65話 キャンプ最後の夜
楽しい時間ほど早く過ぎる、とはよく言ったものだ。
あれこれと騒動もあった二泊三日のキャンプも、気づけば終わりが近づいていた。
明日は昼頃に帰れるよう、朝にはここを出る予定である。
つまり、今夜が実質的なキャンプの大団円というわけだ。
現在時刻は、午後八時を少し回ったところ。
水遊びを終えた俺たちは、男女に分かれてシャワーを浴び、シルヴィアさんと石澤先生が用意してくれた夕食を楽しんだ。
一足先にロッジで休んでいた久木先輩も含め、皆、遊び疲れていたのだろう。
昼食以上の勢いで夕食を平らげたあと、後片付けまで終えると、いよいよ本格的にやることがなくなった。
大学生の集まりなら、ここで酒でも飲んでどんちゃん騒ぎを始めるところだ。
しかし、残念ながら俺たちは健全なる高校生集団。
しかも教師の監視つき。
堂々と酒を飲めるはずもない。
まあ、仮に監視がなかったとしても、酒に興味を示す不良生徒は、この場では俺くらいだった気もするが。
健全に青春を楽しむ模範的な連中ばかりである以上、多少の刺激不足は仕方ない。
そんな状況で、シルヴィアさんと石澤先生から提案されたのが、花火だった。
聞くところによると、犬井先輩がもともと準備していた荷物の中には、花火は含まれていなかったらしい。
だが、シルヴィアさんが料理に必要な材料を買い足しに町へ出た際、ついでに手持ち花火のセットを買ってきてくれたとのことだった。
ついで、というにはあまりにも手際がいい。
まるでこうなることを見越して、先手を打っていたようにしか思えない。
まったく、有能にもほどがある。
そうして始まった、キャンプ最後の夜を飾る花火大会。
大きなバケツに水を張り、手持ち花火に火をつける。
しゅう、と小さな音を立てながら、色とりどりの火花が夜の闇に尾を引いた。
俺はその中から線香花火を一本選び、火を移す。
普段の俺なら、花火を無駄に振り回したり、誰かの花火にわざと近づけたり、その他もろもろの可愛らしい悪戯に勤しんでいたことだろう。
だが、今日はさすがに遊び疲れていた。
ゆえに今は、手元の線香花火をぼんやり眺めながら、平和なひとときを楽しむことにする。
「ちょ、ちょっと! 笑兎ちゃん、そんなふうに振り回したら危な――きゃあっ!」
「エトちゃん、ストップ! 危ない! 危ないから!」
「?」
「きゃああっ! シルヴィアさん! 笑兎ちゃんを止めてください!」
「ふふ。ご安心ください。周囲に燃え移りそうな火種は、すべてこちらで処理しておりますので。さあ、笑兎お嬢様。追加の手持ち花火です」
「ん」
「ええー!? そういう問題!? というか追加って……きゃああああっ!」
……視界の端で、常識という概念を母親の腹の中に置き忘れてきたような愚か者が、手持ち花火を何本も持ってぶんぶん振り回している姿が見えた気がした。
いや、これはきっと疲労が見せた幻覚か何かだろう。
気にしないことにした。
そこに巻き込まれている犬井先輩やエリナ、そしてなぜか状況を悪化させているように見えるシルヴィアさんの姿も見えた気がする。
だが、幻覚をいちいち気にしていては身が持たない。
俺は幻覚が見えた方向から、できるだけ遠い方へ視線を向けた。
偶然にも、そこには有栖川と彩花ちゃんの姿があった。
「世慕先輩。今度のお茶会には参加されますか?」
「お茶会? ……ああ、そういえば中等部と高等部の生徒会が合同で主催する交流会が、そろそろありましたね。そうですね……昨年は参加しておりませんでしたが」
「でしたら、ぜひ今回は参加していただきたいです。時期的に中間考査の前ですし、参加者が少ないかもしれないと、生徒会に所属している友人が心配していまして……世慕先輩が参加してくだされば、今回のお茶会はきっと大盛況になります!」
「……彩花さんは、いつもそうやって大げさにおっしゃいますね。けれど、そうですね。彩花さんのお願いでしたら」
上品に座り、花火を眺めながら楽しそうに会話をしている二人のお嬢様。
にしても、お茶会、ね。
日常生活ではまず耳にしない単語が自然に飛び出すあたり、やはり中高一貫のお嬢様学校は格が違う。
あの二人が通うお嬢様学校は、伝統と格式で有名な女子校だ。
桃源高校からもそう遠くないため、下校時刻になると校門付近をちらちらと眺める男子生徒の姿を見かけることもあるらしい。
もちろん警備は厳重らしく、敷地内に潜入した勇者はいまだ現れていないという噂だが。
しっかしこの二人、本当に仲睦まじいことで。
まあ、いいことだ。
別の方へ視線を向けると、今度は久木先輩と石澤先生という、これまた妙な組み合わせの二人が会話をしていた。
「久木さん。特待生はこの時期、特に大変だって聞くけど大丈夫なのぉ? ごめんねぇ、由奈ちゃんのわがままに付き合わせちゃって」
「いえ、心配されるほどではありません。犬井については……何だかんだで、私もいろいろ世話になっていますから。このくらいなら」
「まあ。ありがとう、久木さん。ふふ、今の言葉、由奈ちゃんが聞いたらきっと喜ぶわよぉ」
「……面倒なことになりそうなので、秘密にしてください」
「うーん。どうしようかしらぁ」
「本当に! お願いしますから! 余計なことは言わないでください!」
久木先輩は、何だかんだで犬井先輩との仲も悪くないらしい。
まあ、デレ隠しなのか犬井先輩にはそれを伝えたくないみたいだが。
それより二人の会話で出てきた単語が気になった。
特待生。
桃源高校には、特待生制度というものが存在する。
学業成績だけではなく、特定分野での突出した能力や社会的な功績を認められた生徒に対し、単位の一部認定や学費免除といった特別待遇が与えられる制度だ。
総生徒数一万人に届く超巨大マンモス校である桃源高校でも、その特待生の数は十人に満たないと言われている。
だが、その実態について把握している人は殆どいない。
選考条件や単位認定の方法は妙に不透明で、詳しい内容も謎に包まれているのだ。
桃源高校は、なぜかセキュリティシステムまで無駄に最新式かつ洗練されていて、隙を探すのがかなり難しい。
師匠なら簡単に調べられそうな気もするが――わざわざ久木先輩の情報を探るために頼るのも違う気がするし。
かといって、自力で本気になって調べるほどの動機もない。
つまり、久木先輩や特待生については、まだ分からないことが多いというわけだ。
まあ、今のところ特に害はない。
なら、深く踏み込む必要もないだろう。
そんなふうに、消えかけていく線香花火を眺めながら、何となく頭の中で情報を整理していたときだった。
手に持っていた手持ち花火をバケツの水に入れ、残り火を消した優人が俺の隣に腰を下ろした。
「佐助。お前にしては珍しく辛気臭い顔して、何してるんだ?」
「ははは。優人、この野郎。俺様をただ馬鹿みたいに騒ぎを起こすことだけ考えている迷惑野郎扱いとは、いい度胸だな」
「ん? その通りだろ?」
「……そういう真剣な顔で真面目に答えられると、何も言い返せなくなるな」
優人のくせに、ずいぶん生意気になったものだ。
幼い頃、泣きながら「佐助お兄ちゃん!」と俺の後ろを追いかけてきた可愛かった優人は、もういないということか。
寂しいものよ。
まあ、捏造された記憶だけど。
会話はそこで途切れた。
優人はそのまま後ろへ寝転がり、空を見上げる。
俺も何となくそれに倣って、地面に仰向けになった。
視界いっぱいに、都会では決して見ることのできない、星々に満ちた夜空が広がっている。
最後にこうして夜空を眺めたのは、いったいいつだっただろうか。
そんな感傷的な気分になるのも、キャンプという非日常がもたらす空気に酔っているからなのかもしれない。
「……なあ、優人」
「ん?」
「キャンプ、楽しかったな」
「そうだな」
短い問答。
だが、それだけで、長い時間を友人として過ごしてきた俺たちには、互いの感じたものが伝わったはずだ。
……伝わっていたらいいな、と思った。
「ユウトー! 何してるの! 早くこっちに来なさいよ!」
「優人君! こっちこっち!」
「お兄様、まだ花火は残っていますよ」
エリナと犬井先輩、そして彩花ちゃんが優人を呼んでいた。
その近くには、他の皆も集まって、キャンプ最後の夜を彩る花火を楽しんでいる。
まあ、これはなかなか悪くない光景と言っていいのかもしれない。
「ああ。今行くよ! 佐助、お前はどうする?」
「俺はいい。水遊びで疲れたうえ、誰かさんに木っ端微塵に敗れた心の傷がまだ癒えていないのでな」
「そうか。それはよかったな」
「親友への気遣いという概念をどこに置いてきた、貴様」
優人は小さく笑うと、自分を呼ぶ三人の方へゆっくりと歩いていった。
俺はその背中を静かに見送り、もう一度、空へと視線を戻す。
夜空は、さっきと変わらず綺麗に瞬いていた。
地上で俺たちがどれだけ騒ごうと、そんなことは些細なことだと言わんばかりに。
昔も、今も、これからも。
きっと、あの星空だけは変わらないのだろう。
――そうして、キャンプ最後の夜は、静かに深まっていった。
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