3話 ラブコメの神様は初日から実にいい仕事をしている
学園へと続く坂道の両脇では、満開の桜が春の風に揺れていた。
薄桃色の花びらがひらひらと舞い落ちるその光景は、いかにも青春の一ページといった趣で、少しばかり場違いだとわかっていても、胸の奥が妙にそわつく。
俺たちがこれから通うことになる私立桃源高校は、少子化の煽りを受けた近隣の高校をいくつも統廃合した末に、新たに設立された学校だ。
新都市計画に合わせて大規模な学園として整備された結果、その規模はもはや高校の域を軽々と飛び越えている。
全校生徒数はおよそ一万人。
新入生だけでも三千人近いらしい。
当然、そんな馬鹿げた人数を収容できるだけの土地を平地で確保できるはずもなく、学校は山を切り開く形で建てられた。
おかげで駅から続く通学路はゆるやかな上り坂になっているが、それでもこの景色と、坂の上に広がる広大な校舎群を見れば、“世界最大級のマンモス校”などと呼ばれるのも納得だった。
「それにしても、やっぱり人多いな……」
優人が、同じ方向へと流れていく大量の生徒たちを見渡しながら感心したように呟く。
「まあ、聞いてた通りではあるな」
表向きは平静を装って返したが、内心では俺もかなり驚いていた。
道いっぱいに広がる人の流れは、もはや通学というよりちょっとしたイベント会場への入場列だ。
しかもこの世界、髪も瞳もやたらとカラフルなので、ぱっと見ただけでは留学生と日本人の区別すらつきにくい。
赤、青、銀、紫、桃。目に入る色彩の情報量が無駄に多いせいで、余計に人の多さが強調されている気さえした。
まあ、そんな色合いが普通に成立してしまうのが、この世界なのだが。
前方に、山肌へ段々に張りつくように建てられた校舎群が見え始める。
これから始まる優人のハーレム青春と、それを最前列で見守る俺の脇役ライフの主戦場だ。
そう思うと、らしくもなく胸が高鳴った。
◇ ◇ ◇
結論から言おう。
どれだけ巨大なマンモス校であっても、入学式が眠いことに変わりはない。
全校生をまるごと飲み込める規模の大講堂にはさすがに圧倒されたし、壇上で粛々と進む式典には“名門校っぽさ”みたいなものも感じた。
だが、校長のありがたいお話がありがたすぎたせいで、途中から俺の意識は危うくどこかへ旅立ちかけていた。
ちなみに在校生代表と新入生代表は、どちらも文句なしの美少女だった。
そのへんはさすがラノベ的世界観と言うべきか、イベントごとの人選に一切の隙がない。
優人ハーレム予備軍として適性があるかどうかだけは念入りに確認しておいたが、残念ながら式の最中に目立った接点はなし。
まあ、初手からそんな都合よくフラグが乱立しても困る。いや、困りはしないが。
ともかく、入学式は滞りなく終了し、新入生たちはそれぞれ自分の教室へと移動する流れになった。
事前にクラス分けは通知されていたので、教室を探すのに苦労はない。
俺と優人は、いわゆる普通科にあたる進学科の一年A組だった。言うまでもなく運命だ。
これを運命と呼ばずして何と呼ぶのか。
学園の規模が規模だけに、生徒の数も多い。
一クラスあたり五十人弱という、少々イカれた仕様。
故に平坦な長方形の教室ではなく、大学の大講義室みたいな階段式の構造になっていたのだ。
……いや、まあ、生徒数が生徒数だからわからなくもない。
わからなくもないが、全クラスの教室がこんな構造を持ち込むあたり、やはり桃源高校は普通ではない。
担任はまだ来ておらず、席も決まっていない。
クラスメイトたちは思い思いの場所に座り、これから始まる高校生活への期待と不安を胸に、あちこちで小さな会話の輪を作っている。
本来なら、そんな和やかな空気が教室全体に広がって……。
「あ、あの……」
「……なに?」
「いや、その……」
広がって……などいるはずもなく、妙な緊張感が漂っていた。
正確に言うなら、空気が怪しい場所は一か所だけで、周囲の連中は興味津々の顔でその中心を眺めている。
そして、その中心にいたのは――
神代優人。
そして、今朝ラッキースケベの犠牲になった、あのピンク髪の美少女である。
なるほど。
入学式初日のイベントが、そのままクラスメイト再会イベントへ直結するわけか。
うんうん、実に王道だ。 いい仕事をしてくれているぞ、ラブコメの神様!
優人は周囲の視線と、目の前の美少女から向けられる圧を一身に受けて、露骨に居心地悪そうにしていた。
やがて腹を括ったのか、すっと背筋を伸ばすと、そのまま九十度近くまで深く頭を下げる。
「朝は本当にごめん! 事故だったとはいえ、すごく失礼なことしたし……本当に悪かった!」
「え、あ……」
そこまで真正面から謝られるとは思っていなかったのだろう。
少女は一瞬きょとんとしたあと、教室中の視線が自分たちに集まっていることに気づいたらしく、わずかに頬を染めた。
「……はぁ。 いや、別に……。 助けてくれたのに手を上げたのはこっちなんだし……」
言いながら、ふいっと視線を逸らす。
「だから、その……わたしの方こそごめんなさい。 あのときは余裕なかったし」
おお。
ちゃんと自分の非を認められるタイプか。
少しぶっきらぼうではあるが、理不尽に噛みつくだけのタイプではなさそうだ。
その時点で、教室内男子の好感度が目に見えて跳ね上がったのがわかった。
単純すぎないか、こいつら。
彼女は小さく息を吐くと、改めて優人へ向き直った。
「……桜庭桃花。 さっきは、その……悪かったわ」
そう言って、彼女――桜庭桃花は優人へ手を差し出した。
「朝のことは、お互いなかったことにしよ。 ……その、これから同じクラスみたいだし」
口元は笑っている。
だが、目がまったく笑っていない。
要するにあれだ。
“忘れろ”と“蒸し返したら許さない”が絶妙にブレンドされた笑顔である。
もっとも、優人もそのへんの危険信号を読み取れないほど鈍いわけではない。
あいつが鈍いのは恋愛感情方面限定であって、生存本能まで死んでいるわけではないのだ。
「あ、うん。神代優人だよ。こちらこそ、よろしく。桜庭さん」
優人がどこかぎこちなく手を握り返す。
お、いい流れだ。
実にいい流れである。
そして、こういうときにちょっとした追い風を吹かせてやるのが、優秀な脇役というものだ。
「入学初日からお暑いね、お二人さんよ!」
俺が軽く茶化すように言った瞬間、教室のあちこちから「おおー」「ひゅー」などと面白がる声が上がった。
「えっ!?」
「は!? いや、これはそういうことでは……おい、佐助!」
見事なまでの同時反応だった。
繋いでいた手をぱっと放し、優人と桃花が揃ってこちらを見る。
そのまま俺を睨みつけようとしたのだろうが、時すでに遅し。
俺はもう、何食わぬ顔で周囲の人混みに紛れていた。
代わりに優人が見たのは、
“何それ詳しく”と目を輝かせる女子たちと、
“俺たちも桜庭さんと仲良くなりてぇ!”と嫉妬むき出しの男子たちの視線だった。
「うっ……」
優人が情けない声を漏らす。
桃花の方も、耳まで赤くなっていた。
うむ。
入学式イベントの回収としては十分以上だろう。
これでクラス内に“朝から何かあった二人”という認識はしっかり根づいたはずだ。
まずは上々――
――ぞくっ。
その瞬間、不意に背筋を冷たいものが撫でたような気がした。
「……ん?」
反射的に振り返る。
だが、そこにはいつものクラスメイトたちのざわめきがあるだけで、特におかしなものは見当たらない。
……気のせいか?
わずかに眉をひそめた、そのときだった。
「はーい、席についてくださーい。これからホームルーム始めますよー」
間延びした声とともに、担任らしき美人の女教師が教室に入ってくる。
教室の空気が一気に切り替わり、俺の意識も自然とそちらへ向いた。
そして、さっきの妙な寒気も、ひとまず頭の隅へ追いやられることになった。
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