第十一話 不器用な献身
それからの航は、自分でも可笑しいほど必死だった。
昨夜の月下での出来事以来、鶴姫の顔をまともに見られなくなった一方で、「彼女を支える」という決意が、空回り気味に熱を帯びていたのだ。
「安成様、それは私が行いますわ!」
昼下がりの屋敷。鶴姫が庭の井戸から桶を引き上げようとするのを、航は全力で制止した。
「いけない、鶴! もし腰でも痛められたら、戦場で薙刀を振るえなくなる。……俺がやろう」
「……ただの水汲みです。以前は『女の仕事だ』と鼻で笑っていたではありませんか」
鶴姫は目を丸くし、それから少しだけ不満げに頬を膨らませた。
彼女からすれば、過保護な世話焼きに変わった「右腕」の豹変ぶりが、面食らうのと同時に少しだけ、もどかしいらしい。
「安成様、昨夜から少し様子が変ですよ。熱でもあるのでは?」
そう言って、彼女がふいになだらかな額に手を伸ばしてきた。航は心臓が口から飛び出しそうになり、思わず一歩後ずさる。
「……っ! 元気だよ。元気すぎて、島を三周くらい走ってこれそうなくらいだ!」
「……そうですか? ならば、稽古にお付き合いいただけますね?」
鶴姫が、悪戯っぽく口角を上げた。
神社の裏手にある修練場。そこでは、三島水軍の精鋭たちが木刀や槍を振るっている。
航は、鶴姫様と向かい合っていた。彼女が構えているのは、女性には重かろうと思われる大薙刀だ。
「安成様、しっかりと踏ん張ってください。我が得物、容赦はいたしません」
鶴姫が低く構え、大薙刀の柄を鋭く払った。
白刃の届く至近距離。だが、互いの呼吸を合わせ、一歩間違えれば大怪我を負うこの間合い。
鶴姫が静かに息を吐き、大薙刀を鋭く振り上げる。
その瞬間、彼女の纏う空気が一変した。少女の柔らかさは消え、一国の命運を背負う鋭利な美しさが立ち上がる。
(……綺麗だ)
航は、その姿に言葉を失った。
自分を律し、逃げ出したい恐怖を押し殺して、重い大薙刀を正確無比に振るうその横顔。
ヒュン、という鋭い風切り音とともに、大薙刀の刃先が航の目の前でピタリと止まった。
肌を刺すような風圧と気迫。航の髪が大きく揺れる。心臓が跳ね上がったが、航は恐怖を忘れるほど、彼女の凛とした瞳に釘付けになっていた。
「どうです、安成様。私の腕は鈍っておりませんでしょう?」
ピタリと得物を止めたまま、鶴姫様が満足げに笑う。その達成感に満ちた笑顔が、夕日に照らされて黄金色に輝いて見えた。
「……すごいな、鶴は」
それは、性急な欲望ではない。彼女が背負う戦いの重さを、少しでも軽くしてやりたい。彼女がただの少女として笑える時間を、一秒でも長く引き延ばしたい。そんな、祈りに似た献身だった。
「さあ、戻りましょう。今夜はカメが美味しい魚の煮付けを作って待っているそうですよ」
鶴姫様は、大薙刀を片付けると、軽やかな足取りで航の隣に並んだ。




