66話 サスケよりヨウスケ
「ふああ……」
GWが終わり、再びやってきた登校日。
キャンプが終わってからも連休は数日残っており、その間すっかり自堕落な生活に浸っていたせいで、今日は見事に寝坊した。
普段なら余裕を持って家を出るところだが、今朝ばかりはそうもいかない。
その結果、優人と一緒に登校することもできず、俺は一人寂しく通学路を歩く羽目になっていた。
なんという悲劇。
共に登校するという、親友兼脇役の役目すらちゃんと果たせないとは情けない。
脇役ではない俺なんか、ただの眼鏡にすぎないんだぞ!
だがまあ、悪いことばかりではない。
普段なら天川あたりがどこかで待ち伏せしていそうなものだが、さすがに遅刻はしたくないのだろう。
今日は、あのポンコツ兎耳の姿も見当たらなかった。
その事実だけで、俺の心にはささやかな平穏が訪れていた。
たまにはこうして一人で登校するのも、そこまで悪いものではないのかもしれない。
そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか教室の前まで来ていた。
教室の扉を開けると、いかにも陽キャグループです、と全力で主張しているような一団のうち一人が、俺に気づいて軽く手を振った。
「あ、佐助っち、おっはー」
社会生活において、挨拶とは重要なもの。
ゆえに俺も、彼女へきちんと挨拶を返すことにした。
「ああ、おはよう。――その他クラスメイトA」
「ええー、何その呼び方。ひどくない? ていうか、(ギャル)って何? ダッサー」
「うっせい。人の名前をわざと間違って呼ぶ奴など、その他クラスメイトで十分だ。(ギャル)を付けてやっただけ感謝しろ」
「えー、別にいいじゃん。ヨウスケって名前より、サスケの方が絶対かっこいいし」
その他クラスメイトAの発言に、近くにいた他のクラスメイトたちも同意するように頷いた。
「確かにそうだよな」
「月影君、変なところにこだわるよね」
「というか、何でヨウスケって読むの? 普通にサスケじゃないの? ヨウスケって、なんか地味だし」
外野がやかましいわ。
地味? 大いに結構!
それこそ脇役が持つべき誇り高きアイデンティティ!
俺は、佐助という名に込められた哲学を理解できないクラスメイトたちの姿に、深くため息を吐いた。
確かに俺の名前である佐助は、普通に読めば「さすけ」になる。
むしろ「ようすけ」と読む方が変だ。
というか、多分そんな読み方なんて俺しかいない。
両親がいったいどういう経緯で、佐助という字に「ようすけ」という読みを与えたかまでは知らない。
だが、個人的にはこの読み方をこれ以上ないほど気に入っている。
佐助。
そう読むと、どこか主役級の響きがある。
まあ、ぶっちゃけ忍者とか。
この世界に前世と同じような忍者の漫画はないけど、それでも「さすけ」っていう名前はどこか主人公か主役っぽい。
だが、佐助ならどうだ?
平凡。
地味。
どこにでもいそう。
連想される単語からもう最強ですよ。
最強の脇役、エキストラなんですよ!
ここに苗字を合わせるとどうなるか。
月影佐助。
全力で脇役主張する素晴らしい名前の完成だ。
影に生きる脇役として、これ以上にふさわしい名があるだろうかいや、ない!
日本人の名前というものは、同じ漢字でも読み方が自由すぎる。
時には、同じ日本人であってもルビがなければ読めないことが多々ある。
だが、今はその日本特有の懐の深い名前システムに感謝している。
とにかく、そういうわけで俺は「ようすけ」という呼び方を愛していると言ってもいいくらいには満足しているのだ!
「俺は佐助という名前に満足しているんだ。放っとけ」
他人の名前にケチをつけるクラスメイトたちを背に、俺は優人の隣の席へ移動した。
「ああ、佐助。おはよう。結構ギリギリだけど、まだ休みボケが抜けてないんじゃないか?」
「なーんだ、遅刻はしなかったのね。おはよう、ヨウスケ」
談笑していた優人とエリナが、こちらに気づいて挨拶をしてくる。
さすが幼馴染ーズ。
わざと名前を間違えて呼んでくるエキストラどもとは天と地ほどの差がある。
「おお……心の友たちよ!」
感動で胸がいっぱいになった俺は、そのまま二人を抱きしめようと両手を広げて近づいた……が。
「朝からくっつくな」
「何してるのよ! 気持ち悪い! セクハラよ!」
二人は同時に俺の顔面を押し返し、明確な拒絶の意思を示した。
……嘆かわしい。
この胸から溢れ出る感動を共有したかっただけだというのに。
優人についてはともかく、エリナにこれ以上絡むと本当にセクハラとして警察沙汰になりかねない。
俺は大人しく自重することにした。
しょんぼりと肩を落としながら、優人の隣の席に座る。
ちょうどそのタイミングでチャイムが鳴り、エリナは自分の席へと戻っていった。
――さて。
今日も一日、脇役として頑張るとしますか。
◇ ◇ ◇
真面目に授業を受けて、優人を観察していたらあっという間に放課後になった。
今日は優人が彩花ちゃんと一緒に買い物をして帰るらしく、俺たちは別々に帰ることになった。
まあ、どうせすぐに家へ帰ったところで、特にやることがあるわけでもない。
ならば、適当に学園内で時間を潰してから帰るのも悪くないだろう。
そして俺には、こういうときによく立ち寄る場所がある。
「ほう。なるほど。そういう観点からキャラクターを分析するとは、実に斬新だな。さすがだ、博士」
「むふふっ! ツキ公こそ、一度でこの深みを理解するとは、さすがと言わざるを得ませんなぁ。むふふふっ!」
俺たちはほぼ同時と言ってもいいタイミングで、すっと眼鏡を押し上げた。
目の前にいるのは、やや丸みを帯びた体型に、外見とは不釣り合いなほど濃厚なオーラをまとった男。
通称、博士。
二次元とサブカルチャーの世界を何よりも愛し、夢も希望もない現実世界の冷酷さと孤独に立ち向かい続ける、歴戦の勇者。
俺が認める、数少ない人物の一人だ。
まあ、要するにオタク友達というやつだ。
優人はそういう方面にまったく関心がない。
だからこそ、博士のようにオタク趣味を共有できる存在がいることは、俺にとってかなりありがたいことだった。
俺と博士は互いに見つめ合い、同志にしか分からない深い交感を交わしながら笑みを浮かべる。
「くくくっ!」
「むふふっ!」
周囲の生徒たちは、そんな俺たちを避けるように距離を取って通り過ぎていった。
もちろん、周囲の反応などいちいち気にしない。
博士の底知れぬ探究欲と、予想を軽々と超えてくる知見は、前世を含めてもなお圧倒的と言っていい。
博士と比べれば、俺などアニメやゲームを少し嗜んだくらいの平凡な一般人、いや、凡夫にすぎない。
俺は確信している。
博士はいつか、サブカルチャーの歴史にその名を大きく刻む偉人になるだろうと!
「まだ見ていないなら、一度は見ることをおすすめしますぞ。ツキ公なら、きっと気に入るはずですからな。――おっと、そろそろ帰らねば! 嫁たちがこの身を待っておりますゆえ! では、ツキ公。またいずれ」
「ああ、博士。嫁たちにもよろしく伝えておいてくれ」
博士の言う嫁たちとはもちろん、二次元の嫁たちだ。
博士のそういう姿に偏見を持つ者も、きっと少なくないだろう。
だが、俺は思う。
本人が幸せなら、それで十分なのだと。
さて。
俺もそろそろ帰るとしよう。
そうやって少し足を運んだところ。
周囲の人間が距離を置いている空間が目に入った。
まあ、簡単に言うと――
「マイ・スイート・ハニー。どうか、その幾千の星を閉じ込めたような深い瞳に、僕の姿も映しておくれ」
「ああ、ダーリン! ダーリンのその逞しい腕で、もっと強く私を抱きしめて! 愛してるわ!」
「僕も愛しているよ、ハニー。絹糸のように柔らかな髪も、深い宇宙を宿した瞳も、さくらんぼのように艶めく唇も。ああ、こんな芸術作品を、僕だけが独占してしまっていいのだろうか!」
「もっと独占して! 私のすべては、ダーリンのためだけにあるんだから!」
「ハニー!」
「ダーリン!」
――絵に描いたようなバカップルがいた。
台詞の一つ一つが、バターでコーティングされた舌で顔面を舐め回されているような濃厚さと、胃もたれを起こしそうな甘ったるさで満ちている。
よくもまあ、あんな台詞を平然と吐けるものだ。
どれほど面の皮が厚ければ、あそこまでいけるのだろうか。
平凡なる俺には、とても真似できそうにありませんな。
二人が作り出す桃色空間に耐えきれなかった周囲の生徒たちは、早足でその場から離れていった。
あんたたち、人通りのある場所のど真ん中で何をしているんだ!と問い詰めたい気持ちもある。
とはいえ、別に直接的な迷惑をかけているわけではない。
ただ二人だけの世界に閉じこもっているだけだ。
ならば注意するより、こちらが避けるのが一番だろう。
見ているだけで、存在しないはずの糖尿病が持病として定着しそうな気分になる。
できることなら関わりたくない。
なるべく視界にも入れたくない。
だが、実に残念なことに、家へ帰るにはこの道を通らなければならなかった。
俺はため息を無理やり飲み込み、覚悟を決めて歩き出す。
俺が横を通り過ぎる間も、二人の鳥肌が立つような愛情表現は続いていた。
精神衛生上よろしくないため、詳細な描写は割愛する。
そうして二人の隣を通り過ぎ、桃色空間から命からがら脱出した俺は、ようやく安堵の息を吐いた。
「はあ……」
そこで、ふと思った。
(……そんなにいいのかねぇ)
見ているだけで胸焼けしそうな光景だった。
それなのに、なぜだろう。
べったりと寄り添い、周囲に見えないハートを撒き散らしているような二人の姿が、妙に頭の奥にこびりついて離れなかった。
面白いと感じていただけましたら、反応をいただけますと励みになります。




