55話 バーベキューパーティーの始まり始まり
グリルの中に薪と着火剤を入れ、乾いた新聞紙に火をつける。
すると、最初は頼りなく揺れていた小さな炎が、やがて薪の表面を舐めるように広がっていった。
ぱち、ぱち。
乾いた音を立てながら、炎が少しずつ大きくなる。
その火が、放っておいても十分に燃え続ける程度まで育ったところで、シルヴィアさんは手慣れた動作でバーベキュー用の炭を並べていった。
迷いのない手つきだった。
というか、あまりにも自然すぎて、もはや料理というより儀式に近い。
「火力は安定しているな。炭の配置も悪くない」
いつの間にかグリルの横に立っていた久木先輩が、妙に専門家めいた顔でそう呟いた。
「分かるんですか?」
「理屈だけならな。空気の通り道と燃焼効率を考えれば、ある程度は予測できる」
「へえ」
「ただし、実践は別だ。あの手際は、普通に熟練者のものだと思う」
久木先輩の視線の先で、シルヴィアさんは相変わらず涼しい顔のまま炭を整えている。
やがてグリル全体に十分な熱が行き渡ったところで、シルヴィアさんは最初の肉をトングで持ち上げた。
そして、それを網の上へと静かに置く。
まるで、真っ白な雪原に最初の足跡が刻まれるかのように。
じゅううっ!
次の瞬間、肉が焼ける音が夜の空気を震わせた。
同時に、食欲を刺激する香ばしい匂いが一気に広がっていく。
「おお……」
思わず声が漏れた。
バーベキューをすることは最初から分かっていた。
だが、実際に肉が焼け始める瞬間を目の当たりにすると、急に実感が湧いてくる。
これだ。
これこそバーベキュー!
グリルのすぐ前に立つシルヴィアさんは、当然ながら相当な熱気を浴びているはずだ。
しかし、汗ひとつ浮かべることなく、涼しい顔で肉の焼き加減を見極めている。
たまに思う。
この人……実は人間ではなく、極めて精巧に作られたサイボーグか何かなのではないだろうか、と。
ラノベじみたこの世界なら、そんなものが存在しても「へえ」と納得してしまいそうで怖い。
「笑兎お嬢様。まだ焼けておりません」
「待てる」
「手が伸びております」
「待ててる」
シルヴィアさんの近くでは、天川が皿を持ったまま微動だにせず、網の上の肉をじっと見つめていた。
その姿は、獲物が弱るのを待つ捕食者そのものだった。
兎なのに捕食者とは、これいかに。
さすがはバーベキューに釣られて参加しただけはある。
グリルの近くには、焼かれる時を待つ大量の肉や野菜、串に刺された食材が並んでいた。
それを見ているだけで、俺の胃袋の中に住まう餓鬼たちが「早く食わせろぉ!!」と暴動を起こし始める。
全く、困ったものだ。
それにしても、犬井先輩が用意した食材の量はかなりのものだった。
十人で食べても十分。
いや、むしろ余るのではないかと思えるほどの量だ。
これだけの食材を準備し、ここまで運んでくれた犬井先輩と石澤先生には、改めて頭が上がらない。
もちろん、俺たちも参加費という名目である程度のお金は出している。
だが、この食材の山を見る限り、明らかにこちらが得をしている気がした。
「犬井先輩って、こういうところは本当に太っ腹だよな」
「ええ。人をもてなすために手間を惜しまない姿勢は、素直に尊敬できます」
隣の方で、有栖川が静かに頷いた。
普段の言動については色々と言いたいことがあるが、こういう場面での感想には妙に育ちの良さが出る。
このロッジを含む一帯は、犬井先輩の祖父が所有している土地らしいし。
毎年、家族や親戚が集まって避暑を楽しむ別荘のような場所なのだとか。
……別荘。
何とも縁遠い響きだ。
そんなことを考えている間にも、シルヴィアさんは手際よく肉や野菜を焼き上げていく。
やがて、最初の皿が完成した。
「はい、皆様。大変お待たせいたしました。どうぞ、温かいうちにお召し上がりください」
「おお!」
「わあ、いい匂い!」
「シルヴィアさん、本当にすごいですね。エトちゃんが羨ましくなりそうです」
人の理性を揺さぶる香り。
食欲を煽る焼き色。
ただグリルで焼いただけの、単純な料理。
それなのに、この破壊力と来たら。
屋外で、みんなで食べる。
ただそれだけの要素が加わるだけで、食事という行為はここまで特別なものになるらしい。
「では、いただきます!」
焼きたての肉と野菜を取り分け、まずは肉を一口。
噛んだ瞬間、口の中で肉汁が弾けた。
香ばしさと旨味が、脳へ一直線に突き刺さる。
「お、おお……宇宙が見える……!」
料理漫画の演出のように、脳裏へ稲妻が走った。
いや、走った気がした。
飲み込んだ瞬間、精神が肉体から解き放たれ、星々の海へ旅立ちかける。
これは、ヤバイ。
危うく昇天するところだった。
くくく……この俺を浄化しようと襲いかかるとは、なかなかの力ではないか。
いいだろう。
相手になってやる。
さあ、来い!
この闇の眷属たる俺を満足させてみせろ!
もぐもぐ。
「くっ……凄まじい力だ……! たかが食材の分際で、よもやここまでとは……!」
よし。
もう一回、今度は野菜と一緒に……。
「くうっ! まだだ! 俺の闇はこの程度で消えない! まだ、俺は倒れぬぅぅぅ!」
「……お前、何と戦っているんだ?」
優人が不思議そうな顔でこちらを見ていた。
細かいことを気にするやつで本当に困るな。
俺が封印されし中二病を解放している間にも、他の面々は口々に「美味しい」と声を漏らしながら、箸を動かしていた。
当然のように、皿の上の料理は急速に消えていく。
ほどなくして、バーベキュー侵攻第一波は、あっけなく壊滅した。
「ふふ。次の分もすぐに焼きますので、少々お待ちください」
シルヴィアさんは、そんな俺たちをどこか満足そうに眺めながら、次なる侵攻作戦の準備に入っていた。
俺はそれを今か今かと見つめながら、ふと思った。
餌を待つ雛鳥とは、きっとこういう気分ではないだろうか。
まあ、知らんけど。
◇ ◇ ◇
それから、何度目の侵攻ウェーブが過ぎただろうか。
数えるのも面倒になり、そろそろ箸の動きが一人、また一人と鈍くなり始めた頃。
俺は少し席を外し、トイレへ行って用事を済ませて戻ってみれば……。
「……何らかの悪意を感じざるを得ないんだが」
席の配置が、なぜか大きく変わっていた。
まず、バーベキューを焼く担当はシルヴィアさんから石澤先生へ交代していた。
元々石澤先生が座っていた場所にはシルヴィアさんがいて、その隣には天川が座っている。
天川の反対側の隣には一つ席が空きがあり、その隣に有栖川が。
さらにその隣に久木先輩という並びになっていた。
向かい側には、エリナ、優人、彩花ちゃん、そして犬井先輩が並んでいる。
つまり。
自然と、残っている席は天川と有栖川の間だけになる。
……なぜ、よりにもよってそこだけが空いているんだよ。
やはり何か悪意を感じさせる。
「はあ……」
俺は思わずため息を吐いた。
ものすごく、気が進まない。
だが、他に座る場所がない以上、仕方がない。
俺は渋々と残されたその席へと腰を下ろした。
――このときの俺はまだ知らなかった。
その席が、今日一番の危険地帯と化するという事実に。
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