29話 お悩み相談部へようこそ!(幽霊部員付き)
翌日の放課後。
俺たちは、部活動用の部室が集まる通称・文化棟の一角にある部屋へ集まっていた。
部屋の中央には大きめのテーブルが一つ。
それを囲むように椅子が十脚ほど並び、壁際の収納棚には書類らしきものやファイルが差し込まれている。
部屋の隅にはコーヒーポットと菓子の入った籠。
飾り気はない。
特別な設備もない。
悪魔召喚部のような怪しげな魔法陣もなければ、ホスト&ガールズバー部みたいな謎のきらびやかさもない。
それが、昨日犬井先輩に誘われ、仮入部という形で体験することになった、お悩み相談部の部室だった。
うーん。
何というか……。
「見事なまでに普通だな」
「くぅっ! 後輩くんの友達くんは、少しは遠慮というものを覚えてくれないかな!?」
俺の率直な一言に、犬井先輩が謎のダメージを受けたように胸を押さえた。
ははは。
残念ながら、嘘をつけない正直さが俺のモットーなので!
それはそれとして、俺をあくまで「後輩くんの友達くん」としか認識していないその呼び方については、実に満足であると言っておこう。
犬井先輩は部屋の隅にあるコーヒーポットを使い、人数分の紅茶と菓子を用意してくれた。
ちなみに今日は、普通に制服姿である。 残念。
「それじゃ、改めて自己紹介からいこうか。 犬井由奈です! 進学科の二年生! いちおう、お悩み相談部の部長をやってますー! ようこそ、お悩み相談部へ!」
犬井先輩がにこっと笑って元気いっぱいに自己紹介すると、俺たちもそれぞれ短く自己紹介を済ませた。
そして、少し微妙な表情をした優人が、菓子を一つ口に放り込みながら、おずおずと問いかける。
「ところで犬井先輩……他の部員の方は……?」
「くぅぅっ! 後輩くんまで意地悪!」
またしても謎のダメージを受けた犬井先輩が、テーブルに突っ伏した。
リアクションの一つ一つが、実にいじりがいのある先輩である。
タラララ〜ン!
犬井先輩評価が一段階上がりました!
優人の質問通り、部室の中にいるのは犬井先輩と一年生組――つまり優人、俺、エリナ、天川だけだった。
部活動勧誘でブルマーまで使って目立とうとしていたこと。
俺たちを誘うときの、あの妙に必死な様子。
うん。
これはあれだな。
一言で言えば。
「……廃部寸前の超弱小部ってやつ?」
「うわああん! この後輩たち、ひどい!」
エリナの容赦ない一言に、犬井先輩はとうとう半泣きになってしまった。
おお、かわいそうに。
先輩としても部長としても威厳はまるで感じられないが、その分いじりやすさは抜群である。
犬井先輩はしばらくテーブルに突っ伏していたが、やがて諦めたように息を吐き、事情を説明してくれた。
「もともといた先輩たちは、みんな卒業しちゃったんだよ。 今の三年生には部員がいなくて、二年生には私の他にもう一人いるにはいるんだけど……まあ、ほとんど顔を出さない幽霊部員みたいな感じで」
絵に描いたような弱小部だった。
実質、犬井先輩一人で活動している部活というわけだ。
なるほど。
だいたい事情はわかった。
だが、そこで一つ疑問も浮かぶ。
犬井先輩ほどの人懐っこさがあれば、別にこの部にこだわらなくても、どこの部活でもそれなりにやっていけるのではないか。
少なくとも、知り合って間もない俺ですら「扱いやすい先輩だな」と感じる程度には親しみやすい。
たぶん、どこへ行ってもそれなりに馴染めるタイプだろう。
俺たちの表情からその疑問を読み取ったのか、犬井先輩は少し照れくさそうに頬を掻いた。
「この部はね、私にとって特別なんだ」
「特別?」
「うん。 特別」
犬井先輩は小さく頷いた。
「昔、私がちょっと困ってたときに、この部に助けてもらったことがあるんだ。 だから、今の私があるのは、この部のおかげでもあるんだよ」
そう言って、犬井先輩は部室の中を見回した。
犬井先輩は少しだけ照れたように笑う。
そして何かの思い出に浸るような目で窓の外を見つめながらポツリと彼女の過去を語り始めた――
(眠いなー)
――わけだが。
正直、脇役である俺としては、そこまで深く踏み込むつもりはなかった。
部活動にまつわる記憶も。
そこに込められた思いも。
俺には、心から共感してやることはできない。
そういう役割は、優人がいる時点であいつに全部任せてしまうのが一番だ。
ヒロインの心に近づくのは、脇役ではなく主人公の仕事だからな。
なので俺は、途中から犬井先輩の話をほどほどに聞き流し、ぼんやりと天井を眺めていた。
少し開けられた窓から入ってくる春風が、実に心地よい。
そんな俺の様子を見ていた天川は、なぜか俺の真似をするように天井を見上げ、ぼーっとしていた。
こいつは本当に、普段何を考えて生きているのだろうか。
その生態については謎しか存在しない。
まあ、天川生態研究をするつもりは一切ないけど。
そんな状態で、体感上は10分位は経ったのだろうか。
「――だから、この部は私にとって青春そのものなんだ。 人が足りないって理由だけで、なくしたくない。 ほかの部活に行きたいとも思わないし」
「そういう事情があったんですね」
「ぐすっ。 いい話じゃない……」
そろそろ本気で居眠りしそうだったタイミングで、丁度犬井先輩の話は終わりに近づいていたらしい。
優人は真剣な表情で犬井先輩を見つめ、深く頷いていた。
エリナに至っては、少し目元を赤くしている。
……どうやら、俺が聞き流している間に、そこそこいい話が展開されていたらしい。
二人はまるで「先輩のためなら、この身をここに捧げます」とでも言い出しそうな、熱い目をしていた。
よくわからないが、優人とエリナはすでに犬井先輩に感化されてしまったようだ。
これは仮入部ではなく、正式入部へ流れる雰囲気ですね。
優人のラブコメを観察できるなら、俺としては別に構わないが。
そんなことを考えた、その瞬間だった。
タタタタッ、と廊下から誰かが慌ただしく走ってくる音が聞こえた。
どこかの部活で鬼ごっこでもしているのか。
ぼんやりそんなことを考えながら閉じられた扉を見ていると――
バンッ!
部室の扉が勢いよく開いた。
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
灰色の髪を首元で二つに結び、前へ垂らしている。
前髪は片目を覆うように斜めに流され、覗いている片方の瞳は赤い。
鋭い、というより神経質そうな目つきだった。
そしてなぜか、制服の上から白衣を羽織っている。
白衣には焦げ跡や染みのようなものがいくつも残っており、髪も少しぼさぼさだ。
きちんと整えれば十分に美少女の範囲に入りそうなのに、本人にその気がまるでないタイプ。
何というか、漫画でよく見る“天才だけど生活力が死んでいるタイプ”の気配がした。
彼女は驚いたような顔で固まっている俺たちを無視し、部室の中を見回した。
そして、ふいに視線を止める。
……気のせいだろうか。
その視線は、どういうわけか俺へ向けられているように見えた。
「……本当にいる……」
ぽつりと漏れたその声には、驚きと、何かを確認したような響きが混じっていた。
俺がその意味を考えるより早く、犬井先輩がぱっと顔を明るくした。
「向日葵ちゃん! ついに部活に参加する気になってくれたの!?」
そう言うなり、犬井先輩はその少女へ駆け寄り、そのままぎゅっと抱きついた。
「……だから犬井。 暑苦しいからくっつくなって、前にも言ったはずだぞ。 はーなーれーろ!」
向日葵ちゃん、と呼ばれた少女は、うっとうしそうな顔で犬井先輩を押し返す。
犬井先輩は少し残念そうにしながらも、すぐに笑顔へ戻った。
そして、両手で彼女を指し示す。
「この子は久木向日葵ちゃん! さっき話した、お悩み相談部の誇るべき部員だよ!」
誇るべき部員というか、さっき幽霊部員って言いませんでしたっけ?
犬井先輩の紹介に、久木先輩はひどく気の進まなそうな顔をした。
それでも一応、短く自己紹介する。
「……久木向日葵。 特待生だから、普通の学科枠とは少し違うけど……一応、二年」
向日葵、ね。
名前だけ聞けば、太陽の下で笑っていそうな明るい美少女に似合いそうな響きだ。
……だが本人から漂う空気は、むしろ研究室の隅に生えた謎のキノコに近い。
少なくとも、日光の下で元気いっぱいに笑うタイプではない。
まあ、流石に初対面の先輩にそんなこと面と向かって言うわけないので心の中に留めておく、優しい脇役なのです。
そんなやる気のない自己紹介の間も、久木先輩の視線はずっと俺に固定されていた。
――いや、本当に何なんだ、この人。
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