第2話 神の慈愛(物理)
王都の大聖堂。
天井のステンドグラスから七色の光が差し込む静かな回廊に、慌ただしい靴音が響き渡っていた。
「アイリスー! 何よこれは!」
声をかけてきたのは、同僚のシスター・リリーだった。
彼女は両手いっぱいの羊皮紙を抱え直し、ジト目でアイリスを睨みつける。
「何ですか、リリーさん? 裏庭に積まれていた巨石なら、すべて粉砕して片付けましたけれど」
「巨石を粉砕って作業内容からしておかしいんだけど!? そうじゃなくて! 冒険者ギルドからまた速達で『請求書』が届いているのよ!」
リリーは手にした羊皮紙の一枚を、アイリスの目の前にバシッと突きつけた。
「この請求書は何? 『冒険者ギルド床石修理費』……ねえアイリス、貴方また何か壊してきたの!?」
「あ……それは、メイスを少し強く置きすぎてしまいまして……」
「ちょっと!! 討伐報酬から引いておくからねーーーっ!!」
大聖堂の静かな回廊に、リリーの悲鳴のような叱責が響き渡る。
アイリスは「てへっ」と舌を出すと、そのまま脱兎のごとく駆け出した。
「あ、そうだリリーさん! 私、大司教様から次の任務を言い渡されているのを忘れていました!」
「ちょっと、逃げるなー! 任務って何よ!?」
「『霧の慟哭洞窟』の調査です! 近頃、あの洞窟で瘴気が急激に増大し、魔物が活性化しているようなので、教会として原因の調査と、必要であれば浄化を行うことになりました!」
「ちょっと待ちなさい! あそこは最近、凶暴なワーウルフの目撃例も増えている危険な場所よ!?」
「ご安心ください! 瘴気も魔物も、神の御名のもとに綺麗さっぱり『浄化』してまいりますね!」
「浄化(物理)でしょ!? 絶対に力任せに洞窟を崩落させたりしちゃダメだからねーーっ!」
背後から聞こえるリリーの叫び声を背に、アイリスは軽やかな足取りで大聖堂を後にした。
黄金のメイスを背負い、彼女が向かったのは王都の冒険者ギルドだった。
その頃、熱気と人声に満ちたギルドの依頼掲示板の前では、一組の冒険者たちが次の依頼を選んでいた。
「次の依頼は……『霧の慟哭洞窟』中層のワーウルフ討伐にしよう」
冒険者ギルドの掲示板の前で、剣士のアルドは依頼書を剥がした。
「最近、この洞窟は魔物の数が急激に増えています」
受付嬢が少し心配そうな表情を浮かべる。
「ワーウルフだけでなく、大型個体の目撃情報もありますので、決して無理はなさらないでください」
「了解です」
アルドは頷き、仲間へ振り返る。
「ルーシー、ミハエル。行こう」
「うん!」
「はい!」
三人組の冒険者パーティ『宵の明星』は、依頼書を手にギルドを後にしようとした。
その時だった。
「すみません! 『霧の慟哭洞窟』方面の依頼はありますか?」
元気な少女の声が響く。
振り返ると、青に金の刺繍が輝く法衣を纏った少女が受付に立っていた。
そして、その背中には――。
「……でかい」
アルドが思わず呟く。
黄金に輝く巨大な十字架。
……いや、どう見ても鈍器だった。
「大司教様から『霧の慟哭洞窟』の調査を仰せつかりました。せっかくですので、同じ方面の依頼も受けたいのですが」
「今回も教会任務のついでですね」
「はい! 同じ場所なら効率的ですから!」
「同じ洞窟方面になりますと、素材採取の依頼などはいかがですか?」
「ありがとうございます!」
少女――アイリスは嬉しそうに笑うと、偶然目が合った三人へぺこりと頭を下げた。
「皆さんも霧の慟哭洞窟ですか?」
「あ、ああ」
「私はアイリスと申します。教会から洞窟の調査を任されております。どうぞよろしくお願いいたします」
「俺はアルド。この二人はルーシーとミハエルだ」
「よろしくお願いします!」
「お互い神のご加護がありますように!」
屈託のない笑顔だった。
だが、ミハエルの視線は巨大な十字架から離れない。
「その……失礼ですが、その十字架は……」
「武器です!」
即答だった。
「やっぱり」
「神の愛を悪しき者へ平等に届けるための、大切な聖具です!」
「…………」
三人は無言で顔を見合わせた。
(聖職者って、こんな武器を持つものだったっけ……?)
少しだけ変わった聖職者。
それが、三人の抱いた第一印象だった。
だが、その認識すら甘かったことを、彼らはすぐに思い知ることになる。
数時間後――。
深い霧と不気味な岩肌に覆われた『霧の慟哭洞窟』中層。
「くっ……! 敵の数が多すぎる!」
アルドが剣を振るう。
しかし、次から次へと現れるワーウルフの群れは勢いを増すばかり。
その奥では、大型の魔物『バイコーン』が獲物を狙っていた。
「アルド! 前を!」
ルーシーが叫びながら詠唱を始める。
だが、焦りで言葉が乱れ、魔法は発動しない。
ミハエルは最後の【治癒】を放ち終えると、その場によろめいた。
「はぁ……はぁ……もう魔力が……」
その瞬間。
バイコーンが地面を蹴った。
狙いは、無防備なミハエル。
「ミハエル!!」
アルドの叫びが響く。
ミハエルが死を覚悟した、その瞬間――。
「【筋力強化】!」
凛とした少女の声が響いた。
淡い光が少女の身体を包み、そのまま吸い込まれるように消えていく。
直後。
小柄な身体がバイコーンの進路へ飛び込んだ。
黄金の巨大十字架が振り抜かれる。
ドォォォォン!!
轟音が洞窟を震わせた。
バイコーンの巨体が横殴りに吹き飛び、そのまま岩壁へ叩きつけられる。
恐る恐る目を開けたミハエルの視界に映ったのは、壁にめり込んだバイコーン。
そして――。
黄金の巨大十字架を肩へ担ぐ、一人の少女。
「ふぅ。間一髪でしたね。怪我はありませんか?」
「……アイリス、さん?」
ギルドで出会ったばかりの聖職者だった。
「はい! またお会いしましたね!」
その笑顔は、さっきまでと何一つ変わらない。
違うのは――大型の魔物を一撃で壁に埋め込んだ直後だということだけだった。
残ったワーウルフたちが一斉に襲い掛かる。
アイリスは静かに息を吸う。
「【金剛加護】」
強化魔法が発動する。
淡い光がアイリスの身体を包み、そのまま吸い込まれていった。
「さあ、神の慈愛(物理)の時間です」
アイリスが地面を蹴る。
ゴォン!!
振り上げられたメイスが先頭の人狼を捉え、その身体を宙へ跳ね上げる。
続けざまに一歩踏み込み、横薙ぎ。
バキィッ!!
二体のワーウルフがまとめて弾き飛ばされ、岩壁へ叩きつけられた。
だが、まだ多い。
左右から迫るワーウルフを見て、アイリスは黄金のメイスを両手で握り直した。
淡い黄金の光が、巨大な十字架を覆っていく。
「――インパクト!」
ズドォォン!!
黄金のメイスが地面を打ち抜く。
その瞬間――。
凄まじい衝撃が岩盤を伝い、着弾点から放射状に広がった。
迫っていたワーウルフたちが、足元から次々と跳ね上げられる。
岩肌が砕け、砂煙が舞い上がった。
「な……」
ルーシーは杖を取り落とした。
「私の範囲魔法より広い……。あれ、本当に打撃なの……?」
わずか数十秒後。
砂煙が晴れる頃には、魔物は一匹残らず白目を剥いて転がっていた。
「ミハエルさん」
アイリスは優しく手を差し伸べる。
「魔力を使い切ってしまいましたね」
「……はい。僕、聖職者なのに情けなくて」
「そんなことはありません」
アイリスは穏やかに微笑んだ。
「仲間を守ろうとする心は、とても立派です。でも――力なき善意だけでは、大切な人を守れないこともあります」
ミハエルは少しだけ肩の力を抜く。
「ですが、回復ばかりでは魔力は尽きます。傷つかなければ、癒やす必要もありません」
「……え?」
アイリスは黄金の十字架を軽々と持ち上げた。
「だからこそ聖職者は筋肉を鍛え、傷つけられる前に脅威を無力化するのです!」
そして、自信満々に胸を張る。
「それこそが究極の予防医療(物理)です!」
「…………」
沈黙。
「なるほど、これこそが『予防医療』……!」
「ミハエル、納得しないで!? 明らかにおかしいから!」
思わず感動の面持ちで頷きかけたミハエルに、ルーシーが間髪入れずにツッコミを入れた。
アルドもまた、剣を鞘に納める手を止めたまま呆然と立ち尽くしている。
「あ、あの……最近噂になっている『神槌の聖女』って、まさか……」
「あら、そんな大層な異名が? 私はただの迷える子羊を導くシスターですよ♪」
笑顔で首をかしげるアイリス。
だがその足元では、意識を失ったバイコーンの巨体がぴくぴくと震えていた。
説得力が皆無である。
ギルドで抱いた違和感は、間違っていなかった。
目の前にいるのは、可憐な聖職者。
そして同時に、誰よりも前線で敵を粉砕する〝最強の聖職者〟だった。
「とにかく、皆様にお怪我がなくて何よりです! それでは皆様の無事も確認できましたし、私は奥の瘴気の調査に行ってまいりますね!」
アイリスは「それでは、神のご加護を〜!」と、鼻歌でも歌いそうな足取りで歩き出す。身の丈ほどの黄金のメイスを、まるで日傘でも差すかのように軽々と肩に担いで。
その姿は、あっという間に洞窟の曲がり角の向こうへ消えてしまった。
アルドは奥を案内しようとしたが、声をかける前に彼女を見失っていた。
「……アルド、私たちも追おう。聖職者を一人で洞窟の奥へ行かせるのは心配よ」
「……ああ。まずは追いつかないとな」
「瘴気の調査に来たんだし、私たちが案内しないと」
三人は急いで後を追った。だが、疲れた彼らはなかなかアイリスに追いつけなかった。
――数十分後。
洞窟最奥の広場。
「グオオオオオオン!!」
そこには、瘴気を撒き散らしながら暴れ回る、巨大な変異種ワーウルフの姿があった。
その背後には、瘴気の供給源と思われる巨大な紫黒色の結晶が、岩盤から突き出していた。
「やっぱり……瘴気のせいで魔物が凶暴化していたんだ……!」
咆哮を頼りにようやく最奥までたどり着いたアルドたちが物陰から様子を窺うと、広場の中央にはすでにアイリスが立っていた。
「なるほど。あの不吉な結晶が瘴気の源ですね。……皆様、神の教えに従い、穢れは速やかに清めなければなりません」
アイリスはそっと目を閉じ、胸元で祈りを捧げる。
先ほどかけた強化魔法は、すでに効果が切れていた。
「【筋力強化】」
「【金剛加護】」
二つの強化魔法が続けて発動する。
淡い光が幾重にもアイリスの身体を包み込む。
そして、その光は一瞬だけ強く輝くと、溶け込むように彼女の身体へと吸い込まれていった。
「……また自分に強化魔法をかけてる」
ミハエルが引きつった声を漏らす。
広場を満たす重苦しい瘴気に、変化はなかった。
変異種ワーウルフが危機を察知し、凄まじい速度でアイリスへ飛びかかった。
丸太のように太い爪が、少女の頭上へ振り下ろされる。
アイリスは身をひねってその一撃をかわした。爪が地面を砕く。
「神の慈愛は無限ですが――」
生じた隙を逃さず、アイリスは黄金のメイスを大きく振りかぶる。
「――私の忍耐には限界があります!」
ドゴォォォォォン!!!!
轟音が洞窟を揺るがした。
アイリスはその一撃を、変異種ワーウルフへ真正面から叩きつけた。
その巨体は弾丸のように吹き飛び、岩壁へ激突した。
岩盤が砕け、土煙が舞い上がる。
「や、やったのか……?」
アルドが思わず呟く。
その瞬間――。
「ガアアアアアアアッ!!」
土煙の中から咆哮が轟いた。
砕けた岩を押しのけ、変異種ワーウルフがゆっくりと立ち上がる。
全身から紫黒色の瘴気を噴き出している。
その身体を覆う瘴気が、さらに濃さを増した。
「まだ動けるのか……!?」
ミハエルが息を呑んだ。
アイリスは変異種を見つめる。
そして、その視線をゆっくりと背後へ移した。
そこには、紫黒色の瘴気を脈打たせる巨大な結晶があった。
結晶から流れ出した瘴気が、変異種ワーウルフへ吸い込まれていく。
「なるほど……」
アイリスは静かに呟く。
「あの結晶が瘴気を送り続けているのですね。あれをどうにかしない限り、弱らせてもすぐに力を取り戻す、と」
変異種ワーウルフが咆哮を上げ、再びアイリスへ飛びかかる。
だが、アイリスが見ているのは変異種ではなかった。
そのさらに向こう。
瘴気を生み出し続けている巨大な結晶。
「でしたら――」
アイリスは黄金のメイスを両手で握り直した。
「先に、原因を断ちます」
地面を蹴る。
変異種ワーウルフが爪を振り下ろす。
アイリスは身をひねってその一撃をかわした。
狙うのは、変異種の背後にそびえる巨大な瘴気結晶。
淡い黄金の光が、握られた巨大な十字架を覆っていく。
「まとめて――浄化いたしましょう!」
アイリスはかわした勢いのまま、大きく踏み込んだ。
「――スマッシュ!」
ズガァァァァァン!!!!
黄金のメイスが変異種ワーウルフを正面から捉えた。
凄まじい一撃に、その巨体は弾丸のように吹き飛び、背後の瘴気結晶へ叩き込まれた。
轟音。
変異種の巨体が激突した巨大な結晶に、無数の亀裂が走る。
次の瞬間。
変異種もろとも壁の奥へ押し込まれ、瘴気結晶が粉々に砕け散った。
洞窟中に満ちていた瘴気が、わずかに薄れ始める。
変異種ワーウルフの身体を覆っていた紫黒色の瘴気も急速に薄れ、その巨体が力を失ったように崩れ落ちた。
だが――。
終わってはいない。
砕け散った結晶の残骸からは、紫黒色の瘴気がなおも霧のように立ち上っていた。
「……やはり、壊しただけでは瘴気そのものは消えませんね」
アイリスは黄金のメイスを地に立てる。
ここから先は、力任せに叩けばどうにかなるものではない。
ならば――。
今度こそ、聖職者の仕事だ。
アイリスは胸の前で両手を組む。
深く息を吸い、祈りを紡いだ。
「天に坐す神よ。我らの祈りを聞き届けたまえ」
「穢れは塵へ、呪いは虚無へ、瘴気は光へ還れ」
「この地に聖なる安息をもたらしたまえ――【サンクチュアリ】」
アイリスを中心に、柔らかな聖なる光が広がっていく。
地面を覆い、岩壁を照らし、洞窟の奥へ。
残されていた紫黒色の瘴気が光に触れる。
すると、今度こそ瘴気は淡い粒子へと変わり、光へ溶けるように消えていった。
やがて――。
洞窟を覆っていた重苦しい気配が完全に消える。
「ふぅ……。洞窟に残っていた瘴気を、無事に『浄化』できましたね♪」
アイリスは爽やかな笑顔で振り返り、物陰で呆然と口を開けている『宵の明星』の三人に向かってパッと手を振った。
「あ、皆様! 追ってきてくださったのですね! ちょうど今、浄化が完了したところです!」
「……あ、ああ。お疲れ様、アイリスさん……」
アルドは引きつった笑みを浮かべるのが精一杯だった。
「これで瘴気の危険は取り除けました! さあ、街へ帰ってギルドに報告しましょう!」
帰路で依頼されていた素材も手早く採取すると、アイリスは上機嫌にメイスを背負い直した。
その背中を見送りながら、ミハエルはポツリと呟いた。
「ねえ、アルド……僕、明日から筋トレ始めようかな……」
「……ミハエル、お前の目指す聖職者像がズレていってるぞ」
可憐で、頼もしくて、少しだけ(?)常識外れな『物理系聖職者』アイリス。
彼女が通り過ぎた後に残されたのは――。
完全に浄化された洞窟。
粉々に砕かれた瘴気の結晶。
そして――常識まで粉砕された三人の冒険者だった。




