64話 変わったこと、変わらないこと
昼食を終えた後も、水遊びは続いた。
優人と潜水勝負をすれば、その後、当然のように優人と犬井先輩のラッキースケベが発生し。
優人と泳ぎで競えば、勝負を終えて水辺へ向かった優人と彩花ちゃんのラッキースケベが発生し。
優人と飛び込み芸術で競えば、なぜか優人とエリナのラッキースケベが発生した。
まったく。
久しぶりに脇役の観察欲求を限界まで満たしてくれる、まさに神回を詰め合わせた特集番組。
危うく尊死するところだったぜ。
ここまでラブコメ濃度の高い一日など、長年親友役をやっている俺としても初めてだ。
ここまでくると、満腹を通り越して、もはや消化不良を起こすレベルだ。
ちなみに、優人との各種勝負は、ことごとく俺の敗北として歴史に刻まれた。
もう、無残な敗北って言葉すら生ぬるいくらいの敗北っぷりだ。
身体を使う勝負で優人に勝てるなどとは、最初から思っていない。
思ってはいなかったが、ここまで完膚なきまでに叩きのめされると、むしろ清々しいまである。
はははは!
……。
……はい。清々しいとか、嘘でした。
そりゃ悔しいですよ。ええ、悔しくてたまらないくらいに。
何ですか?
文句ありますか?
あぁん?
まあ、優人のラブコメを観察できたことで、脇役として満たされたのは確かに事実だ。
だが、それはそれ。
勝負ごとで負けたものは負けたものとして非常に悔しい。
優人の奴、少しくらい手加減してもいいのではないだろうか。
むしろ、普段の鬱憤をここぞとばかりに晴らすつもりなのか、やたら本気で挑んでくるものだから、こちらとしてはどうしようもなかった。
何が、「普段はいろいろ佐助にやられっぱなしだからな。こういうときくらい、ぎゃふんと言わせないと」だ!
その程度、親友同士の微笑ましい戯れとして流してしまえ!
器の小さい男め。ちっ!
特に飛び込み芸術勝負など、本当に紙一重の敗北だったから余計に悔しい。
俺の飛び込みは、後世に語り継がれてもおかしくないほど完璧な計算と動作によって構成されていたはずなのだ。
最後の瞬間、眼鏡が外れたせいで一瞬バランスを崩すという痛恨の失策さえなければ!
こういうときばかりは、眼鏡キャラという属性が恨めしくて仕方ない。
――とまあ、そんな個人的な不満はともかくとして。
思いきり遊んだ、という事実に変わりはない。
身体はぴちぴちの高校生だとしても、精神年齢はおじさんのまま。
身体が精神に引っ張られるのか。
精神が身体に引っ張られるのか。
そのあたりはよく分からないが、少なくとも俺の場合は、身体の方が精神に振り回されている気がする。
体力的にはまだ余裕があっても、精神が先に限界を迎えると、こうして――
「燃えたよ……燃え尽きた……真っ白にな……」
指一本動かすのも億劫になるほどの倦怠感が、全身を包み込んでしまう。
精神年齢を忘れてはしゃぎすぎた反動が、じわじわと押し寄せてきていた。
気づけば、空の色は少しずつ夕方の気配を帯び始めているころだ。
俺は岩場に腰を下ろしたまま、いまだ水遊びを楽しんでいる、身体も心も青春真っ盛りな優人と少女たちをぼんやりと眺める。
ああ……すごいな。
これが若さか。
この兄さんには、お前たちの若さが眩しすぎるよ。
そんなふうに若さを目撃し、俗世にまみれた汚れた根性が強制的に洗い流されていくのを感じていた、そのときだった。
ぴたり。
「うおおっ!? 冷たっ!?」
突然、首筋のあたりに、背筋が凍るほど冷たい感触が触れた。
俺は思わず飛び上がり、その場で振り返る。
そこにいたのは、クーラーボックスでギンギンと冷やされていたジュースを手にした天川だった。
そして、その少し後ろには、有栖川の姿もある。
……そういえば、こいつらの姿が見えないと思っていたが、いつの間に。
この二人が一緒にいる姿というのも、それはそれで妙な印象を受ける。
「ん」
無言の天川。
だが、どう見ても、早く受け取れと言わんばかりに、手にしたジュースをこちらへ差し出していた。
……やれやれ。
俺は小さく息を吐き、天川から冷えたジュースを受け取る。
蓋を開けると、ちいっ、と炭酸の抜ける音が気持ちよく耳に届いた。
再び岩に腰を下ろし、ジュースを一口飲んだ。
本音を言えば一気に流し込みたいところだが、炭酸ジュースを一息で飲み干せるほどの鋼の食道は持ち合わせていない。
仕方なく、一口ずつ喉へ流し込んでいく。
そんな俺の隣に、有栖川が静かに腰を下ろした。
天川は近くに転がっていた小石を拾い上げると、なぜかそれを観察し始めた。
いつもの無表情なので、思考は全く読み取れないが。
相変わらず、行動原理が読めない奴だ。
ちなみに、久木先輩はここにはいない。
もともとアウトドア向きの人ではないうえ、体力面もかなり壊滅的だった。
昼食の少し後には完全にグロッキー状態となり、一足先にロッジへ搬送されている。
シルヴィアさんと石澤先生は、そんな久木先輩の様子を見るついでに、夕食の準備も進めるため、ロッジに残っている。
あの暴力的なまでに圧倒的な水着姿をもう見られないという事実は、実に惜しい。
しかし、いたらいたでこちらの精神力が削られるので、今は忘れるのが最善だろう。
そんなことを考えながら静かにジュースを飲み続けていたところ。
――なぜそうしたいと思ったのかは分からない。
分からなかったが……。
俺は天川と有栖川を見ながら、ゆっくりと口を開いていた。
「……お前ら、キャンプは楽しいか?」
どうしてそんなことを聞いたのか、口にした俺自身にも分からなかった。
だが、その言葉を取り消したいとも思わない。
俺は何を確かめたくて、こんなことを聞いたのだろうか。
……やっぱり、俺もよくわからないけど。
俺の問いに、天川はいつもの無表情のまま、小さく首を傾げた。
そして、迷うことなく答える。
「わからない」
その言葉に、俺はいつか天川が口にした言葉を思い出した。
『楽しいって、どういうことなの?』
『どうしたら、そんなふうに楽しそうに笑えるの?』
今も、天川はその答えを探しているのだろうか。
少なくとも、このキャンプがその答えをはっきり与えたようには見えない。
けれど。
何かのきっかけくらいには、なったのだろうか。
そして、有栖川は。
「そうですね……楽しい時間を過ごしているのは、間違いありません」
そう言ってから、有栖川はなぜか意味ありげにこちらを見た。
「けれど、少しだけ……物足りない、と申しますか」
その視線を正面から受けていると、妙に落ち着かない気分になる。
何と表現すればいいのかは分からない。
だが、胸のあたりをくすぐられているような、むず痒い何かがあって、どうにもじっとしていられない。
「何か知らんけど気色悪いからその目やめろ! というかこっち見んな!」
「ひゃうっ♥ はい……♥」
……ある意味で、このキャンプで一番変わったのは、有栖川なのかもしれない。
もちろん、性癖の方向性はまったく変わっていないように見える。
そこは本当にどうしようもない。
だが、雰囲気というか、態度というか。
こちらとの間にあった壁のようなものが、以前よりもずいぶん薄くなった気がする。
それを感じていても、俺にできることは何もない。
……有栖川のことだけではない。
高校生になってから、俺の周囲は急激に変わり始めている。
天川をはじめ、有栖川、そしてここにはいない久木先輩まで、何故か俺に関わってくる。
今まで経験したことのない変化に、俺は何一つまともに対応できていない。
……いや。
もしかすると、対応しようとすること自体を避けているのかもしれない。
俺は視線を正面へ戻した。
そこには、優人と、彼の周りで楽しそうに遊ぶ三人の少女たちの姿があった。
水音と共に、優人たちの笑い声が聞こえる。
さっきまで、ただ眩しいだけだったその光景が、なぜか少し遠く見えた。
――高校生になっても、優人は変わらない。
いつも騒動の中心にいて。
そして、どれだけ面倒なことになっても、最後には何だかんだで皆を笑わせている。
俺の知る限り、あいつは誰よりも逆境に強い。
努力して、諦めずに、最後には最善の結果を掴み取ってしまう。
本当、すごい奴だ。
まさしく、主人公という言葉がよく似合う男。
そんな優人を見ていると、劣等感を抱くことすら馬鹿らしくなる。
そして同時に、決して主人公にはなれない俺は、時々考えてしまうのだ。
誰にも言えない。
言うつもりもない。
ありえない仮定を。
何の意味もない問いを。
――なあ、優人。
もし、お前が俺と同じ立場だったなら。
もし、あのとき。
俺ではなく、お前がそこにいたなら。
お前なら、どうしただろう。
何を選び、何を捨てて、何を掴もうとしただろう。
お前なら、きっと――
そこまで考えたところで、ふと気づいた。
(お前なら、きっと……か)
あまりにも当たり前のように、そう確信している自分に。
いや、もしかすると、期待しているのかもしれない。
優人なら。
あいつなら、きっと、どんな形であれ何とかしていたはずだと。
……けれど。
それもやはり、意味のないことだ。
俺は小さく苦笑した。
まったく。
我ながら馬鹿馬鹿しいことを考えるものだ。
そんな仮定から、たとえどんな答えが導き出されたとしても――
「……結局、変わることなんて何もないのにな」
その呟きは、夕暮れと共に静かに、ただただ沈んだのだった。
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