43話 ナースな兎
目の前には、下着姿の天川。
その光景を目の当たりにした俺は――
「はああああああああ……」
地の底まで沈みそうなほど、深くため息をついた。
何だ、これは。
この無表情・無感情の兎人形女は、今度はまた何の奇行を始めているんだ?
なぜ下着なのだ。
いつからこの学園はこんな痴女が出回る変態学園になったんだ?
本当に何なんだよこれは。
イジメか?
脇役に対するイジメなのか?
ラッキースケベとは、本来、主人公が存在して初めて輝くイベントだ。
それを俺のような脇役に浪費してどうする。
イベント価値が暴落するだけだ。
文字の無駄。
紙の無駄。
データ容量の無駄。
大衆が求めているのは主人公の受難と、それに振り回されるヒロインたちの反応であって、冴えない眼鏡男のサービスシーンではない。
そんなものを差し出されたところで誰が喜ぶか!
何なら、「なぜそこで脇役にイベントを振った!何考えてんだ!」と抗議の電話を掛けまくる自信がある。
こいつの下着姿を見るのは二回目だが、やはり欲情することはない。
天川本人があまりにも平然としているし、相変わらずの無表情だし、こちらの情緒が追いつかないのだ。
目の前にいるのは、確かに整った顔立ちの美少女ではある。
だが同時に、何を考えているのか分からない無表情の人形でもある。
色気より先に疑問が来る。
情欲より先に危機管理が来る。
というか、客観的に見ればアウトだ。
長く考える必要もない。
一発退場だ。
俺が死ぬ。
社会的に。
幸い、まだ周囲に人の気配はない。
俺は静かに保健室の扉を閉めた。
そして、扉の内側から半眼で天川を見る。
「……で、お前はここで何をしているんだ、天川。 あと、保健の先生はどこへ行った」
俺の問いかけで、停止していたシステムが再起動したかのように、天川がはっとした。
表情は相変わらず無表情なのに、たまにこういう分かりやすい反応をするから妙な話だな。
「着替えてる」
「……それは何となく分かるが」
分かりたくなかったが、何となく分かった。
天川のすぐ横には、カーテンで仕切られた保健室用のベッドがあった。
完全に閉め切られているわけではなく、隙間からベッドの上に置かれた体操服らしき布が見える。
その横には、別の白い布地も置かれていた。
問題は、なぜわざわざ保健室で着替えているのかという点である。
だが、天川はそれを説明する気配もなく、当然のようにベッドの上の布へ手を伸ばした。
その姿に軽くため息を漏らして俺は後ろを向いた。
いくら俺がこいつを何とも思わないとしても、天川が全く気に介さないとしても、これは人として守るべき礼儀の領域だ。
それに、着替え途中の相手を前にして、堂々と眺める趣味はない。
そのまま、曲がった眼鏡のフレームを指で直しながら、できるだけ何も考えないようにした。
背後で布が擦れる音がする。その音を聞いていたらふっと思った。
……いや、これよく考えたら外に出ていけばよかったのでは?
と、今更そんな考えが過ぎったが、だからと言って今から出るのもそれこそ今更な話だった。
ちなみに、額の出血はもう止まっているようだった。
痛みは残っているが……まあ、耐えられないほどではない。
「着替えた」
ようやく背後から天川の声がした。
やっとか。
俺はもう一回ため息を吐き、ゆっくりと振り返る。
そして、先ほどとは別の意味で固まった。
「佐助?」
天川が不思議そうに首を傾げる。
そこにいたのは、先ほどまでの下着姿みたいな場違いを極めた服装ではなかった。
ある意味では保健室でもそこまで違和感がないかもしれない服装と言える。
言えなくはないが……やはり場違いだ。
着替えた天川は……何故かナースの服を着ていた。
だが、スカートが短すぎたり、胸元が露出度が高かったりで、とにかく布の面積が少なめで、全体的に妙にコスプレ感が強い。
いつものウサギ耳カチューシャの代わりに、小さなナースキャップのようなものが頭に乗っていて、自己主張をしている。
いや、まあー。
似合っている。
似合ってはいるぞ。
腹立たしいくらい、絵面としては成立している。
だが、それはそれとして言わせてほしい。
「……なぜ、ナース服を?」
「保健委員だから」
答えになっていない。
あまりにも堂々とした返答だった。
そのせいで一瞬、俺の方が間違っているのかと思いかけた。
保健委員だから、ナース服。
いや、ない。
普通はない。
どこの世界に、保健委員だからという理由でナース服(しかも露出度高)を着る制度がある。
医療系の専門学校なら、あるいは分からなくもない。
だがここは進学科の普通の保健室だ。
イカれた規模のマンモス校ではあるが、少なくとも保健委員がナース服を着る規則は存在しない。
まったく理解できない。
俺は額を押さえた。
傷が痛い。
傷とは別に、頭も痛い。
どう反応すれば正解なのか、本当に分からない。
ツッコミを入れるべきなのか。
無視すべきなのか。
それとも、これは桃源高校の新たな闇として記録しておくべきなのか。
そんなふうに途方に暮れていると、保健室の扉が開いた。
「いやー、ごめんごめん。 天川ちゃん、続きをやろうか――」
入ってきたのは、白衣を着た保健の先生。
彼女は扉の近くに立つ俺を見た。
次に、ナース格好の天川を見た。
もう一度、俺を見た。
それから、ゆっくりと首を傾げる。
「……どういう状況?」
むしろ、俺が聞きたいわ。
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