ああ」
アイリスは頷いた。
「盗みはいけません」
「……そうだな」
「でも、どうして食べ物がなくなったのかは調べたほうがよさそうです」
ケットシーが顔を上げた。
「……調べてくれるのか?」
「はい!」
「あなた、お名前は?」
「……ミロだ」
「私はシスターのアイリスです。ミロさん、よろしくお願いしますね!」
森の奥。
進むほど、空気が重くなっていく。
「……この辺りですね」
アイリスが杖を握る。
「嫌な感じがします」
やがて木々の向こうに、崩れかけた石造りの遺跡が見えてきた。
その中央には、小さな祠がある。
古代の神を祀っていたものらしい。
しかし今は――。
石の隙間から、黒紫色の瘴気が漏れ出していた。
「これが原因ですね……」
アイリスが呟く。
その瞬間。
「グルルル……!」
森の奥から唸り声が響いた。
一頭。
二頭。
三頭。
瘴気を纏った魔物たちが姿を現す。
「……多いですね」
ミロが青ざめる。
「瘴気に当てられてる……!」
魔物たちが一斉に飛びかかってきた。
アイリスは杖を構える。
「大丈夫です」
最初の一頭の爪を杖で受け流す。
カンッ!
そのまま柄を滑らせ、足を払う。
魔物が地面を転がった。
「なるほど……」
アイリスは杖を握り直す。
「杖でも戦えますね!」
「楽しんでる場合か!」
次の魔物が襲いかかる。
アイリスは身体を回転させながら杖を横薙ぎに振る。
別の一頭を押し返す。
突く。
受け流す。
払う。
杖を棒術のように扱いながら、魔物たちの動きを一体ずつ崩していく。
しかし――。
「……これ以上、強く打つわけにはいきませんね」
瘴気に侵されているだけなら、浄化できる。
力を入れすぎれば、助ける前に傷つけてしまう。
「少し手加減しないと……!」
アイリスは杖を構え直した。
「【サンクチュアリ】!」
聖なる光が広がる。
一体の魔物を包み込み、身体から瘴気が抜けていく。
「よし!」
だが、その間にも別の魔物が迫ってくる。
アイリスは杖で受け止める。
「くっ……!」
浄化している間は、動きが制限される。
その隙を突いて、別の魔物がミロへ飛びかかった。
「ミロさん!」
間に合わない。
その瞬間――。
「――幻惑!」
ミロの姿が消えた。
代わりに、森の中を十数体ものミロが駆け回る。
「こっちだ、馬鹿!」
「えっ!?」
魔物たちは混乱し、幻影を追い始めた。
本物のミロは木の陰から顔を出す。
「今だ!」
「ありがとうございます!」
アイリスは杖を掲げた。
「【サンクチュアリ】!」
光が広がる。
瘴気が一体ずつ消えていく。
やがて最後の魔物が静かに倒れた。
そして――。
そこに、もう瘴気はなかった。
「……元に戻りました」
アイリスが微笑む。
ミロも魔物たちを見つめる。
「殺さずに……助けたのか」
「はい」
アイリスは杖を見る。
「メイスだったら、たぶん……もっと強く殴っていました」
「……怖いな、お前」
「でも」
アイリスは笑った。
「助けられるなら、助けたほうがいいですよね」
残る原因は、森の奥にある古い祠だった。
アイリスは杖を祠へ向ける。
「ここから瘴気が出ています」
「壊すのか?」
「いいえ」
アイリスは首を振った。
「浄化します!」
杖を掲げる。
「天に坐す神よ。我らの祈りを聞き届けたまえ」
「穢れは塵へ、呪いは虚無へ、瘴気は光へ還れ」
「この地に聖なる安息を――」
「【サンクチュアリ】!」
純白の光が祠を包み込む。
黒紫色の瘴気が消えていく。
やがて森を覆っていた重苦しい空気も晴れ、木々の間から柔らかな光が差し込んだ。
ミロは静かに森を見渡した。
「……これで、また食べ物が戻るかな」
「きっと戻ります」
「……そうか」
ミロは少しだけ笑った。
数日後。
街の教会。
「……ケットシーが?」
「ええ」
アイリスは驚いた。
ミロは教会の前で、薬草の入った籠を運んでいる。
「森のことなら詳しいですから。時々、薬草を届けてもらうことになったんです」
「それは頼もしいですね!」
ミロがこちらを見る。
「お前、帰るのか?」
「はい。そろそろ王都へ戻ります」
「……そうか」
ミロは少しだけ寂しそうな顔をした。
「また来るか?」
「もちろんです!」
アイリスは笑顔で答える。
「そのときは、一緒にお茶でも飲みましょう!」
「……考えておく」
ミロはそっぽを向いた。
それでも、その尻尾は嬉しそうに揺れていた。
王都へ戻ったアイリスは、その足で鍛冶屋へ向かった。
「メイス、直りましたか?」
「おう。ほら」
店主が黄金の十字架型メイスを差し出す。
無数に刻まれていた傷も亀裂も消え、以前と同じ輝きを取り戻していた。
「お帰りなさい!」
アイリスは嬉しそうにメイスを抱きしめる。
「やっぱり、これが一番です!」
「……杖はどうだった?」
「便利でした!」
「なら、しばらく杖を使えば――」
「でも、やっぱりこっちが落ち着きます!」
アイリスはメイスを背負う。
そして、ふと隣に置かれた杖へ目を向けた。
「……杖も、ありがとうございました」
「もう使わないのか?」
「いえ!」
アイリスは杖を手に取る。
「これも使います!」
「二刀流かよ」
「はい!」
アイリスは満面の笑みを浮かべた。
「使えるものは、全部使ったほうがいいですから!」
「……お前、少しは賢くなったな」
「そうでしょうか?」
「少なくとも、杖を武器にしようとする前よりはな」
「知らないんですか? 杖も何気に武器になるんですよ!」
「……やっぱり前と変わってないかも……」
こうして――。
アイリスは黄金の十字架と杖を手にして。
いつものように、次の仕事へ向かっていった。




