第4話 不滅なる王の霊廟
大聖堂の大司教執務室に、重苦しい沈黙が流れていた。
アイリスは大司教の前に立っていた。
「不滅なる王の霊廟から、アンデッドが溢れ始めている」
「……あの、骨が動いたり、幽霊がふわふわしたりする、あのアンデッドでしょうか……?」
「そうだ」
大司教は机上の羊皮紙に目を落とした。
「霊廟の最奥には、かつて王国を治めた古代王の遺産――『聖なる宝冠』が眠っている。現在、霊廟に広がる瘴気は、その冠を中心に発生しているらしい」
「聖なる宝冠が、どうして瘴気を……?」
「原因は分かっていない。今回の任務は、アンデッドの浄化、瘴気の発生原因の究明、そして宝冠の回収だ」
アイリスの肩がぴくりと震えた。
「……正直に申し上げますと、私はアンデッドが少し苦手です。骨が動くのも、幽霊も、その……見た目が怖くて……」
胸元の十字架を握り締める。
「ですが、苦しみ続ける魂を放ってはおけません。承知いたしました。必ず皆様を安らかな眠りへお導きいたします」
――その日の夕食時。
リリーは心配そうにアイリスへ声をかけた。
「アイリス、顔色悪いわよ?」
「だ、大丈夫です……アンデッドが少し苦手なだけですから……」
「珍しいわね。ドラゴンを討伐した時は、平然としていたって聞いたのに」
「ドラゴンは殴れば静かになりますから……」
「でも、アンデッドも結局は殴るんでしょ?」
「そ、それとこれとは別なんです!」
それから数日後。
アイリスは砂漠の入口にある都市で案内人と合流し、朝早くラクダで出発した。
砂丘を進むこと二時間ほど。
砂に半ば埋もれた巨大な墳墓が姿を現した。
風化した石像。壁を埋め尽くす古代文字。
そして、長い年月閉ざされてきた石扉。
案内人を外に待たせ、アイリスは石扉へ向かった。
アイリスが両手で押し開く。
ズズズズズ……。
重々しい地響きとともに、扉が開いた。
次の瞬間、内部から凍てつくような死気が一気に噴き出した。
普通の冒険者なら足がすくみ、その場から逃げ出したくなるほど濃密な死の気配だった。
「少し……肌寒いですね」
そう呟くと、緊張した面持ちで霊廟の中へ足を踏み入れた。
◆埋葬の間
「うぅ……暗いですね……」
「【聖光】」
詠唱とともに、頭上へ柔らかな金色の光球が浮かび、通路を照らした。
通路の壁沿いには、巨大な石棺が並んでいる。
「動きません……よね……?」
――そう思った次の瞬間だった。
静寂を破って、重々しい音が響き渡る。
ズズズ……ッ!
壁沿いに並んだ巨大な石棺の蓋が、次々と勢いよく開き始めた。
中から這い出てきたのは、白骨化した手足と不気味に光る眼窩を持つ、数十体ものスケルトンサーヴァント。
「ね、眠ったままでいてくださぁぁい!!」
アイリスは半泣きのまま、黄金の十字架型メイスを勢いよく振り上げた。
「し、失礼しますっ!」
ドゴォォォォン!!
暴風のような圧倒的な一撃が、十数体の骸骨兵を巻き込んで吹き飛ばした。
派手な破壊音とともに骨の群れは一瞬にして弾け飛び、壁へと叩きつけられて粉々になる。
「……こ、これで大丈夫でしょうか……」
胸を撫で下ろしながら、骨の残骸を確認する。
だが――。
カタカタカタカタ……。
砕けた骨片が震え始める。
砕け散ったはずの骨片が、まるで生き物のように蠢き、磁石に引き寄せられるように再び集まり始めた。
「あ、あれ……?」
「倒したはずなのに……骨が勝手に元通りに……!?」
みるみるうちに再生し、再び凶器を構えて迫ってくるスケルトンサーヴァントたち。
「うぅ、ただの攻撃じゃダメみたいですね……! だったら……!」
アイリスは腰のポーチから聖水の入った小瓶を取り出す。
栓を抜き、メイスへ聖水を振りかけて祈りを捧げた。
「清き聖水よ、神の加護をこの武器に宿したまえ」
「――【聖属性付与】」
祈りとともに、淡い黄金の光がメイスを包む。その中で、十字架部分が白く輝いた。
光に怯んだスケルトンサーヴァントたちの動きが、一瞬鈍る。
「今のうちに、動きを止めます!」
アイリスは迫る群れへ踏み込み、メイスを横薙ぎに振るった。
「――インパクト!」
ドドォォンッ!!
メイスが直撃した骸骨兵たちが砕け、後続の群れも衝撃に押し戻される。
十字架が触れた骨から黒い瘴気が弾け、散らばった骨片は震えるだけで、再び集まろうとはしなかった。
再生を止められた骸骨兵たちの動きが止まる。
その隙に、アイリスは胸元で十字を切り、祈りを捧げた。
「天に坐す神よ、我らの祈りを聞き届けたまえ」
「穢れは塵へ、呪いは虚無へ、瘴気は光へ還れ」
「この地に聖なる安息をもたらしたまえ――【サンクチュアリ】」
聖なる光が広がり、動きを止めたアンデッドたちと、周囲に残る瘴気を包み込む。
骸骨兵たちは静かに光となって消えていった。
浄化を終えると、アイリスはその場にぺたりと座り込んだ。
「……やっぱり、怖いです……」
アイリスは、ほんの少しだけ、今回の任務を引き受けたことを後悔しかけた。
しかし、すぐに気を取り直し、霊廟の奥へ進む。
◆巡礼者の回廊
「先が見えませんね……」
【聖光】だけでは、奥まで照らすことができない。
アイリスが回廊へ一歩踏み入れた瞬間――。
カチッ。
床の魔法陣が淡く光る。
「……踏みました」
次の瞬間。
ヒュンッ!
ヒュヒュヒュヒュッ!!
天井や壁の狭間から、無数の矢が放たれた。
「ひゃあああっ!?」
さらに、ガーゴイルが天井から急降下。
正面からはマミーソルジャー。
左右から石像兵。
後方にはスケルトンアーチャー。
まさに全方向からの包囲だった。
「【神速】!」
次の瞬間、アイリスの姿が掻き消えた。
無数の矢が、ほんの一瞬前まで彼女が立っていた場所を通過する。
包囲の外へ抜けたアイリスは、正面から迫るガーゴイルを見上げた。
「まずは上ですね!」
「【飛躍】!」
そのまま壁を蹴り、天井近くまで跳び上がり、ガーゴイルのさらに上を取る。
「失礼します!」
ゴッ!
上空から一撃。
ガーゴイルは床まで一直線に叩き落とされた。
着地した瞬間、マミーソルジャーが包帯を伸ばす。
「きゃっ!?」
一瞬、拘束される。
その隙を狙い、スケルトンアーチャーが一斉射撃。
しかし――。
「【筋力強化】!」
アイリスは包帯をそのまま引きちぎった。
逆にマミーソルジャーを掴み、ハンマー投げのように振り回す。
「ごめんなさい!」
ブンッ!!
マミーが周囲のスケルトンアーチャーや石像兵へ激突する。
ドガガガガガン!!
ボウリングのピンのように、次々と吹き飛んでいく。
最後に残った石像兵。
重量級だけあり、メイスを真正面から受け止めた。
「……硬いですね」
石像兵が拳を振り下ろそうとする。
「それでは、こちらも全力です!」
「――ブレイク!」
ズドォォォォン!!
石像兵は胴体から真っ二つになった。
最後に回廊の奥へ視線を向ける。
「……矢は止まりましたね」
床に散らばる無数のアンデッド。
アイリスは胸元で十字を切り、祈りを捧げる。
「天に坐す神よ、我らの祈りを聞き届けたまえ」
「穢れは塵へ、呪いは虚無へ、瘴気は光へ還れ」
「この地に聖なる安息をもたらしたまえ――【サンクチュアリ】」
聖なる光が広がり、倒れたアンデッドたちは静かに光となって消えていく。
「……どうか安らかに」
◆神官の埋葬区画
地下へ降りると、それまでとは空気が変わった。
石造りの回廊には純白の柱が立ち並び、壁には神への祈りが刻まれている。
天井には小さな採光穴があり、地下にもかかわらず、わずかな光が差し込んでいた。
棺は整然と並べられ、一つ一つに十字架と名前が刻まれている。
その奥には朽ちた長椅子が並ぶ礼拝堂があり、祭壇には黒く変色した十字架が掛けられていた。
ここだけは霊廟というより、静かな礼拝堂のような空間だった。
そこには鎧を着た兵士ではなく、法衣をまとった骸骨や亡霊が静かに祈りを捧げている。
アイリスは思わず足を止めた。
「……神官様、なのでしょうか」
その瞬間、一斉に顔がこちらを向く。
空洞の眼窩に紫色の光が灯った。
「侵入者よ……」
デスカーディナルが低く呟く。
「主への祈りを忘れた愚かな聖職者よ」
アイリスは眉をひそめる。
「違います……あなた方こそ、死霊術によって祈りを歪められているのです」
デスカーディナルは笑う。
「ならば証明してみせよ」
杖を掲げた瞬間、黒い光が礼拝堂を覆った。
アイリスは即座に強化魔法を唱える。
「【筋力強化】!」
しかし、光は一瞬で霧散してしまう。
「なっ……」
アイリスの身体を満たしかけていた強化の力が薄れていく。
強化魔法は礼拝堂の結界に抑え込まれ、アイリス最大の武器である自己強化は、本来の力を発揮できない。
「……っ!」
デスカーディナルが笑う。
「聖なる加護は、この礼拝堂では我らが支配する!」
デスカーディナルが結界を広げる。
その左右には、壁をすり抜け、聖属性魔法を放つカーディナルレイス。
後方ではダークビショップが呪詛を紡ぎ、グレイブビショップが倒れたアンデッドを再び立ち上がらせていた。
アイリスがメイスを振るうも、レイスは実体が薄く直撃しない。
その隙に呪いが飛ぶ。
この霊廟に入って初めて、アイリスの膝が床についた。
「はぁ……っ……やっぱり……アンデッドは苦手です……」
恐怖だけではない。
ここまで魔力を使い続けたため、自己強化も維持できなくなり始めていた。
「違う……倒す相手は、彼らではありません」
祭壇。天井。床。壁。
刻まれた黒いルーンが、礼拝堂を満たす瘴気を結界へ変えている。
「この礼拝堂全体が、彼らを縛る術式になっているのですね」
アイリスは黄金の十字架型メイスを床へ突き立て、祈りを捧げる。
「神よ、我が身に聖なる加護を!――【ディバイン・プロテクション】!」
アイリスを中心に半球状の聖なる結界が顕現し、降り注ぐ呪詛や魔法を弾いてゆく。
「もう……苦しまなくても大丈夫です」
静かに祈る。
「天に坐す神よ。我らの祈りを聞き届けたまえ」
「穢れは塵へ、呪いは虚無へ、瘴気は光へ還れ」
「この地に聖なる安息をもたらしたまえ――【サンクチュアリ】」
黄金の光が礼拝堂全体を包み、黒いルーンが一つずつ消えていく。
デスカーディナルが叫ぶ。
「やめろ!」
「我らはまだ使命を――」
「……もう十分です」
涙ぐみながら、アイリスは祈り続ける。
「皆様は守り続けました。だから今度は、神様がお迎えに来てくださいます」
黒の結界が崩壊する。
彼らの眼窩に宿っていた紫色の光が、穏やかな色へ変わっていく。
「……ありがとう」
光になって消えていく。
礼拝堂には静寂だけが残った。
「ふぅ……」
思わず片膝をつく。
「体力も……魔力も、残りわずかですね……」
「ですが――ここで立ち止まるわけにはいきません」
アイリスは黄金の十字架型メイスを握り直し、静かに最深部への階段を見据えた。
◆最深部「王の間」
静寂に包まれた古代の霊廟。
その最奥――『王の間』。
天井の隙間から差し込む一筋の光が、広大な石造りの広間と玉座を照らしていた。
左右には十メートルを超える巨像。
壁一面には、見たこともない古代文字が刻まれている。
そして玉座に座していたのは――『不滅王オシリス』。
黄金の王冠を戴き、漆黒と金の装束をまとった古代の王。
片手には王笏。
もう片方には鎖付きの鉄球――フレイル。
黄金の仮面の奥で、紫色の瞳が静かに輝いている。
その背後には、もう一つの冠が浮かんでいた。
かつて王家に伝わったという『聖なる宝冠』。
しかし今は、黒紫色の瘴気に覆われていた。
アイリスは王の間へ足を踏み入れる。
コツ、コツ、と小さな足音だけが響いた。
「……ここが、王の間ですか」
「……久しいな、生者よ」
王がゆっくりと立ち上がる。
「我は、この国最後の王。オシリス」
低い声が広間を震わせた。
「永遠に民を守ると誓った者だ」
アイリスは胸元の十字架を握る。
「あなたが、この霊廟のアンデッドたちを?」
「違う」
王が王笏を掲げる。
カタン……。
広間の棺が一斉に開いた。
現れた無数の骸骨兵は、アイリスを襲わず、王の前へ整列して跪く。
「彼らは余の民だ」
王は静かに告げる。
「死してなお、余についてきてくれた民。余は最後まで守る」
アイリスは骸骨兵たちを見つめ、優しく微笑んだ。
「……皆さんは、もう十分頑張ったのではないでしょうか」
そして、静かに告げる。
「そろそろ、お休みしてもいいと思いますよ?」
「休む……だと?」
「はい」
「ならぬ」
王の背後で、宝冠が黒く輝く。
瘴気が王を包み込んだ。
「誰一人、余のもとから失わせぬ」
「生きていようと、死んでいようと――余が守る」
アイリスはメイスを構えた。
「……では、皆さんを眠らせるために戦います!」
「王の敵を討て!」
死者の軍勢が一斉に襲いかかる。
「行きます!」
アイリスが駆け出した。
長槍をかわし、その柄を叩き折る。
「せいっ!」
ズガンッ!
三体の骸骨兵がまとめて吹き飛んだ。
さらに迫る剣をかわし、メイスを振り抜く。
ドゴォン!
二体の骸骨兵が宙を舞う。
だが――。
倒れた骸骨兵たちは、ゆっくりと立ち上がった。
「……」
アイリスがもう一度、メイスを振るう。
吹き飛ぶ。
倒れる。
そして――また立ち上がる。
「……しぶといですね」
何度倒しても、死者たちは立ち上がった。
そのときだった。
骸骨兵が立ち上がるたび、黒紫色の瘴気がその身体へ流れ込んでいる。
アイリスは瘴気の流れを目で追う。
その先にあるのは――王の背後に浮かぶ宝冠。
「……なるほど」
原因は、あの冠だ。
「神に仕える者よ!」
王がフレイルを振り下ろす。
「!」
アイリスはメイスで受け止めた。
ガギィンッ!
凄まじい衝撃に身体が滑る。
王はそのまま踏み込み、フレイルを連続して振るう。
アイリスは紙一重でかわし、その懐へ飛び込んだ。
「――スマッシュ!」
ズガァァァン!
黄金のメイスが王の胸へ叩き込まれる。
巨体が吹き飛び、壁へ激突した。
黄金の仮面に亀裂が走る。
「これで――」
その瞬間。
宝冠から黒紫色の瘴気が噴き出した。
砕けた鎧が修復され、仮面の亀裂まで消えていく。
「……やっぱり」
王が立ち上がった。
「我は不滅だ」
その声とともに、倒れていた骸骨兵たちも再び立ち上がる。
「……困りましたね」
アイリスは少しだけ困った顔をした。
「これでは、いくら殴っても終わりません」
「ならば、力尽きるまで戦うがいい!」
「いえ」
アイリスは首を振った。
「別の方法を考えます」
王が踏み込む。
アイリスもメイスを握り直した。
ガギィン!
武器が激突する。
互いに距離を取った瞬間、アイリスが叫んだ。
「王様!」
「何だ!」
「あなたは本当に、皆さんを守れているんですか?」
「当然だ!」
「でも――」
アイリスは王の背後を指差す。
「あの冠が、全部元に戻してしまっています」
「……!」
「あなたが倒れても、皆さんが倒れても……誰も終われない」
王の動きが止まった。
「それじゃ、誰も休めません」
「…………」
「あなたが本当に守りたいのは、皆さんの『命』だったんですよね?」
王は答えない。
「だったら――」
アイリスは静かに続けた。
「死んだ後まで戦わせることが、本当に守ることなのでしょうか?」
王の手が震えた。
その瞬間、王の背後で『聖なる宝冠』が脈打った。
流れ込んだ瘴気に触れたアイリスの脳裏へ、断片的な光景が流れ込んでくる。
戦火に包まれた王都。
必死に民を守る若き日のオシリス。
そして――。
亡くなった民の手を握りしめる、老いた王。
『……二度と失わぬ』
光景が消える。
王は、背後の宝冠を見つめた。
「……そうか」
紫色の瞳から、濁りが少しずつ消えていく。
「余は……民を守っていたのではない」
震える声で呟く。
「失うことを……恐れていただけだったのだな」
アイリスはメイスを下ろした。
「だから、もう頑張らなくていいんです」
「……」
「最後のお仕事をしましょう」
「最後の……?」
「あなたの民を、今度こそ安らかに眠らせてあげましょう」
王はしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと王笏を下ろす。
「……頼む」
アイリスは微笑んだ。
「お任せください!」
アイリスは静かに神に祈りを捧げる。
「天に坐す神よ」
静かな祈りが王の間に響いた。
「長き眠りについた者たちへ、安らぎを」
「迷える魂を導き、穢れた鎖を断ち切りたまえ」
「そして――この王に、最後の安息を」
「――【サンクチュアリ】」
眩い純白の光が、王の間を満たした。
黒紫色の瘴気が消えていく。
宝冠を覆っていた穢れが剥がれ落ち、黄金が本来の輝きを取り戻す。
そして――。
死者たちが、一人、また一人と光に包まれていった。
骸骨兵が武器を置く。
かつての近衛兵が王へ敬礼する。
誰もが穏やかな光となり、消えていく。
王の身体もまた、黄金の光へ変わっていった。
「……我が民よ」
王は消えゆく臣下たちを見つめる。
「長きにわたり、余についてきてくれて……ありがとう」
そしてアイリスを見る。
「生者よ」
「はい」
「……礼を言う」
アイリスは笑った。
「どういたしまして」
「……不思議な娘だ」
「よく言われます!」
「そうであろうな」
王は静かに目を閉じる。
「では――今度こそ」
黄金の光となり、民とともに天へ昇っていった。
「……おやすみなさい」
アイリスは静かに祈る。
やがて、光が消えた。
あとに残ったのは、静かな王の間。
そして、玉座の前に置かれた『聖なる宝冠』だけだった。
アイリスは宝冠へ近づき、残された瘴気がないことを確かめる。
用意していた白布で丁寧に包み、傷つけないよう荷袋へ収めた。
黄金のメイスを背負い直す。十字架の根元には、細い亀裂が走っていた。
「これで、皆さんもゆっくり眠れますね」
アイリスは満足そうに頷いた。
「……さて!」
くるりと振り返る。
「帰ったら大司教様に報告です!」
そして、広間を見渡す。
何百もの棺。
崩れた玉座。
砕けた石床。
壁には無数の亀裂。
「…………」
アイリスはにっこり笑った。
「お掃除も必要ですね!」
黄金のメイスを背負い直し、アイリスは鼻歌交じりに王の間を後にする。
その背中を、天井から差し込む一筋の光が静かに照らしていた。




