第十六話:苛烈なる猛攻と、果たされる誓い
小原の先陣を壊滅させた勝利の余韻は、瞬く間に吹き飛ばされた。
大三島の沖合、水平線がにわかに黒く染まる。それは先ほどの比ではない、海を埋め尽くすほどの巨艦の列だった。
周防長門の本国より送り込まれた、陶隆房の直系たる水軍主力――。
敗戦の報に業を煮やした大内義隆が、瀬戸内の覇権を完全に掌握すべく投入した、正真正銘の「本隊」であった。
「総数、二百を超えるか……!」
関船の舳先で、航は奥歯を噛み締めた。
小原の軍を破ったとはいえ、三島水軍の消耗も激しい。そこに襲いかかる陶隆房の主力は、まさに絶望的な大津波であった。
「鶴姫様、敵は休む間もなく、この宮浦を三方から包囲する構えです!」
伝令の悲痛な叫びが響く。
「このままでは押しつぶされるぞ」
大内本隊は小原の失敗に学んでいた。狭い瀬戸へは突入せず、圧倒的な物量による外洋からの遠巻きの包囲、そして波状攻撃。潮流の利すらも、数による面的な制圧の前には相殺されつつあった。
だが、三島水軍も孤軍ではない。
この瀬戸内の危機に、能島・因島から駆けつけた村上水軍の精鋭たちが、その卓越した操船技術で大内の包囲網の端を激しく削り取っていた。
さらに伊予から呼応した河野水軍も、弓矢と焙烙で激しい援護射撃を加え、陶隆房の進撃を必死に食い止めている。
瀬戸内の意地をかけた総力戦。しかし、それでもなお、陶の圧倒的な物量は着実に三島の喉元へと迫っていた。
「……鶴。このままでは防戦一方でジリ貧になる。敵の包囲網が完成する前に、中央の一翼を強行突破し、指揮所を叩くしかない」
陣代として前線に立つ彼女へ向けた航の言葉に、鶴姫は紅い衣を強く翻して頷いた。
「望むところです。大山積大神の加護がある限り、我が軍は屈しません。航、共に参りましょう!」
――
激突は、真昼の太陽が海をぎらぎらと照らし出す中で始まった。
前回の比ではない密度の火矢と焙烙玉が、空を覆う黒雲のように両軍の間を行き交う。大気を引き裂く爆音、船体が激突する地鳴りのような衝撃。
航の操船によって、鶴姫の乗る本陣の関船は、敵の包囲網の薄い結節点へと突撃を敢行した。
大薙刀を振るい、次々と敵船の甲板へ躍り出る鶴姫。その凛々しき姿に鼓舞され、三島水軍の兵たちも死兵となって大内の巨船に食らいつく。
「「「うおおおおおお!!」」」
「「「鶴姫様に続けー!!」」」
「右舷から関船二艘、来ます!」
だが、大内軍の物量は執拗だった。
中央を突破せんとする鶴姫の動きを察知した敵の猛将たちが、泥臭い消耗戦を仕掛けてくる。
一艘を沈めれば二艘が、二艘を切り崩せば四艘が、蟻の群れのように群がってきた。
乱戦の中、鶴姫の乗る関船の甲板は、敵味方の入り乱れる凄惨な白兵戦の舞台と化した。
「クソッ、キリがない!!!」
死臭と血煙が視界を遮る。航は刀を血に染めながら、必死に戦況を打開する活路を探していた。だが、目の前の圧倒的な数的優位の前に、徐々に押し流されていく焦燥感が、彼の胸を焦がす。
「鶴! 敵の別働隊が、左舷から――!」
叫んだ瞬間だった。
返り血を浴びながら、前方の敵を薙ぎ払っていた鶴姫。その視界の死角、崩れた帆柱の影から、大内方の執念深い兵が、音もなく跳躍した。
その手に握られた大身の槍が、無防備な鶴姫の背中を、まっすぐに狙う。
「――しまっ!?」
気配に気づいた鶴姫が振り返ろうとするが、激しい立ち回りの直後、わずかに体勢が遅れる。
鋭い槍の穂先が、彼女の華奢な背甲の隙間へと吸い込まれていく。
(……動け、俺の体!)
その時、航の脳裏を過ったのは、かつて心が折れ無気力に生きていた自分だった。だが今は違う。ここには、命をかけて守ると誓った人がいる。あの大楠の下で、永遠を誓い合った人がいる。
理屈ではない。躊躇など、そこには一切なかった。
航は手にした刀を投げ出すほどの勢いで、鶴姫の背中へと身体を投げ出した。
「鶴――っ!!」
ドズリ、と。
鈍く、重い音が、甲板の喧騒を一瞬だけ掻き消した。
「……あ……?」
鶴姫の目が、驚愕に見開かれる。
彼女の視線の先。自分を庇うように抱きすくめた航の胸元から、赤黒い刃の先が、無慈悲に突き出していた。




