61話 何もなかった
昨夜の肝試しが終わってから、しばらくの間、俺たちはあの出来事が本当に超常現象だったのではないかという疑念に震えていた。
その結果、最終的に全員で一か所に集まって眠ることになった。
正確に言えば、女子たちの間に強制連行される形で寝ることになった優人が、まさしく一人では死ねないと言わんばかりの必死の形相で、俺まで巻き込んだのだ。
そう、具体的には――
「佐助! 俺を一人にしないでくれ!」
と、半泣きで俺にしがみついてきた。
怪異じみた体験のせいなのか。
それとも、女子たちの間に男一人で放り込まれるという、普通なら嬉しいようで実際にはまったく落ち着かない状況のせいなのか。
普段はなかなか見られない愉快な優人の姿として、俺の脳裏には深く刻み込まれることになった。
その後、眠りにつくまでの間にも、優人のラブコメ体質は当然のように仕事をした。
誰かの寝返りで距離が近くなったり、毛布の取り合いになったり、寝ぼけた誰かが優人の腕を掴んだり。
普段なら、うふっ~となって、あっはん~となる、実に素晴らしい展開がいくつも発生していた。
だが、肝心の本人たちにそれを気にする余裕がまったくなかったらしく、それらのイベントは驚くほどあっさり流されていった。
まあ、気持ちは分かる。
普段なら、同じ空間で男女が一緒に眠るという行為そのものに抵抗を示しそうな連中まで、昨夜ばかりは大人しく眠っていたのだ。
それだけ、あの肝試しの衝撃が大きかったということだろう。
などと言っている俺も、実に情けないことに、しばらくは背筋が冷えたままで、なかなか寝つくことができなかった。
闇の眷属にして、脇役界のカリスマを自称するこの俺が、何たる失態か。
佐助、猛省。
幸いだったのは、一晩ほど経てば、どうにか冷静に考える余裕が生まれたことだろうか。
そもそもこの世界は、ラノベやギャルゲーにでも出てきそうな、少しばかり特殊な世界観をしている。
今この瞬間にも、ラブコメの神に愛されているとしか思えない主人公体質の優人が普通に歩き回っている。
元暗殺者だと言われても納得できる、恐ろしく有能な執事のお姉さんもいる。
そして何より、見た目はハンサムで知的。
脇役の中の脇役として称えられるこの俺も、前世の記憶持ちという、どこかの設定資料にでも書かれていそうな属性を保有しているのだ。
俺自身、一度死んで転生している。
ならば、幽霊や神様の一柱や二柱くらい、まあ、いてもおかしくないんじゃ?
冷静になってから考えれば、そう納得することもできた。
そう考えれば、昨夜の出来事も笑って流せる。
むしろ、珍しい体験ができたと喜んでもいいくらいだ。
もちろん、他の連中も同じように考えられるかどうかは、まったく別の話だが。
朝になっても昨日の出来事は尾を引いていた。
それは朝食の時間になっても同じで、どこか重い沈黙の中で食事を進めていると、不思議そうに首を傾げていた石澤先生が口を開いた。
「みんな。昨夜のことなんだけどぉ――」
「セリ姉」
その言葉を遮ったのは、犬井先輩だった。
犬井先輩は、これまで見たことがないほど真剣で、重い表情を浮かべながら、自分の従姉をじっと見つめていた。
そして、ゆっくりと首を横に振る。
昨夜のことは、口にしないでほしい。
そんな明確な拒絶の意思が、そこにはあった。
その犬井先輩の様子に圧倒されたのだろうか。
石澤先生は少しだけ困ったように笑うと、そのまま何も言わず、再び静かな朝食へと戻っていった。
この状況をどこか楽しんでいるように見えるシルヴィアさん。
そして、普段から何も考えていなさそうな天川。
その二人を除けば、朝食の席はまるでお通夜のような空気に包まれていた。
まあ、これはこれで面白い光景だし、しばらくはこのままでもいいだろう。
◇ ◇ ◇
せっかくキャンプに来たのだ。
いつまでも昨夜の超常現象を引きずっているわけにもいかない。
しかも、今は太陽が頭上でぎらぎらと光を放っている時間帯になった。
ならば、幽霊が出ることもないだろう。
そんな実に強引な理屈で、他の面々は昨夜の出来事を無理やり闇の中へ封印した。
そして、普段通りに振る舞うことで、どうにかいつもの空気を取り戻すことに成功した。
そうでないと困るなというものだ。
何せ、今日の目玉イベントは――
「みんな、そろそろ渓谷で水遊びしたくなってきたんじゃない?」
渓谷での水遊び、そして水着鑑賞イベントなのだから!
これほどの美人、美少女集団。
当然、男として彼女たちの水着姿を期待せずにはいられない。
うおおおおっ!
昂ぶってまいりましたぞぉぉ!
「じゃあ、私たちは水着に着替えてくるから、男の子たちは絶対に入ってこないこと! 特に……」
「……あの、何で俺を見ながら強調するんですか?」
「ん? 優人君。何か言った?」
「……いえ。何でもありません」
犬井先輩のあまりにも素晴らしい笑顔に、優人はぎこちない表情で首を横に振った。
そんな犬井先輩に同調するように、彩花ちゃんとエリナも真剣な表情で頷いている。
さすがは優人のラブコメ体質によって、これまで何度も被害を受けてきた当事者たち。
危機管理の意識が違う。
なので、敢えて優人をけしかけ、強制的に覗きイベントへ突入させるのも面白そうではあるが……いや、やめておこう。
俺は、こちらを見ながら静かに微笑んでいるシルヴィアさんの視線から、そっと目を逸らした。
下手をすれば、命の危機にまでつながりかねない。
ここは自重しておこう。
そうして、ロッジで水着に着替えるレディたちを残し、俺と優人は一足先に渓谷へと向かった。
男の着替えというものは、実にシンプルなものだ。
俺たちはすでに水着へと着替え終えていた。
渓谷に着くと、近くの岩に腰を下ろし、ひとまず足だけを水に浸ける。
冷たい渓流が足首を撫でるように流れていく感覚は、思っていた以上に心地よかった。
そんな中、俺は改めて隣の優人へ視線を向ける。
「……ふむ。貴様……相変わらずいい身体をしているではないか」
「何だよ急に。気持ち悪いな」
優人が心底嫌そうな顔で身体を引いた。
だが、その程度でこの俺の観察眼から逃れられると思うな。
最後に優人の身体を見たのは、確か、中学二年の修学旅行での温泉のときだったな。
つまり、こうして優人の身体をじっくり見るのは久しぶりということになる。
あの頃も今も、相変わらずいい体をしていらっしゃる。
均整の取れた、ほどよく引き締まった筋肉。
余計な脂肪のない体つき。
同じ男が見ても思わず見惚れそうになる全体のプロポーション。
決して近くにいるだけで暑苦しくなるような、過剰な筋肉ではない。
適度に圧縮され、美的にも優れた、ラブコメ主人公にふさわしい肉体。
そして腹部にくっきりと刻まれた、ラブコメキングの証たる六つの線。
まったく。
身体スペックにおいて、こいつは本当に圧倒的だ。
同じ雄としてここまで明確な差を見せつけられると、自ずと敗北を認めざるを得ない。
もしここが野生だったら、俺は地面に伏して服従の意思を示すことしかできなかったに違いない。
まあ、それはそれとして。
「優人」
「何だよ」
「今この場所には、お前と俺、二人きりだ」
「……それが?」
「そう。つまり、実に久しぶりに、男二人だけの時間が訪れたということでもある」
俺がそう切り出すと、優人は明らかに警戒した表情になった。
こいつ、また何を言い出すつもりだ。
わざわざ口に出さずとも、全身でそう表現している。
ははは。
可愛い奴め。
俺は身体を引こうとする優人の肩に腕を回し、声を低くした。
「皆の水着姿。お前も期待してんだろ?」
「うっ」
「そこで、ここは包み隠さず聞こうではないか」
俺は優人の肩を、優しく叩いた。
「――ぶっちゃけ、誰の水着姿が一番楽しみだ?」
「うぐっ!? そ、それは……」
優人はぎこちなく視線を逸らそうとした。
だが、俺はそれを許さない。
「分かる。分かるぞ、優人」
「……何がだよ」
「お前が、今まさに青春真っ只中の健全な男子高校生として、相応の興味を抱いていることくらい、このお兄さんにはお見通しだ」
「いや、お前、俺と同い年――」
「そして、それを表に出すことに抵抗があるという事実も、俺は理解しているぞ」
「聞けよ」
「だが、今この場にはお前と俺しかいない!」
俺はさらに声を低くした。
これは単なる男子高校生同士の下世話な会話ではない。
優人が誰の水着姿を意識しているのか。
そこには、今後のラブコメ戦線を占う重大な手がかりが隠されているのだ。
ならば、ラブコメ観察者たる俺が、それを聞かない手はない!
「さあ、その内に秘めた熱いリビドーを、解き放つのだ!」
「いや、リビドーって……」
「隠しても無駄だぞ! お前も男なら、いつまでも恥ずかしがっていないで、ありのままの自分をさらけ出せぇぇ!」
「いやだよ!」
これほど雄としてのフィジカルは圧倒的だというのに、妙なところで草食系な優人。
それも優人らしいと言えば、優人らしいのだが。
そうして、優人と共に男同士の友情を深めながら、俺は間もなく訪れるであろう水着披露会への期待を膨らませていた。
まさに、一分が一時間にも感じられる永劫の待ち時間。
そして、その長き苦難の果てに――
「二人とも、お待たせ!」
渓谷に、犬井先輩の明るい声が響いた。
待っていましたあああぁぁぁ――!
テンション大爆発の勢いで、俺は振り返った。
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