4話 あなたは、どうしてそんなに楽しそうなの?
新入生は、入学式初日の午前中に授業があるわけではない。
ホームルームでの簡単な説明と、座席の仮決め、教科書や時間割の配布。
それから、細々とした連絡事項を済ませて午前は終わり、あっという間に昼休みになった。
ちなみに、臨時のクラス委員長は桜庭桃花に決まった。
理由はよくわからないが、本人がわりと積極的に手を挙げた結果、特に揉めることもなくそのまま決まってしまったのである。
……朝の一件を見ていた身としては、意外というべきか、なるほどと言うべきか。
少なくとも、人前に立つ度胸はあるらしい。
さて、そんなこんなで昼休みだ。
桃源高校は大学顔負けの広大な敷地を持つだけあって、食堂も購買も複数あるらしい。
だが、俺は入学式の朝に買っておいたパンをすでに食べ終えていたし、今さら人混みの中に突っ込んでいく気にもなれなかった。
適当に窓際の席で頬杖をつきながら、春の陽射しの差し込む校庭をぼんやり眺めていた、そのときだった。
「待て、この覗き魔!」
「白昼堂々と何してんのよ! 捕まえたらそのまま警察突き出すから!」
「誰かあの変態止めてー!!」
「だから誤解ですってば――!!」
窓の外、校庭の端を、紙袋のようなものを頭から被った男子生徒が全力疾走していた。
その後ろを数人の女子がものすごい勢いで追いかけている。
顔は見えない。
だが、わかる。
あれは間違いなく優人だ。
はははははっ! おいおいおい、ほんの二十分ほど目を離しただけで何をやらかしたんだ、あの主役様は!
義理の妹ちゃんの愛情たっぷりの手作り弁当を異様な速度で食い終えたあと、「ちょっとトイレ行ってくる」と言い残して教室を出ていったのが、たしか二十分ほど前。
戻ってこないと思ったら、まさか顔を隠して複数の女子に追われながら校庭を爆走しているとは。
しかも、よく見ると追跡者はじわじわ増えている気がする。
最初は三、四人だったはずが、いつの間にかその後ろにさらに何人か加わっていた。
何をどうすれば、昼休みのたった二十分でああいう絵面が完成するのか。
意味がわからない。
意味はわからないが、だからこそ面白い。
やはりあいつは油断ならない。
十分に予想の範囲内にいるようでいて、たまにこうして軽々とこちらの予想の上を飛び越えていく。
そこがまた、たまらなく愉快だ。
そうだな。主人公はこうでなくては!
まあ、今は無事の帰還を祈っておいてやろう。
何があったのかは、あとでじっくり聞き出せばいい。
ケラケラと笑いながらその追跡劇を見送っているうちに、優人たちの姿は校舎の向こうへと消えていった。
さて。
主役に置いていかれた脇役として、ここで一人寂しく教室に残るというのも俺の趣味ではない。
かといって、あの騒がしい集団を追いかけていくのも骨が折れそうだ。
ならば、余った昼休みを有効活用するとしよう。
せっかくのマンモス学園だ。
歩き回ってみるのも悪くない。
学園イベントの定番スポットといえば、やはり屋上は外せない。
前世で通っていた学校では安全上の都合で常に施錠されていたが、ここはどう見てもラノベや美少女ゲームめいた世界だ。
ならば、屋上が普通に開放されている可能性の方が高い。
そう判断した俺は、適当に校内案内図を確認してから階段を上へ上へと進んだ。
そして予想通り、屋上へと続く扉に鍵はかかっていなかった。
それどころか、そこはただの殺風景なコンクリート空間ではなかった。
簡素ながらもベンチや植え込みが配置され、ちょっとした休憩スペースとしてきちんと整えられている。
春の風も心地よく、見晴らしも悪くない。
なるほど。
たしかに、これは人気が出る。
実際、屋上にはすでに何人もの生徒がいて、ベンチで弁当を広げたり、立ったまま談笑したりしていた。
ただ、まだ入学式当日だからか、新入生らしき姿はあまり見当たらない。
時間が経てば、ここも新たなイベントの温床になるのだろう。
うん、覚えておく価値はある。
さて、次は――そう思って振り向いた、その瞬間だった。
「あ」
「おっと、すみません」
前を見ていなかったわけではない。
だが、ちょうど曲がり角のような位置だったせいで、死角から現れた相手と正面からぶつかった。
ふわり、と青いものが視界をかすめる。
目の前で揺れていたのは、陽の光を受けて鮮やかにきらめく青い髪だった。
それと、その上でぴょこんと跳ねる、兎の耳のようなもの。
……いや、違う。
よく見れば、兎耳風のカチューシャだった。
思わず視線を下ろす。
そこにいたのは、小柄な少女だった。
青い髪に兎耳カチューシャという、なかなか主張の強い格好をしているにもかかわらず、不思議と悪目立ちはしていない。
むしろ問題なのは、その顔だった。
整っている。
整いすぎている。
まるでガラスケースの中に飾られた人形みたいな、作り物じみた美しさ。
だが、何より印象的だったのは、その表情だ。
怒っているわけでもない。
困っているわけでもない。
驚いているわけでもない。
感情らしい感情が、ほとんど浮かんでいなかった。
それなのに彼女は、じっと俺を見ていた。
ただ見ている、というより、観察しているようだった。
しかもかなり執拗に、まばたきすら忘れたみたいに、じっと。
……なんだ、こいつ。
ぶつかったことに腹を立てている様子はない。
謝罪を求める様子もない。
ただひたすら、俺を見ている。
あまりにも反応がなさすぎて、逆に不気味だった。
思わず眉をひそめた俺を前に、その少女はようやく口を開いた。
「あなたは……」
「ん?」
抑揚の乏しい、平坦な声。
表情と同じで、声色にも感情の波がほとんどない。
それが余計に、人形じみた印象を強めていた。
そんな声で、彼女は言った。
俺の脇役としての日常を、大きく揺るがすことになる最初の一言を。
「あなたは、どうしてそんなに楽しそうなの?」
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