57話 時は満ちた、同志よ
非常識な主従コンビによる脇役殺人未遂事件が世間を騒がせる――こともなく。
事件は静かに闇へ葬られ、俺の必死の抗議も、当然のように黙殺された。
俺が非人道的な扱いに苦しめられている間、優人の方では一通り楽しいイベントが通り過ぎていたらしい。
実に血の涙が出るほど惜しいことに、俺にはそれを観測する余裕などなく、ほとんどの場面を見逃してしまった。
巻き戻しなし、録画不可、本番一発勝負の貴重なラブコメイベント。
そんな二度と見られない生配信を理不尽に奪われ、俺は発狂寸前の気分で残りの時間を過ごすしかなかった。
……まあ、そんな俺の事情など、世界は一切気にしないのだが。
そうしてバーベキューも後半に入り、ひとり、またひとりと食べる手を止め、主に談笑を楽しむ空気ができ始めた頃だった。
「月影君。月影君。ちょいちょい」
犬井先輩が、他の人たちの目を避けるような位置から、小さく手招きしていた。
俺と視線が合ったことを確認すると、犬井先輩は周囲の視界に入らないよう注意しながら、倉庫の裏手へと移動していく。
普段とは違う、どこか深刻そうな雰囲気。
それに釣られる形で、俺も気づかれないよう自然に席を立ち、犬井先輩の後を追った。
倉庫の裏手には、壁に片手をつき、どこかハードボイルドな雰囲気を出そうとしている犬井先輩の姿があった。
……醸し出せているかは、別問題として。
犬井先輩は視線だけをこちらへ向け、ゆっくりと口を開いた。
「時は満ちた、同志よ」
何か始まった。
まだ状況は掴めていないが、この不肖月影佐助。
ノリだけは誰にも後れはとらん!
「お、おお……! ついに例の計画が!」
「待たせたな。我らの宿願――お悩み相談部を混乱と恐怖に陥れる時が来たのだ!」
何ともスケールが小さい宿願だこと。
「おお! ……それで、結局何をしたいんですか、犬井先輩」
「ええー! もうちょっと付き合ってくれてもいいじゃん!」
「付き合いたい気持ちは山々なんですけど、さすがに話が見えなさすぎて合わせづらいです」
「ぶーぶー!」
なぜかブーイングし始めた。
そして、しばらく頬を膨らませたあと、小さくため息を吐く。
「ほら、昼に話したでしょ? あれだよ、あれ」
「あれ? ……ああ」
犬井先輩の言葉で、ようやく理解した。
確か昼間にちょっと話が出ていた――
「肝試しの準備をしようと思って! でも、さすがに一人だとちょっと大変そうだし。月影君に手伝ってほしいかな!」
「なるほど。面白そうなので手伝うのはもちろん構いませんが……」
俺はそこで一度言葉を切り、犬井先輩を見た。
「うん?」
首を傾げる犬井先輩に、俺は小さな疑問を投げかける。
「いや、何というか……。犬井先輩、俺に声をかけてよかったんですか?」
「え? 何が?」
「だって、俺じゃなくて優人の方がよかったんじゃ――」
「えっ!? ちょ、ちょっと! や、やだなあ月影君! 急にどうして優人君の話が出てくるのかな!」
いや、その反応で分からないは無理がある。
犬井先輩の視線は、俺から逃げるように右へ左へと忙しく動いていた。
実に分かりやすい。
このまま先輩をイジリ尽くすのも、また一興ではあると思うが……いや、やっぱりやめとこう。
下手に突っついて犬井先輩が妙な方向に拗れてしまうのはよくない。
親しき仲にも礼儀あり。
いや、親しきヒロインにも線引きあり。
それこそが、脇役としてあるべき姿なのだ。
「で、何からやればいいですか?」
「あ、うん。色々持ってきてはいるんだけど、まずはそれを――」
話題が変わったことで、犬井先輩は露骨にほっとした顔をした。
そして、どこかへ移動しようとした、その瞬間だった。
「お話は伺いました。このシルヴィア、微力ながらお力添えしてもよろしいでしょうか」
「由奈ちゃん、水臭いよぉー。そんな面白そうなこと、私も混ぜてほしかったよぉー」
……いつの間に。
シルヴィアさんと石澤先生が、倉庫の角から姿を現した。
二人とも、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「セ、セリ姉! いつからそこに!?」
犬井先輩が慌てて石澤先生へ詰め寄る。
学園では石澤先生と呼んでいるようだが、プライベートではセリ姉と呼んでいるらしい。
そんな二人の姿は従姉妹というより、実の姉妹と言われても納得してしまいそうなほど距離が近かった。
「最初からよぉー。ふふ。なかなか面白い話も聞こえちゃった。……やっぱり由奈ちゃん、神代君のこと――」
「わあっ! わああっ! セリ姉!」
一瞬で慌てる犬井先輩。
それを見て、石澤先生は楽しそうに微笑んだ。
石澤先生は普段のゆるふわした雰囲気とは違い、こういう時はずいぶんお茶目な面もあるとは。
実に恐ろしい人材だ。
まあ、美人従姉妹の微笑ましい一幕と言えるだろう。
……それに比べて。
「まあ。月影様。そんなに見つめられると、少し照れてしまいます」
よく言うわ。
まったく照れているようには見えない顔で、シルヴィアさんがわざとらしく身をよじった。
その、いかにも狙ったかのような態度がムカつく。
だからと言って俺がこの人に対して何かできるわけでもないため、俺は心の中で怒りを処理するしかなかった。
「盗み聞きとは、ずいぶん優雅なご趣味ですね」
とはいえ、このまま黙って流すのも俺の性に合わない。
せめてもの抗議として、皮肉を投げてやったが。
「執事の嗜みでございます」
シルヴィアさんは当然のように微笑んだままだった。
そんな悪趣味な嗜みがあってたまるか!
俺の表情が腐っていくのを見ても、シルヴィアさんの優雅な笑みは崩れない。
そのまま彼女は、犬井先輩と俺へ向けて軽く腰を折った。
「犬井様、月影様。一つご提案がございます」
「提案?」
「ええ」
唐突な言葉に、俺は反射的に壁へ背中をつけ、警戒態勢に入った。
シルヴィアさんの提案。
それはもう、言葉の響きだけでろくでもないものの予感!
「今回の肝試しの準備ですが、どうか私どもに任せていただけませんか?」
……あれ?
意外とまともな提案のようだが?
「あ、準備を手伝ってくださるなら、もちろんありがたいですけど……」
「いえ。そういう意味ではございません」
犬井先輩の言葉に、シルヴィアさんは静かに首を振った。
「準備は、私と世利花さんの二人だけで行うという意味です」
「えっ?」
予想外の提案に、俺だけでなく犬井先輩も目を丸くした。
「で、でも、それは……私が言い出したことだし――」
「由奈ちゃん」
何かを言いかけた犬井先輩の肩に、石澤先生がそっと手を置いた。
普段通りの柔らかな笑顔だが、その声はいつもより少しだけ優しかった。
「由奈ちゃんが部長として頑張りたいのは分かってるよ」
「セリ姉……」
「みんなが楽しめるようにって、いつも率先している、優しい子だもの」
石澤先生は、少しだけ目を細めた。
「でもね、今日くらいは甘えていいんだよ」
「……でも」
「由奈ちゃんも、ちゃんと楽しまなくちゃ」
その言葉に、犬井先輩の表情が揺れた。
「まだ学生なんだから、由奈ちゃん自身の思い出を作るのも大事だよぉ?」
「……それは、そうかもだけど……」
「みんなを楽しませたいって気持ちは、とても由奈ちゃんらしいと思う。でも、その中に由奈ちゃん自身がいないのは、ちょっと寂しいかなぁ」
犬井先輩は言葉に詰まる。
いつもの元気な声は出てこなかった。
そこへ、シルヴィアさんが静かに言葉を添える。
「それに、犬井様……肝試しとは、ある意味、戦場なのですよ?」
「え?」
……この人は何を言っているんだ?
「暗い道。近づく距離。意中の殿方に思わず頼ってしまう瞬間。そして、それを乗り越える中で育まれる、互いへの想い……やがては……ふふっ」
「へ、へえ……」
何故か犬井先輩は、すごく真剣な顔でシルヴィアさんの話に聞き入ってしまった。
「そんな戦場を、ただ裏方に回って満足してしまうなど、もったいないとは思いませんか?」
「う、うっ……!」
何だか知らないが、犬井先輩が大きく揺れ始めた。
「犬井様ご自身も参加する側になった方が……きっと、より楽しめると思いますよ? 例えば――」
シルヴィアさんの謎の説得はそれからも続いたが、俺には聞こえないくらいのひそひそ話になっていたので、詳細は不明。
ただ、話が進むにつれて、犬井先輩はどこか熱い眼差しでシルヴィアさんを見つめるようになっていた。
――しばらくして。
「……本当に、任せてもいいの?」
結局、犬井先輩は折れた。
どこにそんな要素があったのか、未だに不明だが。
優人程の天然鈍感野郎ではないつもりだったが、今回ばかりは女子というものを理解できなかった。
本当に何なんだ。
「もちろん」
「ええ。最高の準備をするとお約束いたします」
犬井先輩は少し迷った後、大きく頷く。
「分かりました。じゃあ、お願いします」
「うん。任せて」
「お任せくださいませ」
石澤先生とシルヴィアさんは、揃って笑った。
そのいかにもいたずらっ子のような表情を見て、俺は思った。
「……すっごく不安なんだけどな……」
まあ、当然そんな俺の呟きを気にするものなど誰一人いなかった。
◇ ◇ ◇
肝試しの準備は石澤先生とシルヴィアさんの二人に任されることになった。
その間、犬井先輩と俺は何食わぬ顔で元の場所へ戻り、片づけを手伝った。
シルヴィアさんと石澤先生がいないことに気づいた者もいたが、二人は一応大人だ。
特に問題視されることはなかった。
やがて、片づけも一段落し、夜の空気がより濃くなってきた頃。
石澤先生とシルヴィアさんが、何事もなかったかのような顔で戻ってきた。
そして、シルヴィアさんが優雅に一歩前へ出る。
「さて、皆様。せっかくこのような素敵な場所に来たのですから、もう一つ思い出を作りませんか?」
続いて、石澤先生がにこにこと笑いながら手を叩いた。
「みんな~。肝試し、してみない?」
――そうして。
キャンプ初日の夜を締めくくる、肝試しが始まろうとしていた。
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