59話 肝試しでうごめく何か
ぎい、と。
不気味な音を立てて開いた扉の向こうに、最初に見えたのは、古びた下駄箱だった。
いくつかは扉が外れ、いくつかは傾き、長い年月の中で放置され続けていたことが一目で分かる。
やはり、日が沈んだあとだからだろうか。
昼間に見たときと比べると、確実に陰気な雰囲気が増している。
なるほど。
まさに肝試しをするには最適なロケーションと言えるだろう。
……優人のラブコメを観察できない時点で、どうでもいい話なのだが。
「じゃあ、俺たちは左に行くよ」
「ああ。……幸運を祈る」
本当に、いろいろな意味で。
俺には観察できないが、ラブコメの神の加護が、お前と共にあらんことを。
……俺は観察できないけれどな!
こんちくしょう!
「うう……これ、本当に大丈夫なの? 床とか、今にも抜けそうなんだけど……きゃあっ!?」
「な、何ですか!? エリナさん、驚かせないでください!」
「こ、これは確かに……思っていたよりスリルがあるかも……ひいっ! ちょっと優人君! 置いていかないで!」
「……あの、みんな。そんなにくっつかれると歩きにくいんだけど……」
開始して早々。
まだ校舎に入ったばかりだというのに、すでに優人たちの組は実に楽しげな雰囲気になっていた。
俺は未練がましく、しばらく優人たちの背中を見つめる。
だが、いつまでもそうしているわけにもいかない。
俺は胸の奥に生まれた深い喪失感を抱えたまま、無理やり身体の向きを変えた。
優人のラブコメを観察できない肝試しイベントなど、俺にとっては何の価値もない。
こうなった以上、さっさと終わらせて、布団の上でだらだら転がることを目標に頑張るしかないだろう。
「はあ……じゃあ、俺たちも行くか」
ため息を吐きながら、俺はゆっくりと歩き出した。
◇ ◇ ◇
『きゃああああっ!?』
遠くから聞こえてくる誰かの悲鳴をBGMに、木彫り人形を探し始めてから、すでに十分ほどが経っていた。
俺たちは廃校舎の正面玄関を基準に、右側の区画を探索している。
建物自体は、そこまで広いわけではない。
保健室らしき部屋と、物置として使われていたらしい部屋を確認し、そのほかにトイレも見て回った。
だが、肝心の木彫り人形らしきものは見当たらない。
シルヴィアさんと石澤先生の話では、木彫り人形はいくつか用意されているらしい。
しかし、さすがに一階を適当に探しただけで見つかるほど、優しく親切な配置にはしていないようだった。
木彫り人形の代わりに見つかったのは、扉を開けた瞬間に上から落ちてくる黒髪のかつらだとか、首筋を狙ったように垂れてくるこんにゃくだとか、廊下の奥から突然がたんと鳴る謎の物音だとか、そういう類の仕掛けばかりである。
「?」
天川は、落ちてきた黒髪のかつらを両手で受け止め、不思議そうに首を傾げていた。
「なるほど。扉を開けた瞬間に落ちるよう、上から糸で吊っていたのか」
久木先輩は、頭上から落ちてきたこんにゃくをつまみ上げ、興味深そうに観察している。
「まあ。こちらの音も、扉と連動して鳴る仕掛けのようですね。扉を開けたとき、何かが引っかかるような感触があったのは、これが原因でしょうか」
有栖川は、廊下の奥で鳴った物音の正体を確認し、どこか感心したように呟いた。
見ての通り、この組の少女たちは実に頼もしいほどに動じていない。
全然。
これっぽっちも。
まったく。
肝が据わっているというか、ただの変人集団というか。
……いやまあ、確かに一つ一つは子供だましのような仕掛けばかりではある。
だが、少しくらいは驚いてあげてもいいのではないだろうか。
せっかく頑張って準備したであろうシルヴィアさんや石澤先生が、少しだけ不憫に思えてきて、俺は思わず涙を――流すことはないな。うん。
だって、俺もこいつらと大差ないわけだし。
そもそも、何かしらの仕掛けが用意されていることは分かっていた。
準備時間にそこまで余裕があったわけでもないだろうし、そう考えれば、まあ、この程度になるだろうという気持ちの方が強い。
……いや。
油断は禁物だ。
シルヴィアさんだぞ。
あの常識外れの執事さんが用意した罠が、この程度で終わるはずがない。
こういう子供だましの仕掛けでこちらを油断させてから、最後にとんでもない爆弾を投下してくるに決まっている。
俺は騙されないぞ!
『きゃあああああっ!!』
そんなふうに心の中で改めて警戒を強めていると、またしても遠くから誰かの悲鳴がかすかに聞こえてきた。
きっと今ごろ、悲鳴を上げた誰かが優人にしがみつき、そこから甘酸っぱい密着イベントが発生して――
……くっそ!俺は何でこんなところにいなければならないんだよ!
どれだけ恋焦がれようが、それをこの目で見ることができない。
何という悲劇。
差し詰め、俺は悲恋のヒロインと言ってもいい。
「……はあ」
きっと今頃絶賛上映中であろう、きゃっきゃうふふな光景を想像したが、直ぐに虚しくなってしまった。
直接観察できないという残酷な現実に、自然と深いため息しか出てこなかった。
この世に、これほど憂鬱な肝試しが存在するだろうか。
いや、ない!
こうなったら何が何でもこんなつまらない肝試しなどさっさと終わらせよう。
「ここにも人形はないみたいだし、二階に――」
身体を返した、その瞬間だった。
廊下側の窓の向こうを、小さな影が横切った。
人間だとすれば、かなり背が低い。
それこそ、子供のような大きさの影だった。
「……なるほど。そう来たか」
影は一瞬で通り過ぎた。
だから、見間違いだったのではないかと思ってもおかしくはない。
しかし俺は、それが単なる見間違いや錯覚ではないと確信していた。
シルヴィアさん。
何か仕込んでいるだろうとは思っていたが、そう来たか。
どんな仕掛けなのかは分からない。
だが、石澤先生が語っていた言い伝えを考えれば、幼い少女の影に見える何かを用意していた、と考えるのが妥当だろう。
ふふふ。
甘い。
甘いですよ、シルヴィアさん。
この程度で俺を驚かせようなど、実に甘い。
……いや、待て。
これで終わりだと思わせて油断させるための布石、という可能性もある。
そうだ。
俺は騙されない。
そんなふうに、心の中で一人静かに決意を固めていた、そのとき。
ふいに、誰かが俺の袖を引いた。
軽く、二度。
くい、くい、と。
どうせまた天川だろう。
まったく、この困ったお嬢様をどうしたものか。
そんなことを考えながら、俺は振り返った。
「何だ、天川……」
「佐助?」
「……え?」
天川は、俺から数歩離れた場所で、いつも通りの無表情のまま首を傾げていた。
天川だけではない。
有栖川も、久木先輩も、俺の袖に手が届くような距離にはいない。
「月影様?」
「月影? どうかしたのか?」
二人も、不思議そうにこちらを見ていた。
確かに、誰かに袖を引かれた感覚があった。
どこかに引っかかったのかとも思ったが、周囲を見回しても、袖が引っかかるようなものは見当たらない。
……気のせいか?
まあ、いい。
何がどうなったのかは分からないが、深く考えても仕方ないだろう。
「いや、何でもない。一階には人形がないみたいだし、二階に行こう」
そうして俺たちは一階をあとにし、二階へ続く階段を上り始めた。
途中で、ふと下を振り返る。
一階の階段下。
その隅で、黒い何かが動いた――ように見えた。
……たぶん。
――いや、きっと気のせいだろ。
◇ ◇ ◇
「ん? これは……」
二階の最後の教室を調べていた最中。
教室の後ろにある掃除用具入れを開けると、その中に目的の木彫り人形が置かれていた。
「おーい。見つけたぞ」
俺の声に、別の場所を調べていた三人がぞろぞろとこちらへやってくる。
それを確認してから、俺は木彫り人形へ手を伸ばした。
結局、最後の教室まで来てようやく発見か。
三階まで探しに行かずに済んだのは幸いだが……ここまでがっちり隠す必要、あったか?
まったく。
もう少し早く終わるように配慮してくれてもいいと思うのだが。
……もしかすると、単に俺たちが探すのが下手だっただけではないか。
一瞬そんな可能性が頭をよぎったが、悪いのは俺ではないという合理的かつ平和的な結論に至ったため、俺は胸の内で不満を育てることにした。
主に、シルヴィアさんに対する不満である。
ともあれ。
これを祠の前に置いて戻れば、肝試しも終わりだ。
そう思いながら、俺が木彫り人形を掴もうとした瞬間――
「……え?」
するり、と。
木彫り人形が、俺の手を避けるように動いた。
まるで掴もうとする手を避ける魚のように、ぬるりと身をくねらせ、俺の指先をかわした。
木でできた人形のはずなのに、その動きには妙な生々しさがあった。
俺はそれを呆然と見つめるしかなかった。
「なに、が――」
突然の出来事に、思考が固まる。
その隙を狙ったかのように、木彫り人形がふわりと宙へ浮いた。
それは、飛んでいるというより、見えない水の中を漂いながら泳いでいるような、どこか頼りなく、気味の悪い動きだった。
木でできているはずの人形が、関節もないのに、ぐにゃり、ぐにゃりと揺れている。
そして次の瞬間、木彫り人形は俺たち四人の間をすり抜けるように動き、そのまま教室の外へと出ていった。
「飛んだ」
「……興味深いな。どういう原理なんだ?」
「まあ。最近のお人形は、ずいぶん凝っているのですね」
天川、久木先輩、有栖川が、それぞれあまりにも場違いな落ち着いた調子で感想を漏らした。
……いや、今はそういう場合じゃないだろ!
「追いかけるぞ!」
俺は慌てて教室を飛び出した。
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