第3話 嵐の前の日常
朝の光が差し込む大聖堂。
青の法衣に身を包んだアイリスは、ステンドグラスを磨くため、重い木製の脚立を片手で軽々と運んでいた。
「ふぅ……今日も良いお天気です!」
そのまま脚立を上り、鼻歌交じりにステンドグラスを磨いていく。
「……普通は三人で運ぶやつなんだけど、その脚立」
下からリリーが呆れたように呟いた。
「アイリスー! 掃除が終わったら聖騎士団への備品配達に行くから手伝ってもらえないかしら? 」
「はい、お任せください!」
掃除を終えたアイリスは、脚立を再び片手で持ち上げる。
「……だから、それ一人で持つものじゃないって」
リリーのツッコミを背に、二人は大聖堂を後にした。
街へ出ると、道行く人々から次々と声がかかる。
「おはようございます、シスター・アイリス!」
「おはようございます!」
アイリスは一人ひとりに優しく微笑み返しながら歩いていく。
その姿は、誰が見ても心優しい聖女そのものだった。
――もっとも。
背中に背負った、身の丈ほどもある黄金の十字架型メイスさえ見なければ。
やがて二人は、王都でも屈指の精鋭が集う聖騎士団へと到着した。
「私は聖騎士団の会計課に用があるから、備品は訓練場のほうに運んでおいてもらってもいいかしら?」
「はい、分かりました!」
リリーはそう言うと、聖騎士団の管理棟へ向かっていった。
一人残されたアイリスは、言われた通り訓練場へと足を踏み入れる。
そこには、甲冑の擦れる音と鋭い掛け声が響き渡っていた。
「構え!」
「突けぇっ!」
何十人もの聖騎士たちが、一糸乱れぬ動きで訓練用の槍を繰り出す。
その身体には、青白い光を帯びた『オーラ』が纏われていた。
生命力と闘志から生み出され、攻防の力を高める戦士たちの技だ。
鋭い突きが、並べられた鉄製の標的を次々と穿っていく。
「皆様、お稽古ご苦労様です!」
朗らかな声が響いた。
その瞬間。
訓練場の空気が、ぴたりと止まった。
「あ、アイリス様……!?」
「例の……ドラゴンの前脚を十字架で受け止め、はじき返したという……」
「本当にあの方なのか……?」
聖騎士たちがざわめく中、人垣を割って一人の男が現れた。
聖騎士団長、ガルド。
巨大な大剣を背負った、歴戦の豪傑である。
「シスター・アイリス。配達ご苦労」
「備品は部下に運ばせる。そこに置いておいてくれ」
「はい!」
アイリスが備品を置くと、ガルドはしばし彼女を見つめた。
「……ところで、シスター・アイリス」
「はい?」
「少し訓練に付き合ってもらえないか?」
「?」
「配下の若手どもに、本物の強さというものを教え込んでやりたくてな」
「えっ、私ですか?」
アイリスは目を丸くする。
「いえいえ、私はただのシスターですので、訓練なんて……」
「シスターだからこそだ」
「……?」
首をかしげるアイリス。
しかし、ガルドの真剣な表情を見て、やがて小さく頷いた。
「分かりました。それでは、お手柔らかにお願いしますね」
アイリスは背中から十字架型メイスを外す。
――ドスンッ!
巨大な金属の塊が地面に置かれ、訓練場の地面が僅かに震えた。
「よし。誰か手合わせを――」
「では、私が!」
名乗り出たのは、若手期待の星と呼ばれる聖騎士だった。
鋭い眼光。
無駄のない立ち姿。
訓練用の剣を構えると、身体から青白いオーラが一気に噴き上がった。
アイリスも魔法を唱える。
「【筋力強化】」
「【金剛加護】」
淡い光がアイリスの身体を包み、そのまま身体へと吸い込まれていった。
「参ります!」
聖騎士が地面を蹴る。
一瞬で間合いを詰め、寸分の狂いもない上段から鋭い一撃を振り下ろした。
対するアイリスは――構えすら取っていなかった。
ただ静かに、メイスの柄を両手で握り締める。
そして。
掃除用のモップでも振るうかのような気軽さで――
横一文字に、フルスイングした。
「――スマッシュ!」
ガァンッ!!
剣とメイスが激突した瞬間、凄まじい衝撃波が訓練場を駆け抜けた。
「うおおおっ!?」
聖騎士のオーラが一瞬で弾き飛ばされる。
その衝撃に身体ごと吹き飛ばされ、聖騎士は十メートルほど後方へ飛んでいった。
幸い、メイスそのものは身体に直撃していない。
それでも地面を何度か転がった聖騎士は、腰を抜かしたまま呆然とアイリスを見つめていた。
「……オーラ・スマッシュ……?」
別の聖騎士が呟く。
「いや、違う……。オーラによる技じゃない……」
「なら、今のは一体……?」
ざわめきが広がる。
アイリスはそんな聖騎士たちを気にも留めず、慌てて倒れた聖騎士のもとへ駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
両手をかざす。
「【治癒】」
暖かな光が聖騎士を包み、地面を転がった際にできた擦り傷が癒えていく。
「ふぅ……大きな怪我がなくてよかったです」
ほっと息を吐くアイリス。
その姿を、聖騎士たちは複雑な表情で見つめていた。
「皆様が使われるオーラは、生命力や闘志から生み出されるものですよね?」
「……ああ」
「ですが、私は戦士ではありません」
アイリスは胸元の十字架をそっと握る。
「私が使っているのは、神様の加護による『神力』です!」
「神力……?」
「はい!」
アイリスは満面の笑みを浮かべた。
「神力は祈りを力へ変えるものです。ですので……こう、ドカンと込めるのです!」
「…………」
「…………」
聖騎士たちの間に、何とも言えない沈黙が流れる中、ガルドが口を開いた。
「恐らく、シスター・アイリスは祈りから生じる神力を、イメージによって武器へ直接込めているのだろう」
「相変わらずの規格外だな、シスター・アイリス」
小さく息を吐きながら、ガルドが歩み寄ってくる。
「……どうだ?」
「はい?」
「君ほどの腕と力があれば、我が団の第一小隊長を任せられる。破格の待遇を約束しよう」
ガルドは真剣な眼差しで告げた。
「聖騎士団へ来ないか?」
アイリスは治療の手を止めた。
そして、ふんわりと柔らかな笑顔を浮かべる。
「お気持ちは嬉しいですが、お断りいたします」
「……そうか」
「私は神に仕えるシスターですから!」
きっぱりと言い切る。
そして、アイリスはそっとガルドに近づくと、小声で付け加えた。
「……それに、聖騎士団の鎧って肩が凝りそうですし……」
「…………」
物陰から様子を見に来ていたリリーが、心の中で呟いた。
(いつも背負ってる十字架メイスの方が重そうだけど……)
――夕暮れ時
アイリスは大聖堂の大司教執務室へ呼び出されていた。
昼間の賑やかさが嘘のように、室内には重苦しい静寂が満ちている。
ステンドグラス越しに差し込む赤い夕陽。
その奥で、大司教が深く腰掛けていた。
「アイリスよ。日々の勤め、ご苦労であるな」
「いいえ。それで、どのようなご用件でしょうか?」
大司教は答える代わりに、机の上へ一枚の羊皮紙を置いた。
「新たな浄化任務だ」
大司教の声が低く響く。
「お前に向かってほしい場所がある」
「……浄化、ですか?」
「うむ」
「教会でも危険視されている場所だ」
大司教は、静かにその名を告げた。
「――『不滅なる王の霊廟』だ」
その言葉を聞いた瞬間、アイリスの笑顔がぴたりと止まった。




