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45話 キャンプに行こう!

 四月末の健康診断および新体力テストが終わり、時はゴールデンウィーク目前の木曜日。


 ゴールデンウィーク前、最後の部活動ということもあってか、お悩み相談部の空気はどこか緩んでいた。


 適当にお悩み相談の対応を終え、のんびりと茶を飲んでいる優人ゆうととエリナ。


 無表情でクッキーをもぐもぐしている天川あまかわ

 頭に付けている兎耳形状のカチューシャも相まって、まさしくエサを食べている兎のようだった。


 部室の隅では、妙にサイバーパンクめいた装飾のノートパソコンで何か作業をしている久木ひさき先輩。


 そして、なぜかテーブルに突っ伏したまま、時折「うー」とか「むー」とか、謎の低い唸り声を漏らしている犬井いぬい先輩まで。


 統一感などまるでない。


 ちなみに、久木先輩については少し変化があった。


 心境の変化なのか。


 それとも新学期を迎えて――と言うには、時期が微妙に遅い気もするが――イメージチェンジを狙ったのか。


 はたまた何か別のきっかけがあったのか。


 詳しい事情までは分からない。


 ただ、以前の久木先輩と比べると、明らかに印象が変わっていた。


 ぼさぼさだった髪は綺麗に整えられ、あちこち汚れていた白衣は、洗い立てのように真っ白なものへと変わっている。


 以前の彼女は研究室の隅でひっそり繁殖していそうなキノコめいた陰気さをまとっていたけど、今は知的な研究者らしく見える。

 

 別に、気合いを入れて着飾っているわけではない。


 最低限の清潔感を取り戻した。


 それだけのこと。


 それだけなのだが、久木先輩は元の造形が悪いわけではないため、十分に美少女として評価されてもおかしくない見た目になっていた。


 ……まあ、なぜかこちらをじっと見ていることがあるのは相変わらずなのだが。


 その意図がまったく分からないため、俺は徹底的に無視している。


 世の中には、触れない方がいいものがあるのだ。


 そんな俺はといえば、目前に迫ったゴールデンウィークに向けて、優人とヒロイン候補たちの予定を頭の中で整理していた。


 大型連休。

 外出。

 偶然の遭遇。

 普段とは違う服装。

 親の不在。

 泊まり。

 旅行。


 これらの単語が並んだ時点で、ラブコメ的イベント発生率は跳ね上がる。


 つまりゴールデンウィークとは、主人公イベントの宝庫と言えよう。


 もちろん、予定といっても、俺が全員のスケジュールを完全に把握しているわけではない。


 あくまで、本人たちが雑談の中で口にした範囲。


 他人に知られても問題のない程度の情報だけだ。


 俺はしがない眼鏡オタク系脇役。

 そのあたりの線引きは、むしろ生命線と言っていい。

 

 自然な位置から主人公のイベントを観測する。

 それこそが、脇役として守るべき一線である。


 そんなふうに俺が一人、ゴールデンウィークに発生しうる主人公イベントへ思いを馳せてニヤリとしていると――


「うにゃああああっ!」


 唐突に、我らがお悩み相談部の部長にして、優人のヒロイン候補の一人でもある犬井先輩が奇声を上げながら上体を起こした。


 突然の奇行に、部室にいた全員の視線が犬井先輩へ向く。


 犬井先輩はそんな部員たちの反応などまったく気にせず、椅子を蹴るように立ち上がった。


 そして、両手でテーブルをぽん、と控えめに叩いた。


「キャンプに行こう!」

「……はい?」

「キャンプ……ですか?」

「犬井……突然何を言い出すんだ、お前は」


 当然、部室にいた大半の人間は、犬井先輩の発言にぽかんとするしかなかった。


 ……約一名、何の興味もなさそうにクッキーをかじっているうさ耳カチューシャのポンコツがいるが、あれは存在そのものが例外なので数に入れない。


「そう! キャンプ!」


 犬井先輩は俺たちの反応を見て、なぜか得意げに胸を張った。


 小柄な体格に比べて存在感と自己主張が大きいお胸様に優人の視線が釘付けになる。


 ああいうところを見ると、あいつもちゃんとした男なんだよなー。


 直後。


 優人の隣にいたエリナが、無言で優人の足を踏んだ。


 「ぐぅっ!」

 「ふん!」


 実に分かりやすい制裁である。


「もうすぐゴールデンウィークでしょ? 前から考えてたんだよね! お悩み相談部のみんなで、何か思い出になることをしたいなーって!」


 なるほど。


 テーブルに突っ伏して唸っていたのは、そういうことを考えていたからなのか。


「それで、今日ずっと考えて、考えて、考えて……閃いたの! 閃きの神様が降りてきたの! そうだ、キャンプをすればいいんだって!」


 たまにこういう突発的な行動をするのも、犬井先輩の魅力といえば魅力である。


 俺としては大いに結構だ。


 むしろ、主人公イベントの匂いがするので歓迎したい。


「……お前のその思考プロセスについては大変興味深いが、率直に聞こう。 なぜキャンプなんだ?」


 久木先輩が呆れたように問いかける。


 すると犬井先輩は、ぴんと人差し指を立てた。


 そして、その指を左右にちっちっち、と振る。


 その瞬間、久木先輩の眉がぴくりと動いた。


 だが犬井先輩は気にしない。


 まったく気にしない。


「もう、向日葵ひまわりちゃんはいつも難しく考えすぎなんだよ。 新生お悩み相談部ができてから、初めての大型連休! つまり、みんなで思い出を作るには最高のタイミングってことじゃない?」

「思い出作り、か」

「そうそう! ね、優人君もそう思うでしょ?」

「え? あ、えっと……いいと思います。 由奈ゆな先輩」


 突然話を振られた優人は、少し戸惑いながらも、どこかぎこちない笑みで犬井先輩に同意した。


 ちなみに、優人と犬井先輩がいつの間にか名前で呼び合うようになっていた理由について、俺は詳しく把握していない。


 気づけばそうなっていた。


 つまり、俺の知らないところで何かがあったということである。


 優人のことだから大方、どこかでラブコメ的な何かが発生したのだろう。


 だが、その現場を俺は観測できていない。


 痛恨の観測漏れである。


 この失態は、脇役観測者として深く反省しなければならない。


 まあ、それはそれとして。


 優人が曖昧ながらも同意したことで、犬井先輩はさらに勢いづいた。


「ほら! 優人君も賛成だって! エリナちゃんはどう?」

「……まあ、ユウトが行くなら」


 当然、エリナに反対する理由はない。


 少なくとも、優人が行くならエリナは行く。


 そのあたりは非常に分かりやすい。


月影つきかげ君は……聞かなくてもいいよね! 参加決定!」

「扱いが雑! ありがとうございます! あ、もちろん優人が参加するなら俺も行きます」

「うんうん。 月影君のそういうノリ、嫌いじゃないよ」


 この雑な扱い方と来たら……たまりませんな!

 ……有栖川ありすがわからマゾ属性が感染でもしたんだろうか。

 違うと信じたい。


 犬井先輩は満足そうに頷き、次に久木先輩へ視線を向けた。


「向日葵ちゃんは?」


 その瞬間。


 久木先輩の視線が、一瞬だけこちらを向いたような気がした。


 ……気のせいだろう。


 気のせいということにしておく。


「……個人装備以外のキャンプ用品の選定、調達、搬送計画とかの詳細をやってくれるなら」

「それはもちろん!」


 考える間もなく、犬井先輩が即答した。


 正直、久木先輩は徹底したインドア派という印象が強い。


 だから、こういったアウトドアイベントに参加するとは思っていなかった。


 かなり意外である。


 犬井先輩の視線は、今度は相変わらずクッキーをかじっている天川へ向いた。


笑兎えとちゃん!」

「……」

「行こう! キャンプ! 美味しいもの食べよう!」


 ぴたり、と。

 天川の動きが止まった。


 まるで電源を切られた機械人形のように、クッキーを口元へ運ぶ手が止まる。


「美味しいもの?」

「うんうん! 例えば、バーベキューとか!」

「行く」


 即答だった。


 食べ物に釣られるとは、今どき小学生でもそうそう見せない見事な釣られっぷりである。


 ある意味、非常に潔い。


「よし! じゃあ決定だね!」


 犬井先輩は両手をぐっと握りしめ、勝利宣言のように胸を張った。


「ゴールデンウィークは、お悩み相談部でキャンプに行きます!」


 こうして、場の空気と犬井先輩の熱量に押し切られる形で、ゴールデンウィークのキャンプが決定した。


 まあ、俺としても異論はない。


 むしろ歓迎すべきイベントである。


 ゴールデンウィーク。

 キャンプ。

 主人公。

 ヒロイン候補。


 この単語が並んだ時点で、何も起きないはずがない。


 焚き火。

 料理。

 夜の散歩。

 テント。

 肝試し。

 星空。

 水辺。

 不慮の事故。

 偶然の二人きり。


 考えれば考えるほど、ラブコメイベントの鉱脈で胸が躍る。


 まあ、どこに行くかはまだ決まってないが。


 ともあれ、素晴らしい。

 実に素晴らしい。


 これは、俺の脇役観測者としての腕が試されることになりそうだ。


「あ、そうだ」


 そこで犬井先輩が、思い出したように手を叩いた。


「ちなみに、部員じゃなくても一緒に行きたい人がいたら誘っていいよ!」


 ――犬井先輩のその一言が、後にどれほどの波紋を呼ぶことになるのか。


 この時の俺は、まだ知る由もなかった。


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