31話:最初のお悩み、爆速混沌
『僕には、一年生の頃から好きだった女の子がいます。
もちろん、片想いです。
一年生、二年生と同じクラスで、三年生になった今年も、また彼女と同じクラスになることができました。
神のお導きなのかと、運命すら感じました。
ですが、どうしても告白する勇気が出ませんでした。
気づけば僕たちは、もう受験生と呼ばれる学年になっていました。
その事実に気づいたとき、告白しなければならないという思いは、日に日に焦りへと変わっていきました』
どうやら、三年生の先輩からの相談らしい。
この年頃の少年少女にはよくある、恋の悩み。
好きな相手はいる。
けれど気持ちを伝えられないまま、時間だけが過ぎてしまった。
そういう類いの相談なのだろう。
今さら告白しようにも、すでに高校三年生。
つまり受験生。
受験勉強に使う時間すら足りない時期に、恋愛などしている余裕はない。
もともと付き合っていたならともかく、将来を左右すると言っても過言ではない大事な時期に、わざわざ恋人を作ろうと考える人間はそう多くないはずだ。
……それにしても。
正直、これは悩みというより、ラジオ番組で紹介される青春投稿みたいな雰囲気があるな。
などと考えている間にも、犬井先輩の朗読は続いていく。
『三年生になる直前の春休み、登校日の帰りに、あれやこれや、何やかんやありまして、僕は彼女と二人きりで買い物へ行くことになりました。
水泳が好きな妹のために、新しい水着を買いに行く途中だったのです。
ところが、そこで事件が起きました。
本当に、不幸と偶然がいくつも重なった出来事でした。
気づいたとき、僕は、彼女が自分用の水着を試すために入っていた試着室の中にいました。
彼女はちょうど着替えの途中だったようで……ほとんどの衣服を脱いでいる状態でした。
あのとき、僕は確かに天国を見ました』
「どうしてそうなるのよ!?」
エリナが思わず叫んだ。
うん。
気持ちはわかる。
俺も今、まったく同じことを思っていた。
というか、待て。
そこを省くな。
前後の過程を全部すっ飛ばして、「あれやこれや、何やかんやありまして、好きな女の子と二人きりで買い物へ行くことになりました」って何だよ。
その「あれやこれや」と「何やかんや」の中に、明らかに一話分くらいのイベントが詰まっているだろうが。
さっきまで、告白できないまま三年間うじうじしていたという話だったはずだ。
なのに、なぜ急に二人きりで買い物へ行く展開になっているんだよ!
何があった!?
その間で何が起きた!?
しかも、なぜ人が着替えている場所へ入り込むことになるんだ。
事故だとしても、どんな力学が働けばそんな事態になるのか、俺にはまったく理解できない。
これが、漫画やライトノベルの中にしか存在しないと言われる主人公属性というやつなのか? そうだな? ああ?
この先輩、どこか別作品の主人公なのか?
……いや、まさか!
これ、優人じゃないよな?
慌てて隣を見る。
すると優人は、「何だこれ……」とでも言いたげな顔で、犬井先輩の持つ紙を見つめていた。
……どうやら優人ではなかったらしい。
いや、それはいい。
それはいいのだが……。
お前、その顔は何だ。
普段のお前も、だいたい似たような事故に巻き込まれている側だろうが。
自己客観視という概念を、そろそろ身につけていただきたい。
できることなら、普段のお前がどういう目で見られているのか、この場で見せてやりたい。
月影佐助秘蔵・優人ラッキースケベコレクションでも上映して、己の業の深さを思い知らせてやりたい衝動が湧き上がってくる。
もっとも、そんなものを本当に見せたら色々と終わるのでやらないが。
朗読していた犬井先輩も、さすがに気まずそうな顔をしていた。
さっきまでのやる気満々な様子はどこへ行ったのか。
一年生組の顔色をちらちらとうかがいながら、必死に何かを訴えてくる。
「ち、違うからね!? いつもこういう相談ばっかり来るわけじゃないからね!? もっと普通の、ちゃんとしたお悩みも来るからね!?」
大丈夫です、犬井先輩。
たぶん、もう手遅れです。
まあ、それはそれとして。
ここまで来ると、逆に続きが気になってきた。
半泣きになりかけて、これ以上読めないと嘆く犬井先輩から紙を受け取り、俺は代わりに続きを読むことにした。
『結局、その日は何となく気まずいまま別れることになりました。
その夜、昼間に見てしまった彼女の姿を思い出して胸が高鳴る一方で、もう二度と彼女の顔をまともに見られないのではないかと絶望しました。
ところが、新学期が始まってからの数日間、僕は彼女との距離が以前より近くなっていることに気づきました。
会話も増え、一緒に過ごす時間も増え、僕たちの関係は以前では考えられないほど親しいものになりました。
おかげで、毎日登校するのが楽しくて仕方ありません。
何故なら彼女がいるからです。
水着が結んでくれた縁、とでも言いましょうか。
ふっ』
駄目だ。
もう俺の頭が理解できる範囲を超えている。
ここまででも十分、混沌のカオスと呼ぶに足る内容だった。
だというのに、恐ろしいことに、まだ続きが残っている。
さっき読み上げたところの、最後の部分。
水着が結んでくれた縁、とでも言いましょうか。
ふっ。
――腹立つな、この先輩。
顔も知らない相手なのに、今ものすごく腹が立った。
何だその勝ち誇ったような「ふっ」は。
相談文の中で格好つけるな。
しかもこの部分、もう悩みでも何でもないだろう。
ただの惚気だよね?
いや、惚気というには、あまりにも経緯が混沌としているが。
「水着が縁を結ぶの?」
天川が、いつもの無表情のままぽつりと呟いた。
天川。
そこを真面目に拾うな。
俺は顔も知らない三年生の先輩に、ほんのわずかな畏怖すら覚えながら、紙の最後の部分へ目を落とした。
『ところが、一つ問題が生じました。
彼女との距離が縮まり、まるで天国を歩くかのような幸せな日々を送っているところまではよかったのです。
ですが家に帰ると、その日交わした会話や、彼女の優しい笑顔、そしてあの日見てしまった光景が頭から離れなくなるのです。
気づけば胸は熱くなり、勉強机に向かっても参考書の文字がまるで頭に入ってきません。
夜になっても心は落ち着かず、結局は欲情に負けて自分を慰めてしまっている自分がいました。
吐き気がするような罪悪感と自己嫌悪が入り混じって、毎晩なかなか眠ることができません。
そのせいで目の下には隈ができ、自分でも少しやつれてきたように感じています。
彼女と話さなければ、少しは落ち着くのかもしれません。
けれど、僕はそんなことをしたくありません。
ようやく彼女と親しくなれたのに、また距離を置くなんてできるはずがないのです。
ですが、このままでは本当に僕の体が大変なことになってしまいそうで日を重ねるほど怖くなっていきます。
僕は一体、どうすればいいのでしょうか?』
先輩ぃぃぃぃぃ!!
あなた、今いったい何の相談をしているんですか!?
いや、待て。
新学期が始まってまだ一週間そこらだろ。
その短期間で距離が縮まり、隈ができ、やつれ始めるって何だ。
どれだけ濃密な新学期を過ごしているんだ、この先輩。
――何というか。
うん、あれだな。
色んな意味で最高すぎる悩みです!
なにこれ、面白おかしいすぎてヤバイ。
こみ上げる笑いを必死に止めながら、俺は部室を見渡した。
「……何というか……ははは……」
優人が、困ったように乾いた笑いを漏らす。
「違うの……本当に、普段はこんな相談ばっかりじゃないの……!」
犬井先輩は涙目で必死に訴えていた。
「……この先輩、最低」
エリナが完全に引いた顔で呟く。
「……お盛んな猿か何かか、この人」
久木先輩は久木先輩で、妙に冷静な毒を吐いた。
案の定、皆さん完全に引いた顔で俺が持っている紙を見つめていました。
まあ、天川だけはいつも通り、何を考えているのかわからない顔をしているので例外だが。
俺は呆れ顔になりながらも何かを考え込む様子の優人の横顔を見つめながら一人舞い上がっていた。
さあ、優人よ。
見せてくれたまえ!
この試練《悩み》に貴様はどう立ち向かうかを!
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