第四話 混迷の初陣
「安成様、まだ意識が混濁していらっしゃるのですか……!」
少女――鶴姫が、縋り付くように航の顔を覗き込む。その瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が溜まっていた。
「……安成? 誰のことだ。俺は村上、航だ。じいちゃんはどこだ? ここは……この船は何なんだ!」
航が混乱のまま叫ぶと、傍らに控えていた筋骨逞しい男が、困ったように頭を掻いた。
その男は、日に焼けた肌に、現代では到底見かけない古びた鎧の胴を付けている。
「何をおっしゃる。お頭は越智安成様、我ら三島水軍の武将にござりましょう。先ほど、敵船が腹に当たった衝撃でひっくり返り、そのまま舳先に頭をぶつけられたのです。どうやら、その拍子に正体を失ってしまわれたか……」
「敵船……? 」
航は震える手で自分の頭に触れた。鈍い痛みが指先に伝わる。視界を巡らせれば、そこには信じがたい光景が広がっていた。
白煙の向こうにひしめき合うのは、無数の木の船だ。それぞれの船には紋が入った旗が翻り、対するこちらの船には、どこかで見たような、けれどより荒々しい紋様が躍っている。
――チリン
再び少女の鈴が鳴る。
「安成様、今は惑うている時ではございませぬ。大内の軍勢が、また、すぐそこまで迫っております。安房兄上が討たれ、あなたが倒れ、私は……私は、もうあなたまで失うわけにはいかないのです」
彼女の手のぬくもりはあまりに熱く、肌を刺す潮風は痛いほどに冷たかった。
これが夢だというのなら、なぜ五感がこれほどまでに鮮明なのか。
鼻を突くのは、火薬の煙と、鼻腔を焼くような潮の匂い。そして、死の予感に震える男たちの汗の臭い。
航は、足元が崩れるような感覚に陥った。
目の前の少女は、自分を「安成」と呼び、絶望の淵で縋っている。
周囲の男たちは、自分を「お頭」と呼び、次の号令を待っている。
「安成様、お願いです。私たちを……この大三島を、お守りください!」
鶴姫の切実な声が、戦場の喧騒を突き抜けて航の胸に刺さった。
状況は一つも飲み込めない。自分が誰なのか、ここがどこなのかさえ定かではない。
しかし、握りしめられた彼女の手の震えだけは、痛いほどに「真実」として伝わってきた。
航は、ふらつく足取りで立ち上がった。
木の甲板を素足で踏みしめる感覚。その瞬間、自分が「村上航」として培ってきた二十七年の常識が、瀬戸内の荒波に飲み込まれていくのを感じた。




