23話 有栖川世慕は命令を待つ
どうやら、何かがこじれにこじれているらしい。
さすがに一度くらいは、真面目に話し合う場を設ける必要があると感じた。
とはいえ、この場にいつまでも留まっているわけにもいかない。
俺は有栖川を連れ、大通り沿いにあるカフェへ入ることにした。
ちなみに天川は、帰れと言っても「いや」とだけ答え、そのまま勝手についてきた。
まあ、こいつに聞かれて困る話があるわけでもない。
仮にあったとしても、天川ならそう簡単に誰かへ喋ったりはしないだろう。
……たぶん。
そうして入ったカフェで、俺たちは適当に注文を済ませたあと、できるだけ人目につきにくい奥の席へ移動した。
ひとまず、状況を整理しよう。
「つまり、有栖川。 お前は優人に何かするつもりではなく、俺に会いに来た。 そういうことなんだな?」
「ええ。 そういうことになりますわね」
席に着いて落ち着いてみると、有栖川はすっかりいつもの有栖川だった。
高飛車で、尊大で、いかにも名家のお嬢様といった顔をしている。
その様子を見ていると、さっき俺が見た、思い出すだけで背筋が寒くなるような妙な有栖川は、実は幻だったのではないかとさえ思えてきた。
うん。 きっとそうだ。
あれは夢だったんだ。
だって考えてもみろ。
この自尊心の塊みたいな女が。
傲慢不遜で、誰がどう見ても跪く側ではなく跪かせる側の女王様みたいなこいつが、あんなことを言い出すなんてあるわけがない。
うん。
やっぱり少し無理がある。
どうやら俺の脳は、昨日から今日にかけて相当酷使されていたらしい。
ははは!
我が大脳、コノヤロー!
いくら疲れているからといって、よりにもよってそんな馬鹿げた幻覚を見せるとは!
おふざけが過ぎ――
「あの日以来……あのときのことを思い出すだけで、体中がうずうずして……本当に認めたくはなかったのです。 屈辱だとも思いました。 けれど、そう思えば思うほど、余計に……」
有栖川の顔が、じわじわと赤くなっていく。
呼吸もわずかに乱れ始めていた。
膝の上で揃えられていた両手は、スカートの布地をぎゅっと掴んでは離し、また何かを求めるように宙で小さく動いている。
俺は反射的に、周囲をさっと見回した。
幸い、こちらを露骨に注視している客はいない。
いや、正確にはちらちら見ている人間はいる。
しかし少なくとも、真正面からガン見している者はいない。
……よし。
まだ致命傷ではない。
俺は再びこめかみを押さえ、呼吸を乱し始めた有栖川へ短く告げた。
「黙れ。 気が散る。 あと動くな」
「ひゃぅっ!? は、はい……っ♥」
しまった!
今の言い方は、こいつには逆効果だった!
案の定、有栖川はさっき以上に妙な反応を見せたが、それでも口だけはきちんと閉じた。
呼吸はまだ少し乱れているが、少なくとも喋るのはやめた。
……どうやら、俺の脳が見せた疲労由来の幻覚ではなかったらしい。
俺は右手で顔を覆い、目元を揉んだ。
できれば全部、疲れのせいということにしたかったなー。
だが、世界はそこまで甘くないらしい。
知ってましたけど。
何か言わなければならない。
そうは思うのだが、こういう状況で何を言えばいいのか、まるでわからない。
意味もなく口を開いては閉じる、という愚かな動作を繰り返すことしかできなかった。
天川が自分から話し始めるはずもない。
有栖川には俺が黙れと言ってしまった。
つまり、俺が黙ると自然に沈黙が発生する。
……本当に面倒くさいな、この状況。
そうして微妙な沈黙が流れていたとき、注文した飲み物ができたことを知らせる丸い呼び出しベルが、ヴヴヴ、と震えた。
ああ。
できたのか。
特に何も考えず、それを取りに行こうと席を立つ。
すると、なぜか二人の少女も同時に席を立った。
「飲み物くらい俺が取ってくる。 お前らは座ってろ」
そう言っても、二人はしばらく互いをじっと見つめ合ったままだった。
座る気配がない。
……何だこれ。
また何か始まるのか?
いや、この二人なら十分あり得るのが怖い。
今度はどんな面倒ごとが発生するのかと内心身構えていると――
「……」
「……」
天川と有栖川は、なおも互いを見つめ合ったまま、ゆっくりと席へ戻った。
……本当に何だったんだ。
理解不能な行動に眉をひそめたが、ひとまず問題を起こす気はないらしい。
俺は少しだけ安心して、カウンターへ飲み物を取りに行った。
三人分の飲み物を受け取り、席へ戻る。
すると、二人はまだ互いを見ていた。
……何だ、この胃に悪いサイレント・ウォーは
片方は何を考えているのかわからない無表情。
もう片方は高飛車お嬢様の仮面を被った厄介者。
頼むから、俺の見えないところで妙な火花を散らすのはやめてくれ。
……いや、なにかするつもりならむしろ俺の目が届かないところでやってくれると助かる。
そういえば、さっき有栖川を押さえていたのは天川だったな。
それで何か思うところでもあるのだろうか。
俺に考えつく理由は、それくらいが限界だった。
そもそも天川は何を考えているのかまるで読めない。
有栖川も有栖川で、いつもの尊大な表情をしている限り、内心を読むのは難しい。
俺は三人分の飲み物をそれぞれの前へ置き、自分の注文したアイスキャラメルマキアートを一口飲んだ。
そのとき、有栖川が、おずおずと手を上げた。
「何だ?」
返事はない。
何か言いたいことがあって手を上げたのではないのか。
なのに、どうして黙っている。
怪訝に思って有栖川を見つめていた俺は、ぎこちない姿勢のまま、まるで重大な使命でも背負っているかのように口を固く閉ざしている彼女を見て、ようやく理解した。
……まさか。
こいつ、さっき俺が「黙れ」と言ったから、本当に許可が出るまで喋らなかったのか?
冗談抜きで、疲労が一気に倍増した。
このまま倒れ込んでもおかしくないくらいだ。
ここまで来ると、中学時代のこいつが少し恋しくなる。
……ん。 やっぱりどっちも嫌だな。
「喋っていい。あと、動いてもいい」
俺がそう言った瞬間、有栖川はようやく体の緊張を解き、ふう、と小さく息を吐いた。
そして、やっと口を開く。
「……あの、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
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