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6話 『本に書いてあったから』で手錠をかけないでください

 「あなたは、どうしてそんなに楽しいの?」


 俺は今、ブラウスのボタンをほとんど外し、白のブラジャーがはっきりと見える天川に馬乗りになられ、下敷きになっている状態だった。


 さらに、両腕と両脚には手錠がはめられたままベッドの角に繋がれた状態で、全く体を動かすことができなかった。


 ……うーん……つまり……どういうこと?


 さすがの俺も、頭の中がかなり混乱していた。

 人生というものは時として予想外の方向へ転がるとはいえ、ここまで意味不明な状況に放り込まれた覚えはない。


 もしかして俺、もう一回死んだのか?

 で、これは何かの悪趣味な夢か何かか?


 そこまで考えて、いやいやいや、と首の中だけで全力否定した。


 仮に死後の世界だとして、目の前に天川がいる理由がない。

 それに妙に感触が生々しい。残念ながら現実味だけは満点だった。


 ……よし、落ち着こう。


 なぜそんなに動揺している、月影《つきかげ》佐助《ようすけ》。

 冷静になれ。まずは冷静になるところからだ。


 こういう場面で思う存分取り乱す役目は主人公だけで十分だ。

 脇役にそこまで期待している者はいない。少なくとも俺ならそんなもの期待しない。


 試しに、これが優人で、自分はそれを横から眺めているだけの立場だと脳内変換してみた。


 ……おお。

 状況だけ切り取れば、なかなかにおいしい。

 見ている分にはだいぶ面白いじゃないか。


 よし。

 冷静になった。


 では次だ。

 次に必要なのは、状況把握だ。


 俺は頭の中で、ここに至るまでの記憶を再生してみることにした。


 放課後。

 優人と別れる。

 そのあと――天川に拉致られた。


 以上、再生終了。


 ……いや待て。


 待て待て待て!

 

 おかしい! いや、絶対におかしいだろ!


 もう一度記憶を辿ってみる。


 放課後。

 優人と別れる。

 天川に拉致られた。


 終わり。


 いや、そこを飛ばすな――!

 肝心なのはその途中だろうが!


 どうやって連れ去られたのか、

 どうして抵抗した記憶がないのか、

 その辺が一番大事だろうが!


 何だこれは。

 途中だけ都合よく切り取られたみたいじゃないか。


 どれだけ考えても答えは出ない。

 俺は天川に拉致られて、今こうして拘束されている。

 

 わかるのはそれだけだった。


 要するに、過程は不明。

 結果だけが目の前にある。


 何なんだ一体。


 だが、いくら現実逃避したところで、腹の上にかかる柔らかい重みと、手首足首を締めつける手錠の感触は、これが間違いなく現実であることを嫌でも教えてくる。


 そして何より――


 俺はそっと視線を上げ、自分の上にいる天川の顔を見た。


 相変わらず、何の感情も浮かんでいない。

 俺が見上げると、天川はわずかに首を傾げ、それから少しだけ身を乗り出した。


 そのせいで、ブラジャーの中に隠された胸の谷間があらわになり、スカートもめくれ上がってパンツが見えそうになっている。


 こんなラブコメじみた役回りは、ぜひとも我らが主人公・神代優人君に任せておいてほしいものだ!


 俺はそれを横から眺めて、ついでに記録して満足する程度の、器の小さい脇役にすぎないのだから!


 そんなに嘆きながらも、俺の男としての本能は仕方なく天川の体を見つめていた。


 眩いほど真っ白な肌と、そこまで大きくはないものの、同年代の少女としてはかなり適切なボリューム感を持つ胸。

 細いウエストと露出したへそ、さらにスカートの間からちらりと誘惑しているように見えるパンツなどは、思春期の少年にとっては決して好ましいものではなかった。


 鋼の理性で暴れ出そうとする男の煩悩を必死に抑え込んでいるが、限界を迎えるまでの時間はそう長くはないだろう。


 だから早くこの状況から抜け出さないと! 俺の活火山が噴火する前に!


 俺はできるだけ平静を装いながら、上にいる青い髪の少女に声をかけた。


「その質問に答える前に、こっちから一つ聞いてもいいか?」


 天川は少しだけ首を傾げた。

 拒否はしないらしい。なら承諾と受け取っておく。


「……どうして、そんな格好をしてるんだ?」


 俺がそう言うと、天川は少しだけ黙り込み、それからいつも通り何の表情も浮かべないまま答えた。


「男の人にお願いを聞いてもらうには、誘惑するのが一番だって。本に書いてあったから」


 何だその偏り切った知識は。


 いやまあ、たしかに美少女にこんな距離で迫られたら、世の男子高校生の大半は正常な判断能力を失うだろう。

 そういう意味では間違っていない。

 間違っていないのだが、色々と間違っている。


 そして天川は一つ、決定的な事実を見落としている。


 しかし、天川が見落としている事実がある。 それは、俺が有象無象の普通の男ではないという事実!


 さまざまなライトノベルや美少女ゲームを嗜んできた身だ。

 当然、その中にはエロゲーもある! 俺のオタク経歴をなめんなよ!


 ふふふ……甘いぞ、天川。

 肉体はどうあれ、心まで思い通りになると思うなよ。


 ここは一つ、脇役の矜持にかけて、この状況を華麗に切り抜けてやるとしよう。


「なるほど。本にそう書いてあったわけか。たしかに理屈としては間違ってない。男にお願いを聞かせるには、有効なやり方ではある」

「そう」

「でも、そこに一つだけ致命的な間違いがある」

「……間違ったの?」


 天川がまた首を傾げる。

 恥ずかしがっている様子もなければ、今の状況のまずさを理解している様子もない。


 本当にどういう育ち方をすればこうなるのか。いや、今はそこじゃない。


 俺はもったいぶるように、ゆっくりと言葉を続けた。


「そう。決定的な間違いだ。それは――」


 天川の大きな目を見返しながら、俺はできるだけ人の良さそうな笑顔を作った。


「俺を拘束したままにしてることだよ。こういうのは、自由があるから意味があるんだ。こんなふうに縛ったままじゃ、せっかくの作戦も台無しだ」


 もちろん、でたらめである。


 だが天川は俺の言葉を疑うでもなく、しばらく黙ってから、また小さく首を傾げた。


「そういうものなの?」


 ……何という恐ろしいほどの無垢さだろう。

 もはや純真を通り越して危うい。

 この調子では、そのうちとんでもない悪人に騙されてもおかしくない。


 まあ、その悪人役を今やっているのがこの俺なのだが。


「そういうものだ。だから、もし本当に作戦を成功させたいなら、まずはこれを外さないと話にならない」

「……逃げない?」

「逃げない逃げない」


 俺はできるだけ誠実そうに見える笑みを浮かべた。

 善人の仮面なら得意分野である。


 天川はしばらく俺の顔を見つめていたが、やがてポケットから鍵を取り出した。


 そして、足首の手錠から順番に外し始める。


 ――かかったな。


 俺は心の中だけで、そっと笑った。

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