25話 脇役とヤギくん
モニターの向こう側で、奇怪なキャラクターがにやりと気持ち悪い笑みを浮かべた。
次の瞬間、スピーカー越しに、妙に抑揚のない合成音声が流れてくる。
『へえー。 高校生になった途端、急に人気者になったみたいだね? よかったじゃない、佐助君。 ついにモテ期が来たのかな。 嬉しい? ねえ、嬉しい?』
その言葉を聞いた瞬間、俺は全身に鳥肌が立つほど身震いした。
脇役とは一生縁がないはずの単語に、体が先に拒否反応を起こしたらしい。
ひいっ!
気持ち悪い!
「……冗談でもそういうこと言うのやめてくれ、師匠」
俺は鳥肌の立った腕をさすりながら、恨めしげにモニターを睨んだ。
すると、画面の中の奇怪なキャラクターは、顔の部分だけを時計回りにぐるりと回転させ、ますます気味の悪い状態でけたけた笑い始めた。
この奇怪なキャラクター――ヤギくんは、言ってしまえば師匠のアバターみたいなものだ。
ヤギという名前ではあるが、正直、どこからどう見てもヤギには見えない。
むしろ、怪しい儀式で召喚された下級悪魔と言われた方が納得できる外見をしている。
だが師匠はこのヤギくんを相当気に入っているらしく、もう半年以上このアバターを使い続けていた。
『自分は主人公の親友ポジションの脇役だからー、とか何とか言っていたくせに、こんな形で裏切るなんて! このパパはね、君をそんな不良息子に育てた覚えはありません!』
「奇遇だな。 俺もあんたみたいな父親を持った覚えはない」
ぶっきらぼうに返しながらも、俺の手は休まずキーボードとマウスを動かしていた。
作業はちょうど大詰めに入っている。
修正自体はすでに終わっている。
余計な変更が混ざっていないか。
最後に動作に問題がないか。
想定していた範囲でちゃんと動くか。
もう一度だけ確認して――よし。
問題なさそうだ。
「師匠、頼まれてたプログラムの修正、終わったからZitに反映しておいた。 ソース確認してくれ」
『あ? いいよいいよ。 佐助君の腕はだいたい知ってるし、今さら細かい確認するの面倒くさいし。 このまま納品しちゃいまーす』
「……おい」
いつものことだが、この師匠は本当に雑だ。
いや、その実、俺の腕を信用しているという意味ではあるのだろう。
それ自体は悪い気分ではない。
……ないのだが。
それはそれとして、もう少し師匠らしい威厳とか、指導者としての責任感とか、そういうものを見せる気はないのか。
俺は小さくため息をつきながら、ヤギくんの頭上に浮かんだ「納品中……」という文字をぼんやり眺めた。
そういえば、なんだかんだで師匠と知り合ってから、もう二年が過ぎたのか。
時間が経つのは早い。
そんなことを、今さらのように思う。
師匠――まあ、俺が勝手にそう呼んでいるだけなのだが――と初めて知り合ったのは、中学二年に上がってしばらく経った頃だった。
前世の俺は、システムエンジニアを生業にしていた。
前世の記憶が蘇ってからは、自然とコンピューター関係に興味が向いた。
コードを書くこと。
仕組みを理解すること。
画面の向こう側で何が動いているのかを考えること。
そういうものは、前世の俺にとっては日常だった。
だが、不思議なことに、今の俺は前世の俺よりも、その手の知識を吸収するのが早かった。
前世では理解するまでに時間がかかったものが、今の頭には妙にすんなり入ってくる。
見えなかったはずの繋がりが見える。
気づけなかったはずの違和感に気づける。
月影佐助というこの体には、どうやらそういう方面の才能があったらしい。
それは、前世の俺にはなかったものだ。
前世の経験という土台。
そして、今の体が持っていた妙な吸収力。
その二つが噛み合った結果、俺は前世の自分では触れることすらなかった領域へ、少しずつ足を踏み入れていった。
その中には、当然ながら、あまり表向きではない知識も含まれていた。
普通に生きているだけなら、まず覗くことのない場所。
まともな人間なら、覗こうとも思わない場所。
それでいて、一度その存在を知ってしまうと、妙に目を離せなくなる場所。
ネットの暗がり。
俺はそこで、誰かが半分冗談、半分挑発のように残していた知識の断片を拾い集めていた。
今思えば、かなり危うかったと思う。
当時の俺は、自分の能力を少しばかり過信していた。
前世の知識がある。
今の自分には吸収力もある。
なら、自分はかなりやれるのではないか。
そんな、実に青臭い思い上がりを抱いていた。
その頃、俺は一人の人物の噂を耳にした。
顔のない天才。
奇妙なキャラクターをアバターとして使う、正体不明の存在。
通称、Null。
その技術は芸術的だとまで評されていた。
彼に挑んだ者は数多くいたが、そのほとんどが返り討ちに遭ったという。
正体を暴こうとした者も、痕跡を追おうとした者も、結果的には何も掴めなかったらしい。
当然、俺は興味を持った。
伝説的なハッカー。
顔のない怪物。
誰も辿り着けない相手。
そんな言葉を聞いて、胸が高鳴らないはずがなかった。
俺は、ネットの暗がりに散らばっていたNullの痕跡を一つずつ追いかけた。
その痕跡は、今思えばあまりにも不自然だった。
隠しているようで、どこか見つけてほしそうでもある。
消しているようで、あえて薄く残しているようでもある。
追う者を拒んでいるくせに、こちらの力量を測るように次の手がかりを置いている。
その時の俺は、そんなことに気づかなかった。
ただ、あと少しで届く。
あと一歩で掴める。
そう思い込まされていた。
そして、ようやくNull本人らしき存在と接触することに成功したとき、俺は迷わず挑んだ。
……まあ。
当然のように、無惨に叩き潰されたわけだが。
俺が入口だと思った場所は、全部囮だった。
抜け道だと思った経路は、最初から用意された袋小路だった。
こちらが一手打つたびに、向こうはその三手先で待っていた。
いや、三手先どころではない。
俺が考えるより前に、考えさせられていた。
俺が選んだつもりの道は、最初から選ばされていた。
気づいたときには、俺の端末は完全に掌握されていた。
その瞬間、モニターに当時師匠が使っていたアバターが突然現れた。
そして、初めて聞いた声がこれである。
『月影佐助君、初めまして、でいいのかな? いやあ、おかげで楽しく遊べたよ。 君、すごいね。 中学生でここまで来られるなんて、かなり大したものだよ。 まあ、僕にはまだまだ遠く及ばないけどね!』
当然のように、俺の個人情報を把握していた。
(勝者の宣言かよ、くそが!)
そう歯噛みしていた俺に、Nullは軽い調子で提案してきた。
『ねえ、君。 僕のところで少し仕事をしてみない? ああ、安心していいよ。 違法なことをさせるつもりはないから。 ちょっとしたフリーランスのアルバイトみたいなものだと思えばいい』
その提案に、俺はどう答えたのだったか。
ああ、そうだ。
確か、こんなふうに言った。
「俺を使いたいなら、それ相応の対価を用意してもらう。 たとえば、あんたの技術を俺に教えるとか」
『へえ……』
その言葉に、気味の悪いアバターの目が大きく開いた。
しばらくの沈黙。
そして、次の瞬間。
『あははははは! いいね、それ! 面白い取引だ。 気に入ったよ』
そうして俺は、師匠を得たのだった。
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