34話:ヤギくんは気になる
「うーん。 人気アイドルの実年齢が公開されて衝撃……某政治家の収賄疑惑が発覚……世界的な気候変動は詐欺であるという主張に信憑性が……うん。 退屈な世の中だな」
夕食を適当に済ませ、広大なるインターネットの海をだらだらと漂流していた時だった。
ティロンと、軽い通知音が鳴った。
画面の片隅に、小さな吹き出しが表示される。
『楽しいお話の時間を迎える準備はできたかな?』
その吹き出しの下では、SD化されたヤギくんが、画面の端を両手で掴むようなポーズで、ひょこっと顔を覗かせていた。
……師匠のやつ、いつの間にこんなものを俺のパソコンに仕込んだんだ。
本当にあの人、バックドアでも仕込んでるんじゃないだろうな。
時間があるときに、徹底的に調べておく必要がありそうだ。
……とはいえ、師匠が本気で何かを仕込んでいた場合、俺がそれを見つけられるかどうかは別問題だが。
現れたSDヤギくんを試しにマウスで引っ張ってみる。
普通に動いた。
なので、そのままゴミ箱へ運んでみた。
すると、ゴミ箱へ近づくにつれて、SDヤギくんの表情がみるみる変化していく。
最初はにこにこと手を振っていた顔が、次第に引きつった笑みへと変わった。
さらに目がぐるぐると回転し始め、口がありえない角度まで裂ける。
そして、ゴミ箱のアイコンまであと数センチというところで――。
SDヤギくんの目が、赤く点滅した。
ピカピカピカッ。
そのたびに、ヤギくんの頭上に一瞬だけ文字が走る。
『やめろ!』
『考え直せ!』
『捨てないで!』
『恨めしい――!』
文字はほんの一瞬しか表示されない。
だが、妙に禍々しいフォントと赤黒いエフェクトのせいで、無駄に印象に残る。
ガクガクブルブル。
最後には、目から赤い光を垂れ流しながら、こちらを恨めしそうに睨み上げてくる。
……本当に、無駄なまでに芸が細かい。
腹立たしいので、俺は何の迷いもなくゴミ箱へ放り込んだ。
ぽいっ。
次の瞬間、SDヤギくんはゴミ箱の中へ吸い込まれるように消えた。
俺はそのままゴミ箱を空にした。
ミッションコンプリート。
……本当に、こういう無駄なところだけ妙に作り込んでいるのが師匠らしい。
そしていつもながら、それが腹立たしい。
俺は深いため息を吐き、デスクトップの端に置かれている怪しげなアイコンへ視線を向けた。
その名も『秘密友達』。
アイコンは放射性廃棄物のマークをさらに禍々しくしたようなデザインで、どう見ても触れてはいけないタイプの危険物のように見える。
が、その実、これは単なる通信ソフトだ。
ま、通信ソフトと言っても俺と師匠だけが使う専用の連絡用プログラムに近いけど。
当然、作ったのは師匠だ。
そして当然のように、これも俺が知らないうちにデスクトップへ居座っていた。
何度か削除したこともある。
セキュリティ周りを確認したこともある。
怪しいプロセスも探した。
だが、こちらの努力を嘲笑うように、そのたび『秘密友達』は何食わぬ顔で復活した。
もはや疫病みたいなものだ。
インターネットに繋がっている限り、受け入れるしかない。
かといってネットを断つなど、原始時代に戻ってウホウホ言いながら暮らすようなものだ。
断じて論外だ。
なので諦めた。
諦め、大事。
通話ボタンを押す。
その瞬間、画面を不法占拠するように、いつものヤギくんアバターが現れた。
『ハロハロー。 少年、青春してる?』
いつも通りの軽い調子で、ヤギくんが手を振る。
その姿を見ただけで、自然と眉間に皺が寄った。
「俺の青春は、優人がいる限り永遠だ。 で、今日は何の用だよ、師匠。 また仕事か?」
『佐助君。 その年でもうワーカーホリックになるのは、僕としてはあまりおすすめしないかなー』
ヤギくんが人差し指を左右に振る。
なぜか妙に偉そうな顔だった。
腹立つな、このヤギ。
『仕事熱心な佐助君には悪いけど、今日は仕事の話じゃないよ』
「じゃあ何だよ」
『佐助君、今日から新しい部活に入ったでしょ? その感想を聞きたくてね』
「……師匠がそれをどうやって知ったのかについては、いったん脇に置いておくとして。 別に、感想らしい感想はないぞ」
本当に油断ならない人だ。
今日入部したばかりだというのに、どうして当然のように把握しているのか。
……今さらか。
この人に関しては、驚くだけ無駄だ。
『えー、本当に? 可愛い先輩と知り合いになったんでしょ?』
だから、どうして知ってるんだよ。
「確かに、可愛いワンコ系部長とは知り合いになったけどな。 犬井先輩には、今後ぜひとも優人の青春ラブコメの一ページを華やかに彩っていただきたいところだ」
『……佐助君は、本当にぶれないね……いや、そうじゃなくて! もう一人いたでしょ! 可愛い! 先輩が!』
ヤギくんが、なぜか妙に力を込めて言った。
可愛い、という部分を不自然なくらい強調している。
俺は思わず首を傾げた。
はて?
「そんな人いたか?」
『よ、佐助君……』
なぜかヤギくんががくりと肩を落とした。
失望されたような気配がある。
おそらく、また勝手に妙な期待を抱いていたのだろう。
――久木向日葵先輩。
少しぼさぼさな灰色の髪の毛。
片目を隠す前髪。
覗いている赤い瞳。
制服の上から羽織った白衣。
うーん。
確かに、顔立ちだけで言えば美少女の範囲には入るが――
「髪は少しぼさぼさだったし、白衣もちゃんと洗ってるのか疑わしい感じだったし、全体的に生活力が死んでそうな雰囲気だったな」
『ぐっ!』
「それに、目つきも鋭いというより神経質そうだったし。 何というか、太陽の下で笑っているタイプというより、研究室の隅で謎のキノコと一緒に育っていそうなタイプというか」
『ぐうっ!』
「女子としてどうなんだろうな。 いわゆる、『陰キャ』の極致みたいな先輩だったな。 いや、研究者キャラとしては大いにありだと思うけど」
『うぐぐ……!』
スピーカーの向こうから、何やら妙な音が聞こえてくる。
何だ?
ノイズか?
画面を見ると、ヤギくんの顔はいつも通り不気味なままだった。
変化はない。
気のせいか。
「うん。 やっぱり可愛いと表現するには語弊があるな」
俺がそう結論づけると、なぜかヤギくんが両手を上げ、威嚇するようなポーズを取った。
何だかよくわからないが、この月影佐助、売られた喧嘩は買う所存。
俺もまた、謎の威嚇ポーズを取りながらモニターを睨み返した。
「やんのか? ああん?」
『ううう……』
「来いよ、ヤギ。 画面越しだろうが何だろうが、精神的には殴り合ってやる」
『ぐぬぬ……』
意味不明な睨み合いが数秒続いた。
まったく、何がそんなに気に入らないのか。
『……やっぱり男どもは犬井みたいなタイプの方が……どうせ私なんか……』
スピーカー越しで何か嘆くような呟きが聞こえた。
師匠は自分の声をリアルタイムで合成音声に変換してこちらへ送っているが、独り言みたいな小さい声はうまく変換されないことがある。
さっきも何かつぶやいている事は分かる程度で、何を言ったかまではよくわからない。
どうせろくでもないことだろうから気にはしないが。
「で、師匠。 用件はそれだけか?」
『あー……うん。 それだけと言うか……いや、最後に一つだけ!』
ヤギくんが、びしっと人差し指を立てる。
『佐助君は、その先輩のことをどう思った? あ、ワンコ系先輩じゃない方ね』
「ん? 変な人」
『ぐはっ!』
また変な音がした。
やはりノイズか?
久木先輩の姿を思い返す。
そして、なぜか俺へ向けられていた妙な視線も。
――確かに、変な人だった。
まあ、でも……。
「ちゃんとオシャレすればかなり印象は変わると思うな」
俺は腕を組みながら、頭の中でしれっと久木先輩をオシャレさせてみた。
うむ。 やはり素材はいいんだよな。
「顔立ち自体はかなり整ってる。 目元も鋭いけど、それはそれで個性になる。 髪もきちんと手入れして、白衣もまともなものに替えて、少しオシャレすれば……普通に美少女として通用すると思うぞ」
『……へ?』
「隠れた原石って感じだな」
久木先輩は、ぱっと見た瞬間に誰もが「可愛い」と言うタイプではない。
犬井先輩のように、わかりやすく人懐っこくて、見た目からして属性が立っているわけでもない。
だが、よく見れば顔立ちは整っている。
あの赤い瞳も、きちんと見せ方を整えれば十分印象的な武器になるだろう。
灰色の髪だって、今はぼさっとしているが、手入れをすればかなり映えるはずだ。
「本当に、素材がもったいないよな」
『……』
まあ、今日見た感じだと、本人にその気はなさそうだけどな。 ははは。
「で、師匠。 結局、何が聞き――」
『きょ、きょ、きょ、今日はこれで通信終了! 覚えてろぉぉぉぉ!』
「おい、待て――」
『Adios!』
俺が呼び止めるより早く、ヤギくんのアバターは画面の中でくるりと回転した。
そして、黒い煙のようなエフェクトを残して、すうっと消えていく。
なぜか急に三流悪役みたいな捨て台詞を残して。
最後に画面の中央へ、でかでかと文字が表示された。
『通信終了』
オフライン表示に変わった師匠のアイコンを、俺はしばらく無言で見つめていた。
……本当に、何だったんだ。
いや、気にするだけ無駄だ。
犬にでも――いや、ヤギにでも噛まれたと思うことにして頭の端っこに追いやった。
俺は深いため息を吐き、再びブラウザへ視線を戻した。
画面には、先ほどまで読んでいたニュース記事が表示されたままだ。
けれど、どうにも内容が頭に入ってこない。
久木向日葵。
白衣の、妙な先輩。
俺をじっと見ていた、あの赤い瞳。
そして、なぜかその話題に妙な反応を示した師匠。
「……いや、考えるだけ無駄だな」
俺は首を振った。
どうせ考えたところで、師匠の思考など読めるはずがない。
久木先輩についても、まだほとんど何も知らない。
ならば、今考えるべきことではない。
そう結論づけ、俺はブラウザのタブを閉じた。
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