60話 不穏さと笑い声を残した肝試し
廊下へ出ると、そこにはまるで俺たちを待っていたかのように、宙に浮かぶ木彫り人形の姿があった。
そして、俺たちが追ってきたことを確認したかのように、木彫り人形はまた、ゆらりと揺れながら廊下の奥へと動き出した。
「おい、待て!」
いろいろとツッコミたいことは山ほどある。
だが、今はひとまず追うしかない。
くそっ!
人形がいきなり飛び回るとか、どういう肝試しだ!
呆れるを通り越して、いっそ感心すらしてくる。
シルヴィアさん、いったいどうやってこんな仕掛けを用意したんだ?
いや、準備したのは犬井先輩の方か?
どちらにせよ、かなり質の悪い仕掛けだ。
そんな俺の後ろを、三人の少女たちが続いてくる。
「鬼ごっこ?」
「ドローンか? いや、翼もプロペラらしきものも見当たらない……。ますます興味深いな」
「最近のお人形は本当にすごいのですね」
相変わらず感情の色が見えない声の天川はともかく。
久木先輩はどこか理科的なスイッチでも入ったかのように見えて、有栖川は世間知らずのお嬢様アピールでもしたいのか、かなりピントのずれた感想を口にしていた。
常識人である俺を除いて、どこか一般人の感性とはかけ離れている面々だったからよかったものの。
普通の人間相手にこんな悪戯をしたら、驚きすぎて腰を抜かすに違いない。
きっと優人たちの方では、今頃ものすごい惨劇が――
そこまで考えたところで、俺はふと気づいた。
さっきまで遠くから聞こえていた悲鳴が、いつの間にか完全に消えている。
……優人たちの方は、もう校舎の外に出たのか?
だとしたら、こちらも急がなければならない。
走っているにもかかわらず、なかなか縮まらない木彫り人形との距離を睨みつけながら、俺は必死に足を動かした。
◇ ◇ ◇
結論から述べると、木彫り人形を追いかけるという奇妙な鬼ごっこは、裏口から校舎の外へ抜けた人形をさらに追い続けた結果、神社の境内でようやく終わりを迎えた。
その過程で、尊い脱落者も出た。
まず、体力的な問題で久木先輩が最初に脱落した。
次に、有栖川も足を止めた。
天川は汗一つかかない平然とした顔をしていたが、さすがに体力的に心配になる二人だけを置いていくのもどうかと思ったので、天川には二人についてゆっくり来てもらうことにした。
当然、俺一人で木彫り人形を追うことになったわけである。
そうして、神社の境内に入り、鳥居の向こうに続く参道をしばらく進んだところで――
唐突に、木彫り人形の動きが止まった。
そして、そのままぽとりと下へ落ちたのだ。
まるで電池が切れた玩具のような動きだった。
ようやく動きを止めた木彫り人形へ近づき、俺は荒い息を整えながら、それをゆっくりと拾い上げる。
「はあ、はあ……! くそっ、無駄に手間をかけさせやがって……!」
肝試しではなく、もはや耐久訓練でもさせられた気分だ。
ああ、くそ!
疲れた!
本当にどうなっているんだ、この肝試しは。
手にした木彫り人形を持ち上げ、あちこち確認してみる。
しかし、そこにあるのは何の変哲もない、ただの木製の人形だけだった。
これ、どうやって飛んでたんだ?
少なくとも見た目では、まったく分からない。
分解でもしてみれば何か分かるのかもしれないが、そんな体力も気力も、今の俺には残っていなかった。
神社へ続く石段の下から、遅れて他の三人がゆっくりと上ってくるのが見える。
それを眺めながら、ようやく一息ついた、そのときだった。
『――あははっ!』
風に揺れる木の葉の音に混じって、誰かが笑ったような声が聞こえた。
音がした方へ視線を向ける。
参道の奥。
木々の影と月明かりの境目に、小さな影が揺れていた。
まるで幼い子供が、こちらへ手を振っているような影が。
これがシルヴィアさんと石澤先生の用意した仕掛けだと分かっていても、少し背筋が冷たくなるほど、ずいぶんと気味の悪い演出だな、おい。
その影は、しばらく陽炎のようにゆらゆらと揺れていたけど。
三人が境内へ足を踏み入れるのと同時に、ふっとほどけるように消えていった。
「今のは……」
ひと目で分かるほど体力的に疲れている久木先輩が、影の消えた方を見て小さく首を傾げた。
だが、その興味はすぐに俺の手元へ移る。
「月影。それを確認してもいいか?」
「あ、どうぞ」
俺が木彫り人形を渡すと、久木先輩はそれを手に取り、さまざまな角度から観察し始めた。
石段を上っているときには今にも倒れそうな顔をしていたくせに、急に表情に生気が戻った気がする。
有栖川と天川も興味深そうに木彫り人形を覗き込んでいたが、特に変わったところが見当たらなかったためか、すぐに興味を失ったように神社の境内を見回し始めた。
「思ったより軽いな……。翼による揚力飛行ではない。かといってプロペラで空気を押し出していたわけでもなさそうだ。そもそも動力はどこに……いや、磁力か? だが、あの動きと速度は……ぶつぶつ」
どうやら久木先輩にも、何の原理で飛び回っていたのかは分からないらしい。
不思議そうな表情のまま、何やらぶつぶつと呟き始めた。
このまま放っておけば、一日中でも観察を続けそうだったので、俺は久木先輩の手から木彫り人形を取り上げた。
「久木先輩。そのくらいにして、さっさと置いて戻りましょう」
「むぅ。……仕方ないな」
ほんの一瞬、玩具を取り上げられた子供のように頬を膨らませた久木先輩だったが、すぐに引き下がってくれた。
未練がましい視線ではあったけれど。
俺は賽銭箱の奥にある古びた祠の前へと向かった。
そこに、持っていた木彫り人形を置く。
その瞬間、境内に軽い風が吹いた。
『――あはははっ!』
木々の葉がざわめく音に混じって、また誰かの笑い声が聞こえたかと思うと、俺たちの目の前を小さな子供のような影が駆け抜けた。
見えたのは、一瞬だけだった。
それでも、確かにそこにいたと思わせるには十分すぎる一瞬だった。
まったく。
無駄に手が込んだ仕掛けである。
あの短い時間で、どうやってここまで準備したのやら。
今さらながら感心するしかない。
そう考えた途端、急激に疲労感が押し寄せてきた。
俺は大きくため息をつき、身体の向きを変える。
「はあぁぁ……それじゃ、戻るか」
ともかく、これで肝試しは終わりだ。
さっさと戻って休むとしよう。
神社を出る直前。
ふと、背中に視線を感じた。
振り返る。
月明かりの届かない暗がりの中で、俺たちの背中を見送るように、小さな影が手を振っていた。
◇ ◇ ◇
そうしてロッジへ戻ると、入口の近くに優人たちの姿があった。
「お疲れ、佐助」
「ああ、お疲れ。結構早かったみたいだな」
「ん? いや、俺達も今着いたところだ」
優人の言葉に一瞬あれ?と思ったが、目の前の光景でそんな疑問も直ぐに消え去った。
エリナも、彩花ちゃんも、犬井先輩も、どこか疲れたような顔で、優人にすがるようにくっついていたからだ。
これはこれは。
どうやら、実に楽しい肝試しを過ごしたご様子。
まったく、けしからんな! ぬふふっ!
……くそぉー! やっぱり俺も見たかったー!
俺が一人むくれていると、犬井先輩が思い出したように顔を上げた。
「そういえばセリ姉、シルヴィアさん。あの動く木彫り人形とか、子供みたいな影って、どうやって用意したんですか? 私が準備した道具には、そんなものなかったはずなんですけど」
どうやら優人たちの組も、同じもので驚かされたらしい。
その質問に、俺たちは一斉にシルヴィアさんと石澤先生へ視線を向けた。
確かに気になる質問だ。
どんな原理だったのか、根掘り葉掘り詳しく聞かせてもらおうではないか。
きっと、得意げに、あるいは悪戯っぽく、仕掛けの種明かしをしてくれるに違いない――
「――そのようなものは、用意しておりませんよ?」
「そうねぇ。皆、出発前に聞いた言い伝えのせいで、幻覚でも見たのかしらぁ」
……今、何て?
シルヴィアさんと石澤先生は、互いの顔を見合わせると、不思議そうに首を傾げていた。
「……え?」
二人の言葉に、俺たちは固まった。
肝試しが終わったあとで、さらに俺たちをからかっているのかとも思った。
だが、二人の表情を見る限り、どうもそういうわけではないらしい。
「で、でも……!」
納得できない様子の犬井先輩が何かを言いかける。
だが、結局その先の言葉は出てこなかった。
代わりに、犬井先輩は優人の袖をぎゅっと掴み、小さく震え始める。
「……私たち、確かに見たわよね?」
「あ、ああ。木彫り人形も動いていたし、時々小さな影も見た……はずだけど……」
エリナの問いかけに、優人はどこか自信なさそうに呟いた。
彩花ちゃんも、少し青ざめた顔で口を開く。
「わたくし、人形を置いた後、確かに見たんです。手を振っている影の姿を……」
更に場の空気が一段冷えた。
そんな中、俺は妙な違和感を抱くしかなかった。
……そういえば、優人達は俺達とほぼ同じタイミングで戻ったと言った。
だが、ここまでたどり着くまでに、俺は優人達の姿を見たことはない。
神社からここまでは、ほとんど一本道のはず。
いくら夜中とはいえ、ライト持ちの優人達が見えないのは、あり得るのだろうか?
おかしな所はもう一つある。
俺が木彫り人形を置くために祠に行った時は、優人たちの人形はなかったはずだ。
……一体、どうなっているんだ?
そんな疑問で俺は黙り込んで思考する。
他の面々の誰も口を開かない雰囲気になり、この場に沈黙が訪れた。
実に、気味の悪い沈黙だった。
……気のせいだろうか。
『――また遊ぼうね』
耳の奥で、幼い少女の笑い声が聞こえた……気がした。
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