40話 身体測定にラッキースケベは付き物
入学式を終えたのが、つい昨日のことのように感じられる。
だが、気づけば四月も終わりに差しかかっていた。
満開だった桜はすっかり散り、代わりに枝先には鮮やかな若葉が広がっている。
時が流れるのを感じずにはいられなかった。
そしてこの時期、桃源高校では春の風物詩とも呼ぶべき学園行事が始まる。
その名も身体測定・新体力テスト週間!
名前だけ聞けば、どこの学校にもある普通の行事だ。
だが、我がラブコメ主人公である優人がいる時点で、それは見事なラブコメのイベントと化す。
身体測定。
体力測定。
体操服。
普段とは違う空気。
これらの単語が並んだ時点で、ラブコメ的イベント発生率は指数関数的に跳ね上がる。
言うなれば、王道イベントの一つ。
主人公観測を生業とする脇役であるこの俺が、期待しないはずがない。
ちなみに、身体測定と新体力テストに一週間もかけるのには理由がある。
桃源高校は生徒数だけで一万人近いイカれた仕様のマンモス校だ。
その全員を一日で測定するなど不可能。
シンプルに人手が足りないのだ。
外部から検査スタッフを呼んで実施するとはいえ、さすがに一万人を一日で捌けるほどの人数は確保できない。
そのため、学科、学年、クラスごとに日程を分け、五日間かけて順番に処理していく感じになっていた。
もはやただの高校行事の領域を軽々と超えている。
桃源高校は無駄に敷地が広い。
どこかの学科や学年が測定を行っている間も、他の学科は普通に授業を進めることができる。
実に惜しい。
他学科や他学年との接点については、今回のイベントでは望めない。
その接点によって生まれる新たなフラグの可能性を考えると、涙を禁じ得ない。
とはいえ、学園側の運営がそうなっている以上、俺にできることは精々泣く泣く諦めることくらいだ。
その未来を観測するのは、もう少し先の楽しみに取っておくとしよう。
まあ、そんな個人的な欲望はさておき。
もっとも生徒数の多い我が進学科は、測定週間の初日からの三日間に割り当てられていた。
中でも一年生は高校に入って初めての測定ということなので、月曜日に割り当てられている。
午前中に身体測定、午後には新体力テストという予定になっている。
つまり、俺たち一年A組は、登校してすぐ体操服に着替える必要があった。
わけだが――
「くっ、くく……っ! くふっ、ふふふ……!」
「……笑うなら、いっそ普通に笑え」
目の前にいる優人は、疲れたような顔でそう言った。
その両頬には、見事な紅葉が刻まれている。
つまり、手形。
しかも左右対称。
なかなか芸術点が高い。
10点満点を差し上げても惜しくないぞ。
優人のその言葉に俺は一度、深く息を吸った。
まあ、お前がそういうなら、俺は親友の慈悲深い許可をありがたく受け取ろうではないか。
「ぶはははははっ! わはははははっ! いひひひひひっ! ぬふふふふふふっ!」
「せめて笑い方は統一しろよ……」
優人がげんなりした顔で突っ込む。
いや、しかしだ。
これは笑うなという方が無理だろう。
何があったのか。
答えは実に単純である。
優人は、測定に必要な学生証を教室の机に置き忘れたらしい。
そして男子更衣室へ向かう途中でそれに気づき、一度教室へ戻った。
ただ、それだけの話だ。
ただし、その教室では、女子たちが体操服に着替えていた。
女子更衣室が混み合っていたため、一部の女子達が教室を臨時の着替え場所として使っていたらしい。
そこへ、何も知らない優人が真正面から帰還。
結果。
金髪ツインテール幼馴染と桜色のクラス委員長による、見事な両頬紅葉アートが完成したというわけだ。
何をしているんだ、この馬鹿主人公は。
ただ体操服に着替えるだけの短い時間で、しっかりラッキースケベを発動させるとは。
やはりこいつ、ラブコメの神に愛されている。
いや、呪われていると言うべきか。
どちらにせよ、俺としては大変興味深い。
非常に残念なことに、俺はその場面を直接観測できなかった。
これは痛恨のミスである。
朝から発生した貴重なイベントを見逃すとは、脇役として不覚。
己の未熟さを恥じるばかりだ。
もちろん、同情はしている。
しているが、それはそれとして面白いものは面白い。
「人の不幸がそんなに楽しいか、お前」
「当然だろう。 特にお前の女難による不幸は、俺を最も幸せにしてくれる栄養素だ。 俺のために踊る道化になってくれてありがとう、優人君」
「……これ、殴っても合法じゃないか?」
「いやん! 優人君ってばけ・だ・も・の♥……おい待て。 冗談だ。 暴力反対!」
そんなくだらないやり取りをしながら、俺たちは身体測定の会場になっている多目的ホールへ向かった。
多目的ホールには、すでにクラスメイトたちが集まっていた。
いくつもの臨時で建てられた測定ブースが並び、入り口付近では学生証を読み取るための端末が設置されている。
測定結果は、学生証を読み込むだけで即座に校内システムへ登録されるらしい。
桃源高校、無駄に金がある。
そして、そんな測定会場に入った瞬間、クラスメイトたちの視線が一斉に優人へ向いた。
女子たちは、どこか気まずそうにちらちらと優人を見る。
男子たちは、妙に感心したような顔でざわついていた。
「勇者だ……」
「勇者が来たぞ……」
「朝から伝説を作った男……」
どうやら、すでに噂はクラス中に広まっているらしい。
「お前の勇名はもう広く知れ渡っているようだな、親友」
「心底から嬉しくないんだが……」
優人は、心底うんざりした顔をした。
そんな優人のもとへ、エリナと桜庭が申し訳なさそうに近づいてきた。
エリナはいつもの勝ち気な表情ではなく、しゅんと肩を落としている。
桜庭もまた、委員長らしい真面目な顔をしながらも、かなり気まずそうだった。
「そ、その……ユウト、大丈夫? さっきは、ごめん……」
「本当にごめんなさい、神代君。 神代君は何も悪くなかったのに、つい体が先に動いてしまって……」
どうやら、自分たちの行動がだいぶ理不尽だったという自覚はあるらしい。
まあ、当然だ。
優人が女子更衣室に突撃したならともかく、今回は教室で着替えていたところに優人が戻ってきただけだ。
言ってしまえば事故だ。
もっと正確には女子たちの過失が多い事故だ。
優人に限って言えばラブコメ的必然とも言えるが。
これを優人だけのせいにするようなら、ヒロイン候補としての資質が問われるところだった。
その点、二人ともきちんと謝りに来たあたり最低限の良識はあるらしい。
優人は申し訳なさそうな二人を見て、少し困ったように笑った。
「いや、大丈夫。 着替えてるところに急に男が入ってきたら、驚くのは当然だし」
そう言ってから、優人は少しだけ遠い目をした。
「……でも、できれば次からは更衣室で着替えてくれると助かる」
「う……ご、ごめん。 次からは絶対そうするわ……」
「わ、私も委員長として、きちんと注意するようにするから……」
二人は揃って再発防止を約束した。
優人の両頬に残る紅葉模様と、妙に真面目な謝罪。
その組み合わせが、どうしようもなく面白い。
俺は一歩離れた場所からその様子を眺め、自然と口元を緩めた。
これはなかなか、幸先のいい測定イベントになりそうだ。
デュフフ。
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