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祝福の拳、救いの手 ~物理系聖職者(シスター)の日常~  作者: みやのやしろ


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第12話 残された謎

 ――温かい。


 最初に感じたのは、柔らかな陽の光だった。


 閉じた瞼の向こうから、淡い光が差し込んでいる。


「……ん……」


 小さく声を漏らし、アイリスはゆっくりと目を開いた。


 ぼんやりとした視界。


 見慣れない白い天井が映る。


「……ここは……?」


 身体を起こそうとして――。


「っ……」


 全身に重い疲労感が走った。


 痛いというほどではない。


 ただ、身体の芯まで力を使い果たしたように、腕も脚もひどく重い。


「起きた?」


「……え?」


 聞き慣れた声。


 アイリスが顔を横へ向ける。


 ベッドの傍ら。


 椅子に腰掛けていたリリーが、こちらを見ていた。


「リリーさん……?」


「そうよ」


「ここは……」


「大聖堂の治療室。昨日のこと、覚えてる?」


「昨日……」


 アイリスは瞬きをする。


 ぼんやりとしていた意識が、少しずつはっきりしてくる。


 祭祀遺跡。


 巨大な空洞。


 謎の卵。


 そして――。


「アスタロト!」


 アイリスが勢いよく身体を起こした。


「ちょっ――!」


「アスタロトは!? 皆さんは!?」


「落ち着いて! 大丈夫だから!」


「でも!」


「倒した! 全員無事! だから寝てなさい!」


「……倒した?」


「そうよ」


 リリーがアイリスの肩を押し、ベッドへ戻す。


「アルベルトさんも、ガルドさんも、ライラックさんも、ダリアさんも無事。ちゃんと全員で王都まで帰ってきたわ」


「そう……ですか」


 アイリスの身体から力が抜ける。


「よかった……」


「よくない」


「え?」


 リリーがじっとアイリスを見る。


「全然よくない」


「……?」


「自分が何したか覚えてる?」


「何を……ですか?」


「やっぱり」


 リリーが大きくため息をついた。


「覚えてないのね」


 アイリスは首を傾げる。


「えっと……」


 記憶を辿る。


 アスタロトと戦った。


 何度攻撃しても瘴気が戻ってきた。


 その供給源となっていた巨大な亀裂を、ガルドが破壊した。


 自分はその間、アルベルトと一緒にアスタロトを抑えていた。


 そこまでは覚えている。


 そして――。


「……あれ?」


 アイリスの眉が寄った。


「どうしたの?」


「その後が……」


 思い出そうとする。


 身体が重かった。


 立っていることすら難しかった。


 アスタロトの攻撃を受けて――。


「私……一度、倒れました?」


「一度どころじゃないけどね」


「そうでしたっけ……」


「そうでした」


 リリーが呆れたように答える。


 アイリスはさらに記憶を辿る。


 地面に倒れていた。


 遠くからリリーの声が聞こえていた。


 身体が動かなかった。


 それでも立ち上がって――。


「……そこから、よく覚えていません」


「やっぱりね」


「でも……」


 アイリスは自分の両手を見る。


「なんとなく、身体が動いたような……」


「動いたわよ」


 リリーの声が低くなる。


「動くはずのない身体を、無理やり動かしてた」


「無理やり?」


「神力で」


「……神力?」


 アイリスが目を瞬く。


「私が?」


「そう」


 リリーは自分の身体を指差した。


「メイスじゃなくて、身体の方に神力を巡らせてたの」


「……?」


 アイリスはますます分からないという顔になる。


「私が、ですか?」


「あなた以外に誰がいるのよ」


「でも……そんな使い方、したことありませんよ?」


「知ってるわよ」


 リリーは深いため息をつく。


「だからみんな驚いたの」


 アイリスは自分の腕を見る。


 当然、今は何も起きていない。


 いつもと同じ自分の腕だ。


「神力を……身体に……」


 試すように意識を集中させようとして――。


「やめなさい」


「まだ何もしてませんよ?」


「今やろうとしたでしょ」


「……少しだけ」


「駄目」


「はい……」


 アイリスは素直に手を布団の上へ戻した。


「ライラックさんからも、絶対に試させるなって言われてるから」


「ライラックさんが?」


「そう。あれが身体にどんな影響を与えるのか、まだ何も分からないんだって」


「そうなんですか……」


「そもそも、限界を超えた身体をさらに動かしてたのよ? 安全なわけないでしょ」


「でも、皆さんが無事なら――」


「そういうところ!」


「はい?」


 リリーが額へ手を当てる。


「本当に変わらないわね……」


 アイリスは困ったように笑った。


「でも、本当によかったです」


「……まあ、それはそうだけど」


 リリーも小さく息を吐く。


「全員無事だったのは、本当によかったわ」


「はい!」


 アイリスが笑顔になる。


 その様子を見て、リリーも少しだけ表情を緩めた。


 だが――。


「問題は、もう一つあるのよね」


「問題?」


「覚えてない?」


「何をですか?」


「最後の一撃」


「最後の……」


 アイリスが考える。


「私が倒したんですか?」


「そこから?」


「すみません……」


「謝るところじゃないけど……」


 リリーは椅子へ座り直す。


「最後、アスタロトの瘴気がほとんどなくなったところで、アルベルトさんとガルドさんが隙を作ったの」


「はい」


「それでアイリスがメイスを振り下ろした」


「……はい」


「それでアスタロトが消滅した」


「おお……」


「『おお……』じゃない」


「すごいですね!」


「あなたがやったのよ!」


「そうなんですか!?」


「本当に覚えてないのね……」


 リリーが頭を抱える。


「でも……」


 アイリスは自分の手を見る。


「何か技を使ったんですか?」


「使った」


「スマッシュでしょうか?」


「違う」


「インパクト?」


「違う」


「では、ブレイク……?」


「それも違う」


「……?」


 アイリスが首を傾げる。


「じゃあ、何を使ったんですか?」


 リリーはしばらくアイリスを見つめた。


 そして、ゆっくりと口を開く。


「――セイクリッド・プロヴィデンス」


「…………」


 アイリスが瞬きをする。


「セイクリッド……」


「プロヴィデンス」


「……プロヴィデンス」


「そう」


「…………」


 しばらく考えて。


「なんですか、それ?」


「こっちが聞きたいのよ!」


 治療室にリリーの声が響いた。


「あなたが言ったの!」


「私が!?」


「そうよ!」


「そんな技、私、知りませんよ!?」


「でも言ったの!」


「本当ですか!?」


「私だけじゃない! みんな聞いてるから!」


「そんな……」


 アイリスは本気で困惑していた。


「セイクリッド・プロヴィデンス……」


 もう一度、口にしてみる。


 だが――。


 何も感じない。


 聞き覚えすらない。


 初めて耳にした言葉としか思えなかった。


「……やっぱり、知りません」


「でしょうね」


「リリーさんは知っていますか?」


「知らない」


「ライラックさんなら……」


「知らないって」


「ダリアさんは?」


「知らない」


「では、大司教様なら――」


「それをこれから調べるんでしょうね」


「……なるほど」


 アイリスは納得したように頷いた。


 その様子を見て、リリーが眉をひそめる。


「なんでそんなに他人事なの?」


「だって、覚えていないので……」


「あなたの話よ」


「そうなんですけど……」


 アイリスは困ったように笑う。


 そして、ふと窓の外を見る。


 柔らかな陽光が差し込んでいる。


 昨日。


 自分に何が起きたのか。


 どうして身体が動いたのか。


 なぜ、知らないはずの言葉を口にしたのか。


 何一つ分からない。


「セイクリッド・プロヴィデンス……」


 小さく呟く。


 やはり。


 何も思い出せなかった。




 その日の午後。


 大司教の執務室には、数人の姿があった。


 大司教。


 ライラック。


 ダリア。


 そして、リリー。


 机の上には、祭祀遺跡での出来事をまとめた報告書が置かれている。


「アイリスの様子は?」


 大司教が尋ねる。


「先ほど目を覚ましました」


 リリーが答える。


「身体の方は?」


「疲労は残っていますが、今のところ大きな異常はありません。ただ、しばらく安静にするよう言われています」


「そうか」


 大司教が小さく息を吐く。


「それで……」


 ライラックが口を開いた。


「覚えていましたか?」


「いいえ」


 リリーは首を横に振る。


「途中から、ほとんど覚えていません」


「やはり……」


 ライラックの表情が険しくなる。


「『セイクリッド・プロヴィデンス』についても?」


「まったく」


 リリーが答える。


「名前を教えたら、『なんですか、それ?』って」


「……本人が知らない術を、本人が使った」


 ダリアが呟く。


「それだけではありません」


 ライラックは報告書へ視線を落とした。


「問題は、その直前に起きていた現象です」


 神力を武器へ纏わせる。


 それ自体は、特殊ではあるものの、これまでにもアイリスが行ってきたことだ。


 だが、あの時は違った。


「神力が、アイリスさん自身の身体を循環していました」


 ライラックが言う。


「そして、すでに限界を迎えていた身体を動かしていた」


「治癒ではないのだな?」


 大司教が尋ねる。


「はい」


 ライラックは即答する。


「少なくとも、私にはそう見えました。傷や疲労が回復していたわけではありません。むしろ――」


 一度、言葉を切る。


「身体そのものは限界を迎えたままでした」


「その状態で、神力によって動き続けていた……」


「はい」


 室内が静かになる。


 やがて、大司教が口を開いた。


「そのような神力の使用法に、心当たりは?」


「ありません」


 ライラックが首を横に振る。


「浄化局の記録でも、私は見たことがありません」


「私もです」


 ダリアが続く。


 大司教はしばらく考え込んだ。


「……『セイクリッド・プロヴィデンス』」


 その名を静かに口にする。


「術式としての記録は?」


「現時点では確認できていません」


「そうか」


 大司教が目を伏せる。


 しばらくして。


「ならば、今は結論を出すべきではないな」


 ライラックが大司教を見る。


「分からないものを、分かったつもりで扱う方が危険だ」


「……はい」


「まずは記録を調べろ。浄化局だけではなく、大聖堂に保管されている古い文献も含めてだ」


「承知しました」


 ライラックが頷く。


「それと」


 大司教がリリーを見る。


「アイリスには、あの神力の使い方を試させるな」


「もちろんです」


 リリーは即答した。


「本人にも言ってあります」


「素直に聞いたか?」


「一応」


「一応?」


「言った直後に試そうとしてました」


「……」


 大司教が額へ手を当てた。


 ライラックとダリアも何とも言えない表情になる。


「止めたんだな?」


「当然です」


「ならいい」


 大司教は小さく息を吐く。


「しばらくは安静だ。教会の仕事も、冒険者としての活動も禁止する」


「それがいいと思います」


 リリーが大きく頷いた。


 そして――。


「本人は絶対、『もう大丈夫です!』って言うと思いますけど」


「……言うだろうな」


 誰からともなく、ため息が漏れた。




「――もう大丈夫です!」


「駄目」

「まだ何も言ってませんよ!?」


 翌朝。


 治療室で起き上がったアイリスの前に、リリーが立ちはだかっていた。


 ベッドの横には、綺麗に畳まれたアイリスの法衣。


 そして壁際には――。


 黄金の十字架型メイス。


 アイリスの視線が、ちらりとそちらへ向く。


「駄目」


「まだ見ただけです!」


「持とうとしたでしょ」


「ちょっとだけ……」


「駄目」


「でも、身体の調子もかなり戻りましたよ?」


「昨日まで意識を失ってた人の台詞じゃない」


「一日寝ました!」


「一日しか寝てないの!」


 リリーが腰へ手を当てる。


「大司教様からも命令が出てるから」


「命令?」


「しばらく教会の仕事は禁止」


「えっ」


「冒険者の依頼も禁止」


「ええっ!?」


 アイリスの顔が、この日一番の衝撃に染まった。


「そんな!」


「そんな、じゃない!」


「私、元気ですよ!?」


「信用できない」


「どうしてですか!?」


「『大丈夫です』って言いながら何度も立ち上がって、最後には知らない技を使って倒れた人が何言ってるのよ」


「うっ……」


 反論できない。


「だから、しばらく休むこと」


「……はい」


 アイリスはしょんぼりと肩を落とした。


 その時。


 治療室の扉が叩かれた。


「どうぞ」


 リリーが答える。


 扉が開く。


「失礼します」


 入ってきたのはアルベルトだった。


 その後ろにはガルドもいる。


「あっ、アルベルトさん! ガルドさん!」


「目が覚めたと聞いて、お見舞いに来ました」


「ありがとうございます!」


 アイリスが笑顔になる。


「お二人とも、本当に無事だったんですね!」


「ああ」


 ガルドが答える。


「そっちこそ、起きたなら何よりだ」


「はい! もう大丈夫です!」


「駄目」


 即座にリリーが言った。


「……何が?」


 アルベルトが首を傾げる。


「今、アイリスが仕事に戻ろうとしてたところ」


「ああ……」


 アルベルトが納得したように頷いた。


「それは駄目ですね」


「アルベルトさんまで!?」


「当然でしょう」


「でも――」


「アイリス」


 ガルドが壁際を指差す。


 黄金の十字架型メイス。


「それを持って崩れる洞窟から走った俺の身にもなれ」


「……あ」


 アイリスはメイスを見る。


 そしてガルドを見る。


「重かったですか?」


「重かった」


「すみません……」


「謝るところはそこなの?」


 リリーのツッコミが入る。


 アルベルトが思わず笑った。


 ガルドも小さく息を吐く。


 アイリスは少しだけ頬を膨らませた。


 昨日までの激しい戦いが嘘だったかのように。


 治療室には、穏やかな時間が流れていた。


 けれど――。


 アイリスはまだ知らない。


 自分の身に何が起きたのか。


 なぜ、あの瞬間だけ神力が全身を巡ったのか。


 そして。


 自分自身さえ知らないはずの言葉を――。


 なぜ、口にしたのか。


 ――『セイクリッド・プロヴィデンス』。


 その答えは、まだ誰にも分からなかった。

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