28話 伝説の装備《ブルマー》とワンコ系先輩
「あ、犬井先輩」
優人が、その名前を口にした。
緑色の髪を高い位置でポニーテールにまとめ、こちらへ向かって大きく手を振りながら走ってくる姿は、まるで人懐っこい犬が嬉しそうに尻尾を振って駆け寄ってくるみたいだった。
まさに、元気いっぱいワンコ系美少女先輩。
身長は百六十センチほどだろうか。
エリナほどではないにしても、小柄な体格には不釣り合いなほど大きい胸が存在感を放っており、駆け寄ってくるたびに周囲の男子たちの視線が自然とそちらへ吸い寄せられていた。
うむ。
属性がわかりやすい。
おそらく、どこかの部活動の勧誘に出ていたのだろう。
――なぜかブルマー姿で。
おかしいなー
たしか桃園高校の指定体操服は、普通のハーフパンツ型だったはずなのだが。
このラノベじみた世界ですら、とっくの昔に絶滅したと思われていた伝説の装備が、なぜ今ここに。
ブルマーという時代錯誤な装備によって、健康的に伸びた脚線美が一層強調されている。
それがまた、活発なポニーテールヒロインという属性と妙に噛み合っていて、実にオタク心をくすぐる仕上がりになっていた。
うむ。 これは素晴らしい。
実に素晴らしいファッションセンスです、犬井先輩!
俺は心の中で、深く敬意を表しながら状況を見守ることにした。
犬井先輩の登場に、エリナは露骨に反応した。
緊張と警戒をたっぷり含んだ目で、優人と犬井先輩を交互に見比べる。
「……ユウト、知り合いなの?」
「あ……いや、その……」
エリナの問いに、優人は困ったように頬を掻くだけで、はっきりとした答えを返さなかった。
おい。
さっさと白状しろ、この主人公野郎!
そしてそこにどんなラブコメ、あるいはラッキースケベ的イベントがあったのか、事細かに説明しなさい!
今すぐにだ!
「あ、後輩くんのお友達? へえー。 こんなに可愛い彼女さんがいるのに、私にあんなことを……ひどい!」
「えっ!? い、犬井先輩! だからあれは事故で……いや、それより彼女じゃないですから!」
「ちょっとユウト! 今のどういうこと!?」
一瞬にして、優人の周囲が騒がしくなった。
周囲にいた生徒たちも、何か面白そうなことが始まったと察したのか、興味津々といった様子でこちらの状況を見ている。
いつもながら、騒動が起きると必ずその中心に立っているのが優人であるという事実を、俺は大変誇らしく思います。
犬井先輩の表情は、どう見てもからかって楽しんでいる顔だった。
なかなかいい性格をしていらっしゃる。
優人は冷や汗を浮かべながら何とか弁解しようとしている。
一方のエリナは、じとっとした目で優人へ圧をかけていた。
まさに、ザ・主人公受難タイム。
そしてそれを一歩後ろから悠々と眺める、このポジション。
ああ、満たされるぅぅー。
エリナが犬井先輩と優人に意識を奪われている間に、天川が音もなく俺の隣へ戻ってきた。
気のせいか、少し安心したような気配がする。
ついでに、こちらを少し恨めしそうに見ている気もする。
もちろん、表情には何の変化もない。
だから気のせいだ。
不満げに俺の袖をくいくい引っ張っているが、気のせいだ。
しまいには指先で俺の脇腹をつついてきたが、それもきっと気のせいだ。
俺は天川を徹底的に無視し、目の前で展開されている青春の一ページへ視線を戻した。
「あははは! ごめんごめん! この前のことはただの事故だから、そんなに気にしなくていいよ。 むしろ、あのときは助けてくれてありがとう、神代くん」
「心臓に悪いから、そういう冗談は本当にやめてください……」
「……それで、結局何があったの?」
「大したことじゃないよ。 この前にね、資材を運んでる途中で神代くんとぶつかって、ちょっと転んじゃっただけだから」
くそっ!
天川に気を取られている間に、楽しい時間がもう終わりかけているではないか!
だが、侮るなよ。
俺は脇役の中の脇役。
プロ脇役、月影佐助様だぞ。
俺がこれまでどれだけ優人のラブコメを観察してきたと思っている!
あの程度の断片的な情報だけでも、優人のラブコメイベントを脳内で再現することくらい造作もないわ!
――時は、入学して間もない頃。
廊下を何気なく歩いていた神代優人は、曲がり角で重そうな荷物を抱えた犬井先輩と衝突する。
その拍子に、ラブコメ神の加護を受けし主人公らしい、実に見事にあのお胸様に顔を埋めるラッキースケベが発生し――
フフフ!
見ていないのに、まるで見たように生々しい現場感!
これが長年プロ脇役として優人を観測し続けてきた俺の賜物なのだ!
そんなふうに、自分でも少々気持ち悪い笑みを浮かべながら脳内再生している間にも、三人の会話は続いていた。
「それにしても犬井先輩、その格好は……?」
「あ、可愛いでしょ? ブルマーっていうらしいよ」
犬井先輩はその場でくるりと軽く回り、からっとした笑顔を浮かべた。
「うちの部って、特徴らしい特徴がない超弱小部だからさ。 少しでも人を集めようと思って、まずは目立つところから始めてみました。 しくしく。 可哀想だと思わない?」
「部活の勧誘って、そんなに大変なんですね……」
「うんうん! 大変なの! すごく大変なの! あー、どこかに優しくて頼りになる後輩くんが、うちの部に来てくれたりしないかなー。 ……ちらっ。 ちらちらっ」
ほう。
あのブルマーには、そういう事情があったのか。 いいセンスだと俺は思うぞ。
それにしても犬井先輩。
そのわざとらしい態度、おそらく優人には通じませんよ。
案の定、優人は「へえ、大変なんですね」とでも言いたげな顔で、のほほんと立っているだけだった。
その表情を見て、犬井先輩もこれは駄目だと思ったのだろう。
今度は遠回しな誘導をやめ、優人を――ついでに俺たちを、直接勧誘してきた。
「そうだ! 後輩くんたちさえよかったら、うちの部活を体験してみない? 一回だけ! 本当に一回だけでもいいから! 後生ですから!」
あまりにも必死な犬井先輩の様子に、優人は困ったようにエリナと、後ろにいる俺たちを見た。
どうしようか、と目で問いかけている。
俺は軽く肩をすくめた。
俺はただ、優人の選択に従うのみである。
好きにするといい。
「そういえば、先輩は何の部活なんですか?」
エリナが、まだ少し警戒した目で犬井先輩を見ながら、改めて問いかけた。
まあ、気になるよな。
いくら弱小部とはいえ、ブルマー姿になってまで勧誘しなければならない部活とは何なのか。
普通に考えれば、運動部か何かだと思うところだ。
俺たちの視線が集まると、犬井先輩は少し照れたように笑った。
「うん。 お悩み相談部だよ」
その瞬間、俺たちの頭に浮かんだ言葉は、きっと全員同じだったに違いない。
「……」
――ブルマー、関係ないじゃん。
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