56話 脇役にはヤバいバーベキューパーティー
俺が座るや否や、向かい側から実に楽し気な声が聞こえてきた。
「ほら、お兄様。あーんしてください。はい、ああーん」
「い、いや。自分で食べられるから……」
「だめ、ですか……?(ウルウル)」
「うっ! わ、分かった。食べる。食べるから。あ、あーん」
「ユ、ユウト! これも食べてみて! ほら、あーん!」
「エリナ!? ちょっと待て、無理に押し込まな――むぐっ」
「優人君! お肉ばっかりじゃ栄養バランスが悪いよ! 野菜も食べなきゃ!」
「え、由奈先輩まで!? いや、ちゃんと自分で食べ――むぐぐっ!」
そこには、優人を中心とした心温まるラブコメディが広がっていた。
実に素晴らしいハーレム食事会、もとい食拷問現場を目撃して俺は心が落ち着くのを感じた。
彩花ちゃん、エリナ、犬井先輩。
三人のヒロインたちが、それぞれの善意と好意と対抗心を混ぜ合わせた結果、優人の口へ次々と食べ物が運ばれていく。
何という微笑ましい光景だろう。
ハーレム主人公様も大変である。
だが、それでこそ主人公。
優人の女難こそが俺の人生を彩る最高のスパイスだ!
そんな風に俺が一人満足げに頷いていた、その時。
隣の天川が、向かい側の光景をじっと見つめていることに気づく。
無表情。
いつもの無表情。
だが視線だけは釘付けだった。
「あれ、楽しい?」
天川がぽつりと何かを呟いた。
俺には聞こえるか聞こえないかくらいの音量だったせいで、何を言ったのかは不明。
だが、どうやらシルヴィアさんにははっきり届いたらしい。
シルヴィアさんは、にこりと微笑んだ。
そして天川の耳元へ顔を寄せ、何かを囁く。
「――――」
……何故だろう。
ものすごーく嫌な予感がしますぞ?
何だ。
この二人……というかシルヴィアさんはまた何を企んでいるんだ?
いつも天川に変な情報を吹き込んでは、俺に多大なご迷惑を掛けまくるのだから、自重してほしいけど。
俺は反射的に身構えた。
しかし、その警戒は全く意味がなかった。
一瞬、シルヴィアさんの姿が視界から消えた。
「……え?」
「月影様。失礼いたします」
次の瞬間には背後から柔らかな声が聞こえた。
同時に、何かが俺の顔を包み込むように固定する。
シルヴィアさんの手だ。
え、待て。
いつの間に後ろに!?
というか、動けな――
「んぐっ!?」
首に負担がかからない、しかし逃げることは許さない絶妙な力で、俺の顔が横へ向けられた。
その視線の先にいたのは、箸いっぱいに肉を挟んだ天川である。
「笑兎お嬢様。今です」
「佐助。あーん」
「は? 急に何を――むぐっ!?」
抗議の言葉を口にしようとした瞬間、天川の箸に挟まれていた肉が俺の口内へ侵入してきた。
入れた、など生易しい言葉では表現できない。
まさしく侵入だ。
こちらの都合など一切考えず、国境を無視して進軍してくる軍勢のように、肉が押し寄せてくる。
当然、そんな無理やり入れたら息が詰まる。
このままでは俺の死因が『バーベキュー中に肉を詰め込まれたため窒息死』という、ギャグ漫画でもそうそう見られないふざけた理由になってしまう。
それだけは嫌だ!
俺は生存本能に従い、必死に抵抗した。
しかし、俺の顔を固定しているシルヴィアさんの手はびくともしない。
天川は天川で、相変わらずの無表情のまま、さらに肉を押し込もうとしてくる。
まるで容赦がない。
あ、これ本格的にヤバイかも……。
「あ、天川! それ以上は本当に危ない!」
「月影様!? ちょっと、シルヴィアさん、何をなさっているのですか!」
鋭い声が二つ響いた。
久木先輩が天川の手首を掴み、有栖川がシルヴィアさんへ声を上げる。
珍しく、二人の声にははっきりとした焦りが滲んでいた。
そのおかげか、俺の口へさらに侵攻しようとしていた肉の圧力がようやく弱まる。
箸が引き抜かれた瞬間、俺は最後の力を振り絞って、まともに噛む余裕もなく口の中の肉をどうにか飲み込んだ。
すぐさま飲み物の入ったボトルを掴む。
コップへ注ぐ余裕などない。
そのまま口をつけて、喉へ流し込んだ。
「ぷはっ……!」
ようやく気道が確保される。
俺は九死に一生を得た気分で、大きく息を吸い込んだ。
「し、死ぬかと思った……」
目に少し涙が浮かんだ。
いや、本当に死ぬかと思ったぞ。
俺は危うく三途の川のほとりまで観光に行くところだったのだ。
許されるわけがない。
俺は、今回の暴挙を実行した二人の非常識人へ目を向ける。
シルヴィアさんは、有栖川に止められながらも、どこか満足げに微笑んでいた。
一方、久木先輩に手首を掴まれた天川は、相変わらずの無表情で首を傾げている。
「美味しい?」
天川のあまりにも平和な一言に、俺の中で何かが切れた。
俺は天川の顔を両手で挟む。
「え、ちょ、ちょっと! 月影?」
「つ、月影様!?」
久木先輩と有栖川が、何故か慌ててこちらを見つめた。
……まあ、横から見れば、今の体勢は距離が近いかもしれないが。
まるでキスでもするかのように見えるかもしれないと、今更に思った。
だが。
今から俺がするのは、そんな甘酸っぱい行為ではない。
もっと物理に訴えかけた、正当な制裁だぁぁぁぁぁぁ!!!!
「この、ポンコツがあああああっ!」
「いひゃい」
俺はそのまま、天川の両頬を左右へ引っ張った。
むにーっと伸びる。
相変わらず、感触だけは無駄に良い。
柔らかい。
弾力がある。
もちもちしている。
だからこそ腹が立つ。
「お前は何を考えて生きているんだ! 人を殺す気か、ああん!?」
「いひゃい」
「痛いではない! 俺はな、今さっき三途の川の向こうに広がる花畑を拝んできたんだぞ! 少しは反省しろ!」
いくら温厚で聖人君子の化身として称えられるこの俺でも、死にかければ、そりゃ怒るしかない。
そしてこれは、優しさでもある。
いつか俺ではない誰かに同じことをして、本当に誰かが倒れでもしたら洒落にならない。
だからこそ、第一被害者である俺が身をもって教えてやるしかない!
……それはそれとして、やはりこの頬は魔性の感触だな。
少し油断すると、そのまま延々と揉んで遊んでしまいそうになる。
「……何と羨ま……コホン! いえ、何でもありません」
「……何をしているんだ、君たちは……。(はぁぁ……良かったぁぁーキスするかと思ったよ……)」
有栖川と久木先輩が、何かを小さく呟いた気がした。
有栖川の方はともかく、久木先輩の声はあまりにも小さくて、最後までは聞き取れなかった。
まあ、今はそれどころではない。
「ふふ。月影様。可愛らしい悪戯ではありませんか」
シルヴィアさんののんびりした声に、俺は天川の頬から手を離し、今度はシルヴィアさんを睨んだ。
「あの可愛らしい悪戯を二回繰り返したら、あなたのお嬢様は立派な前科者ですよ! あなたも含めて!」
「あら。ご安心ください」
シルヴィアさんは、優雅に微笑んだ。
……眼だけは全く笑ってなかったが。
「万が一そのようなことになっても、痕跡ひとつ残さない方法はいくらでもございますので」
「そっちの心配じゃない! 発想が犯罪者かよ!」
思想が危険すぎる。
やはりこの人とは、できる限り距離を置きたい。
切実に!
ああああああ!ムカつく!
そんな風に俺が心の中で怒り狂っていると。
「あ、月影様。お顔にソースが……少々失礼いたします」
突然有栖川が懐から白いハンカチを取り出した。
そして、俺の口元をそっと拭う。
布地が肌に触れた瞬間、ふわりと上品な香りがした。
思わず体が固まる。
……なぜだろう。
ひどく落ち着かない。
「……よ、余計なことするな! そのくらい、自分で拭ける!」
……え? ちょっと待って。
何だ今の。
なぜ俺は、急に三流ツンデレみたいな台詞を吐いているんだ?
気色悪いよ、俺!
「ふふ。申し訳ありません。差し出がましいことをいたしました」
有栖川は有栖川で、なぜか慈愛に満ちたような表情をしている。
……本当に調子が狂う。
「月影。これも食べておけ」
内心で動揺していると、今度は久木先輩が小皿を差し出してきた。
皿の上には、綺麗に切られたパイナップルが乗っていた。
「パイナップル?」
「さっき肉をほとんど噛まずに飲み込んだだろう。胃に負担がかかったはずだ。消化の助けになるだろう」
「は、はあ……。ありがとうございます」
口調は、いつも通りな気がする。
だけど、たしかな気遣いを感じた。
……心配、してくれているのだろうか。
そう思うと、やっぱり調子が狂う気がした。
俺は小皿を受け取り、パイナップルを一切れ口に運ぶ。
甘い果汁が、口の中に広がった。
「これは、お嬢様も黙ってはいられませんね」
「何が?」
「ふふ。このシルヴィア、いつでもお嬢様を応援しております」
「?」
視界の端で、また人を不安にさせる主従の会話が交わされている。
が、俺はそれらを徹底的に意識の外へ追いやりながら、パイナップルの甘味だけに集中した。
有栖川は妙に距離感が近い気がする。
久木先輩は普段と同じようで、どこか優しい。
天川とシルヴィアさんは、相変わらず危険だ。
……一体何なんだ、これは。
理解できない。
理解したくもない。
だから、今の俺に言えることは一つだけだ。
……どうでもいいから、俺を放っておいてくれ!
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