5話 脇役に降りかかる理不尽な押し倒しイベント
「……どうしてそんなに楽しそうなの、か」
俺は頬杖をついたまま、窓の外へと目を向けた。
教壇の前では先生が何かを熱心に説明しているが、残念ながらその内容は一文字たりとも頭に入ってこない。
もっとも、入学初日の午後にいきなり本格的な授業が始まるわけでもない。自己紹介だの校内ルールの確認だの、半ばレクリエーションの延長みたいな時間だ。多少意識が別のところへ飛んでいても、大きな問題はない。
だから俺は、春の空という海に浮かぶ雲の舟をぼんやり目で追いながら、昼休みに屋上で起きた出来事を何度も反芻していた。
青い髪の少女。
兎耳のカチューシャをつけた、あまりにも目立つくせに、奇妙なほど無機質な少女。
あいつは会って早々、俺に向かってこう言ったのだ。
『あなたは、どうしてそんなに楽しそうなの?』
……あの、人形みたいな顔で。
まるで、本当にどこかの人形にだけ魂を流し込んで無理やり喋らせているみたいな、そんな不気味さがあった。
そんなやつにあんな問いかけをされれば、こっちとしては色々と考えざるをえない。
問題は、質問の内容そのものよりも、その言い方だった。
どうにも、あれは初対面の相手へ向ける問いには思えなかったのだ。
まるで、以前から俺のことを見ていたみたいだった。
もちろん証拠なんか何もない。
ただの気のせいだと言われれば、それまでだ。
だが、そう片づけるには妙な違和感が強すぎた。
前世の記憶を取り戻してから数年が経つが、少なくともあんな目立つ少女と出会った覚えは一度もない。
中学まで同じ学校だったわけでもないし、どこかで顔を合わせた記憶もない。
今日、この桃源高校に入学して初めて同じ校舎にいるはずの、ほぼ完全な他人だ。
しかも、この俺はこう見えて、周囲の美少女情報にはそれなりに目を光らせてきた人間である。
なにしろ、優人の輝かしいハーレムライフを支える脇役として、ヒロイン候補になりそうな女の子の情報は可能な限り押さえておく必要がある。
必要とあれば、師匠仕込みのちょっとばかりグレーな手段を使ったこともある。
その結果、中学時代には一部で情報屋だの何だの呼ばれていたくらいだ。
だからこそ断言できる。
あんな青い髪に兎耳カチューシャなんていう、全力で自己主張している美少女が近場にいたなら、俺の耳に何の情報も入ってこないはずがない。
……まあ、この学校に関しては話が別だが。
何しろ生徒数が多すぎる。
一学年だけで三千人超。
進学科、芸術科、芸能科、体育科と、各科を全部合わせた膨大な人数を、入学初日から完璧に把握できるはずもない。
そういう意味で言えば、知らないこと自体は不思議ではない。
だが、それでもあの少女の存在感は、どうにも“今まで完全にノーマークでした”で済ませていい感じがしなかった。
――つまり、気持ちが悪いのだ。
名前も知らない。
素性も知らない。
なのに向こうはこっちを知っているように見える。
それが、たまらなく落ち着かない。
ちなみに、あのとき何と返したのかと聞かれれば、ちょうど昼休み終了のチャイムが鳴ったおかげでその場を切り抜けられた、とだけ言っておこう。
脇役としての勘だが、あの場で何を答えても面倒なことになった気がする。
いやあ、本当に絶妙なタイミングで鐘が鳴ってくれて助かった。学校というシステムに感謝したいレベルである。
……しかし。
それで終わりになる保証はどこにもない。
「今日みたいなことが、もう二度と起きないとは限らないんだよな……」
ぽつりと呟く。
そう、そこが問題なのだ。
向こうはどういうわけかこちらに関心を持っている節がある。
しかも、単なる興味本位とも言い切れない、得体の知れない引っかかり方だ。
ならば、こっちもそれなりの備えをしておく必要がある。
俺は先生が黒板に何かを書き始めた隙を見て、机の下でそっとスマホを取り出した。
この桃源高校には、在校生と教職員だけが利用できる半ば閉鎖型のSNSが存在する。
名称は『To Gen Kyo』。どう見ても『桃源郷』をもじっただけの、なんともダサいネーミングだ。
だが、名前はともかくマンモス校ゆえに内部連絡や噂話の流通手段として異様な発達を遂げた、なかなかに便利な代物だ。
新入生の大半はまだその存在すら知らないらしいが、そんなことは俺には関係ない。
使える情報源は、使う。
それだけだ。
ホーム画面を開くと、案の定というべきか、掲示板形式のスレッド群は昼休みの余韻もあって賑わっていた。
その中でも一際伸びているのが、入学初日らしい極めて俗っぽいスレッド。
『新入生美少女ランキング!』
いかにも、である。
ちなみにこのスレッドを立てたのは俺だ。
入学前から拾っておいた各種美少女情報の一部を餌として投下し、上級生どもの反応を見ていたのだが、思っていた以上に食いつきがいい。
そして。
(これは当たりだな)
スレッドを流し見していた指が、ある書き込みのところで止まる。
青い髪。
兎耳カチューシャ。
感情の薄い美少女。
……どう考えても、屋上のあいつだ。
添付されていた写真は遠目から撮られたものだったが、それでも見間違えるはずがない。
あの妙に人形めいた雰囲気は、画像越しでも十分に伝わってきた。
そして、その横に名前があった。
天川笑兎。
「……天川、笑兎」
小さくその名前を口の中で転がす。
笑って、兎で、えと。
なるほど。兎ね。あのカチューシャのまんまか。笑の方はこれ以上ないアンマッチさだったが。
名前が割れたなら話は早い。
あとは帰宅してから調べればいい。
所属クラス、交友関係、過去の経歴、校内での評判。洗えるだけ洗う。
何しろ、俺の脇役ライフを脅かしそうな存在なのだ。
早めに処理方針を決めておくに越したことはない。
見た目だけで言えば、文句のつけようもない美少女だ。
だったら優人のハーレム候補としてうまく流し込む、という手もある。
……が。
「……いや、あれはちょっと違う気がするんだよな」
俺はスマホをしまいながら、小さく眉を寄せた。
美少女ではある。
それは間違いない。
だが、あいつは俺の知っている優人の周囲に自然発生するような、イベントヒロイン的な連中とは、何か根本の匂いが違う。
あいつが見ていたのは優人じゃない。
俺だった。
それが、どうにも気味が悪い。
そんなこんなで考えているうちに時間は過ぎ、放課後がやってきた。
本来なら予定通り、さっさと帰宅して天川笑兎について本格的に調べるつもりだった。
――そのはずだった。
なのに。
「教えて」
すぐ近くで、平坦な声が響く。
視界の端で、青い髪が揺れた。
どうして俺は――――
「あなたは、どうしてそんなに楽しいの?」
――――制服のブラウスのボタンをほとんど外し、半ば裸みたいな格好になっている天川の下に敷かれているんだ……?
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