62話 水着の魔力、恐るべし
足音と共に聞こえてきた犬井先輩の声に、俺と優人は期待を胸に膨らませながら振り返った。
そして、そこにいたのは――!
「……えっと」
「……は?」
……水着ではなく、パーカーで身体を隠した女性陣の姿だった。
目の前の光景に、優人は呆然とした表情を浮かべ、俺は世界を失ったような喪失感を味わった。
……なぜだ。
なぜなんだ……。
「なぜ、水着じゃないんだよおおおおお!!」
俺の魂の叫びが、渓谷に虚しく響き渡った。
ここまで期待させておいて、この結末。
純真な男子高校生の心を踏みにじるとは、何という悪魔どもなのか……!
エリナと彩花ちゃんから絶対零度の視線を感じたが、今はそれどころではない。
「おい、優人! お前も何か言ってやれ!」
「いや、その……あはは……」
優人は必死に平静を装っていた。
だが、その顔には隠しきれない落胆が滲んでいる。
そうだろう、そうだろう。
お前も男だもんな。
「あはは! 月影君、そんなにがっかりした? 優人君も残念そうな顔してるね!」
犬井先輩が、悪戯に成功した子供のように笑った。
今この状況で笑えるのですか。
今日ほど犬井先輩の笑顔が邪悪に見えたことはない……!
「ふふ。月影様。そこまで落ち込まれなくても大丈夫ですよ。皆様、きちんと中には水着を着ていらっしゃいますから」
……ん?
本当に?
「ええ、本当です。ここまで来る道には虫もいますし、日差しもありますから。肌を守るのは、レディとして当然の身だしなみです」
「なーんだ! そういうことでしたか! あははは!」
シルヴィアさんの言葉に、俺はようやく笑うことができた。
危うく、貴重な水着イベントが跡形もなく消え去るところだったではないか。
まったく、お茶目なんだから!
悪魔ではなく、どうやら小悪魔たちだったらしいな! あははは!
「……必死すぎでしょ、あんた」
エリナが呆れたように何かを呟いていたが、当然ながら無視した。
俺だって男だもん。
仕方のないことなのだ。
優人だって平静を保っているように見えて、両手を握りしめ、期待に目を輝かせている。
うん。こいつもちゃんと男だよ。
「それじゃあ、水着を楽しみにしていた優人君と月影君のために、一肌脱いじゃおうかな?」
犬井先輩は相変わらず悪戯っぽい口調だったが、それでも恥ずかしさはあるのか、ほんのり頬を赤くしていた。
そして迷いなくパーカーのジッパーを下ろし、文字通り一肌脱いで、その奥に封印されていた真実を解き放つ。
「じゃじゃーん!」
「「おお……!」」
俺と優人の視線が、犬井先輩の水着姿に釘付けになった。
明るいオレンジを基調にした、シンプルなビキニタイプの水着。
小柄な身体に対して、意外なほど存在感のある特定箇所が目を引く。まあ、ぶっちゃけ胸だが。
活発な子犬系ヒロインである犬井先輩には、実に似合う色だった。
「はあ……仕方ないわね」
「お兄様のために選んだ水着ですから、気に入っていただけると嬉しいです」
続いて、エリナと彩花ちゃんもパーカーを脱いだ。
エリナは黒を基調にした、かなり大胆なビキニだった。
艶のある黒い生地が光を受け、彼女の勝ち気な雰囲気を一層際立たせている。
ハーフらしい華やかな顔立ちと、高校生とは思えないほど整ったグラマラスなスタイル。
それらが合わさったエリナの水着姿は、ハーフ美少女としての破壊力を遺憾なく発揮していた。
「そ、そんなにじろじろ見ないでよ……」
その言葉は俺に向けられたものなのか、優人に向けられたものなのか。
たぶん両方だろう。
一方、彩花ちゃんは白を基調にしたワンピースタイプの水着だった。
淡い水玉模様が入っていて、いかにも清楚で可憐な印象を受ける。
派手さではなく、透明感。
前の二人と比べれば、確かに控えめな体形ではある。
だが、それがかえっていい!
過度ではなく、しかし決して不足していない絶妙なバランス。
それは清楚系美少女に対する男子の幻想を、見事に形にしたような姿だった。
「思っていたより、少し恥ずかしいですね……。お兄様、いかがですか?」
「ああ、うん。とっても似合ってるよ、三人とも」
優人がそう答えると、三人は嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ。みんな楽しそうねぇ~」
「ええ。本当に。ところで、水着は久しぶりなのですが、変ではありませんか?」
そして、石澤先生とシルヴィアさんの姿が視界に入った。
こ、これは……!
俺と優人は思わず目を丸くした。
石澤先生は、つばの広い白い帽子に、白と赤を基調にしたホルターネックタイプのビキニだった。
腰にはパレオが巻かれており、露出を抑えながらも大人の余裕を感じさせる装いだった。
ゆるふわで温厚な雰囲気も相まって、思わず母性という名の海へ飛び込みたくなるような破壊力!
ついつい癒しを求めて寄りかかるように身体が動くところだった。
そして、シルヴィアさん。
これは危険だ。
実に、危険だ。
この場の誰よりも大胆なデザイン。
しかも、まさかの豹柄。
健全な男子高生には刺激が強すぎて、接近禁止の命令が必要なくらいだ。
鍛えられ、整えられ、隙なく完成された肉体美。
そこに豹柄という要素が加わることで、彼女の持つ野生の猛獣めいた雰囲気が、これでもかというほど強調されていた。
そう。
例えるなら、野生の雌豹!
なんという破壊力……!
そんなふうにシルヴィアさんという存在に改めて戦慄していると、不意に誰かが俺の手を引いた。
「何だよ、今いいところだから――」
振り返った俺の目に入ったのは、俺の手を両手で掴み、なぜか頬を膨らませている有栖川の姿だった。
その後ろには、落ち着かない様子で身を縮める久木先輩と、いつも通り無表情のまま俺を見上げる天川の姿もある。
「月影様……」
「うう……こうも肌を出すのは、どうにも落ち着かないな……」
「佐助。似合う?」
……前半の衝撃が強すぎて、この三人のことを完全に忘れていた。
改めて見ると、三人もまた、それぞれによく似合う水着を着ていた。
有栖川の水着は、淡い桃色を基調にしたモノキニに近いデザインだった。
一見ワンピース型に見えるが、脇腹の布地が抜けている。
普段は下ろしている赤い巻き髪をまとめ、肩の前へ流しているせいか、いつも以上に優雅に見える。
……いや、気のせいだ。
水着の魔法に違いない。
忘れるな。
こいつの本性を!
俺は騙されないぞ!
久木先輩は、女性陣の中では一番おとなしい水着だった。
フリルのついたワンピースタイプで、露出も控えめだ。
というか、方向性としてはかなり子供服寄りだ。
先輩は恥ずかしさのせいか、自分の身体を隠すように小さく縮こまっている。
その姿を見ていると、何か目覚めてはいけないものが目覚めそうになる――
……って、危ない危ない。
戻れ、俺!
そこは深淵だ!
最後に天川。
空色のワンピースタイプだが、腹部には小さな菱形の穴があり、へそだけが見えている。
腰には透明な浮き輪を引っかけている。
肩紐はなく、背中を大胆に出したデザインは、どこかドレスの上半分を思わせた。
髪は頭の上で団子状にまとめられており、いつもの兎耳カチューシャではなく、兎の顔を模したヘアバンドで固定していた。
こいつはこいつで、いつも以上に可愛く見える。
普段なら、軽口の一つや二つ、いくらでも出てくるはずだった。
なのに、なぜだろう。
俺は、その三人の水着姿を、まっすぐ見ることができなかった。
視線をそらしてやっと出てきた言葉は、この様だ。
「ま、まあ……似合ってるんじゃないか」
何だ、この恥ずかしさを無理やり飲み込んだ思春期男子中学生のような言い方は。
恥ずかしいのか?
俺が?
こいつら相手に?
自分の反応に困惑していると、有栖川はどこか嬉しそうに微笑んだ。
久木先輩は更に恥ずかしいのか顔を真っ赤に染めた。
天川はなぜか両腕を上げ、そのせいでぽとりと落ちた浮き輪を拾い直している。
こいつだけは本当にいつも通り意味不明だ。
俺はそんな三人の様子を横目に、そっと後ろ髪を掻く。
……水着の魔力、恐るべし。
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