38話 マゾ令嬢の意外なファン
知り合いなのか?
一瞬そう思ったが、よく考えてみれば、有栖川と彩花ちゃんは同じお嬢様学校に通っていたはずだ。
なら、彩花ちゃんが有栖川のことを知っていること自体は、そこまで不思議ではない。
だが、それにしては彩花ちゃんの表情が妙だった。
ただ先輩を見つけた、というだけにしては驚きすぎている。
俺はちらりと有栖川の方を見た。
有栖川は、どこか困惑したような顔をしていた。
何だ、この反応は。
その疑問は、有栖川自身の言葉ですぐに解けた。
「……申し訳ありません。 わたくしたち、どこかでお会いしたことがありましたでしょうか」
有栖川は、面目なさそうに小さく頭を下げた。
どうやら、本当に覚えていないらしい。
すると今度は、彩花ちゃんの方が慌てたように何度も頭を下げた。
「あ、いえ! 失礼いたしました! わたくしが一方的に存じ上げていただけですので、有栖川先輩が気になさることではございません!」
何というか。
普段の彩花ちゃんからは少し想像できないほど、恐縮しきった様子だった。
彩花ちゃんは大人しい性格ではあるが、誰かに対してここまで腰を低くするほど弱い子ではない。
俺は彩花ちゃんとは数年来の付き合いだ。
それでもこんな反応は初めて見る。
……ふむ。
まさか――
「有栖川。 お前、学校でいじめでもしていないだろうな」
「それはとんでもないです!」
そう答えたのは、有栖川ではなく彩花ちゃんの方だった。
「いくらお兄様のお友達でも、そのような根拠のないことを有栖川先輩におっしゃるのは失礼です!」
彩花ちゃんは、悪いことをした子どもを叱るように、ぴんと人差し指を立てた。
その目は、なかなかに冷たい。
……なぜだ。
心の底から納得がいかない。
「お兄様のお友達ですので、今回は聞かなかったことにいたします。 ですが、有栖川先輩への言葉遣いには、もう少しお気をつけください」
「いや……うん……」
何だ、この状況。
納得できない。
まるで納得できない。
だが、彩花ちゃんの圧が強い。
「そ、それで」
彩花ちゃんは少しだけ咳払いをしてから、俺と有栖川の顔を交互に見た。
「お兄様のお友達と、有栖川先輩は、どういったご関係なのでしょうか……?」
その目は、気になって仕方がないと言わんばかりだった。
俺は思わず眉をひそめる。
参ったな。
俺一人なら、適当にごまかしてすぐに優人たちを追えばよかった。
だが、彩花ちゃんは明らかに有栖川に強い関心を持っている。
このまま優人と桜庭を追いかけた結果、万が一、彩花ちゃんが優人と桜庭が一緒にいるところを目撃したらどうなるか。
見える。
あまりにも鮮明に、修羅場の未来が見える。
誤解のないように言っておくが、俺にとって、優人の修羅場観測は大好物だ。
それだけで白米三杯はいけると言っても過言ではない。
だが、それはあくまで自然発生したイベントでなければならない。
俺が裏で動いて修羅場を発生させるなど論外。
脇役としての美学に反する。
……はあ。
仕方ない。
これも、有栖川を振り払おうとした俺の浅はかな策が招いた結果だ。
優人の休日デートイベント観測は、ここまでにするしかない。
本当に、不本意だが、涙が出るほど惜しいが!
くそおぉぉぉ!
最高の一日が、憂鬱な一日に変わった瞬間だった。
◇ ◇ ◇
その場で立ち話を続けるのも何だったので、俺たちは先ほど出たばかりのカフェへ戻ることにした。
出てすぐ戻ってきた挙句、また飲み物を注文する俺たちを見て、店員さんが「そんなにコーヒーが好きなのかな」という純粋な目を向けてきた。
その目が、黒く濁った俺の心に深く突き刺さったことは、また別の話である。
「なるほど。 同じ中学校に通っていらしたのですね」
彩花ちゃんに関係を聞かれた俺は、有栖川とは中学時代のクラスメイトだった、という事実だけを簡単に説明した。
余計なことは言わない。
中学時代のあれこれをここで掘り返すのは、さすがに面倒だ。
彩花ちゃんは、自分の飲み物を上品に口へ運びながらも、ちらちらと有栖川の様子を窺っている。
その視線が、どうにも気になる。
ちなみに彩花ちゃんは、俺のことをいつも「お兄様のお友達」と呼ぶ。
理由は単純だ。
彼女にとって、優人以外の男は基本的にアウト・オブ・眼中だからに他ならない。
俺も長年優人の隣にいたおかげで、ようやく「優人と親しい友人」程度には認識されている。
名前までは、たぶん覚えられていない。
だが、それでいい。
むしろ、脇役としてはその扱いこそ正当だと言える。
故に俺的には大いに結構といわせてもらおう。
まあ、それはそうと。
流石に気になったので聞くことにした。
「それで、彩花ちゃんはずいぶん有栖川のことを気にしているみたいだけど、単に先輩だからってだけじゃないよな?」
「はい。 お兄様のお友達のおっしゃる通りです」
彩花ちゃんは真剣な表情で頷いた。
「有栖川先輩は、わたくしたち中等部の生徒にとって、憧れの対象なのです」
「……憧れ? こいつが?」
あまりにも有栖川に似合わない言葉で、つい突っ込んでしまった。
その瞬間、有栖川が「はうっ!」と小さく肩を震わせた。
同時に、彩花ちゃんの目が細くなる。
やめてください彩花ちゃん。
その視線は俺に効く。
危うく俺まで「はうっ!」と変な声を出しそうになったではないか。
「有栖川先輩は、中等部の皆さんの間では憧れの的として有名ですのよ。 お姉様とお呼びしたい上級生と言えば、まず必ずお名前が挙がるほどです」
「お姉様、ね……」
俺は何となく有栖川を見た。
その瞬間。
「っ!?」
俺は、背筋がすっと冷えるような感覚を覚えた。
有栖川の表情から、温度というものが消えていた。
中学時代に見せていた高慢な顔とも違う。
最近よく見る、俺の言葉に妙な反応を示す顔とも違う。
先ほど見せた、貴族令嬢のような穏やかな笑みとも違う。
それは、もっと静かで、もっと冷たい表情だった。
「おい、有栖川……」
思わず声をかけようとした。
だが、それより先に、有栖川の声が低く響いた。
「……それは、わたくしが有栖川の名を持つ人間だから、でしょうか」
その声は、凍りつくように静かだった。
何が原因かまではわからない。
だが、彩花ちゃんは今、無意識に有栖川の地雷を踏んだ。
俺はそう直感した。
しかし、興奮気味の彩花ちゃんは、その変化にまだ気づいていないようだった。
「ええ。 たしかに、それを理由としている方もいらっしゃいます」
その言葉に、有栖川の表情がさらに暗くなる。
だが、彩花ちゃんはすぐに続けた。
「ですが、それだけではありません」
彩花ちゃんは、有栖川をまっすぐ見つめた。
「立ち居振る舞いの美しさ。
言葉遣いの品の良さ。
周囲の空気を自然と引き締める存在感。
どれを取っても、わたくしたち中等部の生徒にとっては憧れなんです!」
そこで彩花ちゃんは、少しだけ頬を赤らめた。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。 まさに、その言葉がぴったりだと思います」
「え……」
有栖川は、完全に言葉を失っていた。
先ほどまでの凍りついた表情は、どこかへ消えている。
代わりに浮かんでいるのは、鳩が豆鉄砲を食ったような間抜け顔だった。
「そ、それは……さすがに、買いかぶりすぎですわ」
やがて有栖川は、わずかに視線を逸らしながらそう言った。
声はいつも通り整っている。
だが、その耳元がほんの少し赤い。
……なるほど。
有栖川にも、こういう顔ができるのか。
「いいえ、決して買いかぶりなどではありません!」
彩花ちゃんは、勢いよく首を横に振った。
「有栖川先輩は、わたくしたちにとって、理想のお嬢様とは何かを示してくださる方なのです! わたくしも、いつか有栖川先輩のように、周囲に流されず、美しく、凛とした女性になりたいと……」
「さ、流石にそこまで言われると、少し困ってしまいますわね……」
有栖川は本当に困ったように笑っている。
だが、不快そうではなかった。
少なくとも、先ほどのような冷たさはもうない。
俺は二人の様子を交互に見ながら、コーヒーを一口飲んだ。
口の中に、苦味と香りが広がる。
正直なところ、俺には彩花ちゃんの言う有栖川像はいまいち理解できない。
俺の知っている有栖川は、もっと面倒くさくて、厄介で、俺の平穏な脇役ライフを脅かす存在だ。
――だが。
それでも、彩花ちゃんが見ている有栖川もまた、嘘ではないのだろう。
もしかすると、この二人――結構相性がいいのかもしれない。
ふとそんな考えが頭に過ぎった。
面白いと感じていただけましたら、反応をいただけますと励みになります。




