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祝福の拳、救いの手 ~物理系聖職者(シスター)の日常~  作者: みやのやしろ


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第13話 未知なる神力

 数日後。


 王都大聖堂。


「――もう大丈夫です!」


「はいはい」


「本当ですよ!」


「分かったから」


 大聖堂の廊下を歩きながら、リリーが呆れたように答える。


 アイリスはすでに治療室を出ていた。


 アスタロトとの戦いで蓄積した疲労もほとんど抜け、身体にも特に異常は見つかっていない。


 とはいえ。


「まだメイスは禁止だからね」


「……はい」


 アイリスの声が露骨に沈む。


 いつもなら背中にあるはずの黄金の十字架型メイスも、今日はない。


「そんな顔しても駄目」


「何も言ってませんよ?」


「顔が言ってるの」


「もう持てると思うんですけど……」


「駄目」


「少しくらい――」


「駄目」


「……はい」


 しょんぼりと肩を落とす。


 そんなアイリスを連れて、リリーは大司教の執務室へ向かっていた。


 今日呼ばれた理由は一つ。


 祭祀遺跡で起きた一連の出来事。


 そして――。


 アイリス自身に起きた異変について、調査した結果を聞くためだ。


「失礼します」


 執務室へ入る。


 中にはすでに、大司教とライラックが待っていた。


「来たか」


「はい!」


「体調はどうだ?」


「もう大丈夫です!」


「その言葉は信用しないことにした」


「大司教様まで!?」


 思わず声を上げるアイリス。


 リリーが隣で小さく笑った。


「冗談だ」


 大司教はそう言って、机の上に置かれた数冊の本へ目を向ける。


 どれもかなり古い。


 表紙は色褪せ、紙も黄ばんでいる。


「さて。今日呼んだのは他でもない」


 大司教の表情が真剣なものへ変わる。


「先日の件について、調べた結果を伝えておこうと思ってな」


 アイリスも表情を引き締めた。


「『セイクリッド・プロヴィデンス』のことですか?」


「それも含めてだ」


 ライラックが一冊の本を開く。


「まず結論から言います」


 アイリスとリリーが彼を見る。


「『セイクリッド・プロヴィデンス』という名称の術は、確認できませんでした」


「やっぱりないんですね」


「少なくとも、私たちが調べた範囲では」


 教会に残されている退魔術。


 浄化術。


 治癒術。


 そして、神力を用いる古い術式。


 浄化局に保管されている記録だけでなく、大聖堂の古い文献にまで範囲を広げて調べた。


 しかし。


 『セイクリッド・プロヴィデンス』。


 その名を持つ術式は、どこにも記録されていなかった。


「じゃあ……」


 アイリスが首を傾げる。


「どうして私は、その名前を知っていたんでしょう?」


「それが分かれば苦労しません」


「ですよね……」


 ライラックは苦笑する。


「ですが、もう一つの方については、少しだけ手掛かりがありました」


「もう一つ?」


「アイリスさんの身体を神力が巡っていた現象です」


「あ……」


 アイリスは自分の両手を見る。


「何か分かったんですか?」


「完全に同じ事例は見つかっていません」


「そうですか……」


「ただし」


 ライラックの言葉に、アイリスが顔を上げる。


「似た考え方そのものは、古い文献の中に存在しました」


「似た……?」


「神力を身体の外へ放つのではなく、自身の内側へ留めるという考え方です」


 アイリスは少し考える。


「私がメイスに神力を纏わせているのと似ていますね」


「ええ。ですが、あれとも少し違います」


 ライラックが説明する。


「普段のアイリスさんは、自分からメイスへ神力を流している。身体と繋がった状態ではありますが、力を集中させている先はあくまで武器です」


「はい」


「それに対して、古い文献には、神力を自身の内側に留め、身体へ巡らせていたとも取れる記述があります」


「身体に……?」


 アイリスが自分の胸元へ視線を落とす。


「ただ、非常に古い記録です。当時と現在では、神力の扱い方そのものが違っていた可能性もあります。記述も断片的で、具体的な方法までは分かりません」


「じゃあ、私がやったことと同じかどうかは……」


「分かりません」


 ライラックは首を横に振った。


「少なくとも、限界を迎えた身体を神力によって動かした、という記録は見つかっていません」


「……そうですか」


「ですから、あくまで手掛かりの一つです。アイリスさんに起きた現象と同じものだと考えるのは早いでしょう」


 大司教も頷く。


「分からないものを、分かったつもりで扱う方が危険だからな」


「はい」


「そして、その現象と《セイクリッド・プロヴィデンス》に何らかの関係があるのかも分かっていない」


 アイリスは右手を見つめる。


「『セイクリッド・プロヴィデンス』……」


 名前を口にしてみる。


 しかし――。


 やはり何も浮かばない。


「本当に、何も分からないんです」


「何がですか?」


 ライラックが尋ねる。


「使い方です」


 アイリスは自分の手を見つめたまま答える。


「スマッシュやインパクトなら、名前を聞くだけで、どう身体を動かして、どう神力を使えばいいのか分かります」


 自分が使ってきた技なら。


 どのように構え。


 どのように神力を流し。


 どのように振るうのか。


 自然と身体が覚えている。


 だが――。


「『セイクリッド・プロヴィデンス』は、本当に何も分かりません」


 構えも。


 神力の使い方も。


 何をしたのかさえ。


「名前を聞いただけだと……他人の技みたいです」


 その言葉に。


 ライラックの表情が僅かに変わった。


「……他人の技、ですか」


「はい?」


「いえ」


 ライラックは首を横に振る。


「今は、それ以上考えても仕方ありません」


 大司教も頷いた。


「アイリス」


「はい」


「あの時の状態を、自分で再現しようとはするな」


「……はい」


「今の間は何だ?」


「ちょっとだけならできるかな、と……」


「アイリス!」


 リリーが叫ぶ。


「思っただけです!」


「思うな!」


「無茶をするなと言っているんだが……」


 大司教が額へ手を当てる。


「とにかくだ」


 大司教は咳払いする。


「未知の力である以上、安全性が確認できるまでは使用を禁止する」


「分かりました」


 今度はアイリスも真面目に頷いた。


「それから、『セイクリッド・プロヴィデンス』についても同様だ」


「でも、そっちは使おうとしても使えないと思います」


「そうだとしてもだ。無理に思い出そうとしたり、再現しようとしたりする必要はない」


「はい」


 大司教は一度頷き、机の上にある別の報告書へ手を伸ばした。


「そして、もう一つ」


「まだあるんですか?」


「ああ。祭祀遺跡についてだ」


「遺跡を?」


 大司教は報告書を開く。


「現在、祭祀遺跡は浄化局の管理下で封鎖している」


 ライラックが続ける。


「内部は戦闘と崩落によってかなり損傷しています。安全を確保しながら、少しずつ調査を進めています」


「何か見つかったんですか?」


「まだ決定的なものは」


 ライラックは首を横に振る。


「そもそも、あの卵がなぜ祭祀遺跡に存在していたのか。それ自体が分かっていません」


「……確かに」


 アイリスが呟く。


 最初に遺跡を訪れた時。


 祠の奥に、あの卵はあった。


 そして翌日には地下の状況そのものが大きく変化し、瘴気が卵へ流れ込んでいた。


「自然に発生したものなのか」


 ライラックが言う。


「もともとあの場所に存在していたものなのか」


 一度、言葉を切る。


「あるいは――誰かが、何らかの目的で置いたものなのか」


「誰かが……?」


 アイリスの表情が僅かに強張る。


「まだ何も分かっていません」


 ライラックはすぐに付け加えた。


「ですから、現時点では可能性の一つです」


「はい」


「今後も浄化局が調査を続けます」


「では、私も――」


「休め」


 大司教が即答した。


「まだ何も言ってません!」


「調査に参加したいと言おうとしただろう」


「……どうして分かったんですか?」


「分かる」


「分かるわよ」


 大司教とリリーの声が重なった。


「むぅ……」


 アイリスが頬を膨らませる。


「ともかく」


 大司教は報告書を机へ戻した。


「今回の件はこれで終わりではない。だが、少なくとも今のお前がするべきことは一つだ」


「休むこと、ですか?」


「そうだ」


「……はい」


 渋々。


 本当に渋々と。


 アイリスは頷いた。


 執務室を出た二人は、大聖堂の廊下を歩いていた。


「というわけで」


 リリーが言う。


「今日も休みね」


「はい……」


「明日も休み」


「はい……」


「明後日も――」


「それはまだ分からないじゃないですか!」


「少なくともメイスは駄目」


「もう持てます!」


「駄目」


「じゃあ、軽い運動だけでも……」


「駄目」


「散歩は?」


「それくらいなら」


「では冒険者ギルドまで散歩を――」


「駄目」


「どうしてですか!?」


「依頼を見るつもりでしょ!」


「見るだけです!」


「絶対受ける!」


「受けませんよ!」


「本当に?」


「……たぶん」


「駄目」


「そんなぁ……」


 アイリスの肩が落ちる。


 リリーはそんな友人を横目に見て、ため息をついた。


 そして。


 ほんの少しだけ笑う。


「しばらく普通に休みなさいよ」


「普通に……」


 アイリスは難しい顔をする。


「何をすればいいんでしょう?」


「そこから?」


「教会のお仕事も駄目で、冒険者の依頼も駄目なんですよね?」


「そうだけど」


「では……」


 アイリスは真剣に考える。


「筋力訓練なら――」


「駄目!」


 大聖堂の廊下に、リリーの声が響いた。


「……冗談です」


「絶対嘘」


 そんなやり取りをしながら、二人は歩いていく。


 祭祀遺跡で起きた異変。


 アスタロト。


 全身を巡った神力。


 そして――。


 『セイクリッド・プロヴィデンス』。


 分からないことは、まだ数多く残されている。


 だが。


 今すぐ、そのすべてに答えを出す必要はない。


 少なくとも今は。


「リリーさん」


「なに?」


「お腹が空きました」


「……それは普通ね」


「はい!」


 アイリスは嬉しそうに笑った。


「食堂へ行きましょう!」


「それならいいわよ」


 二人は並んで歩いていく。


 こうして。


 祭祀遺跡での戦いは、一旦の終わりを迎えた。

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