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22話 中学時代の悪縁。――しかし、何かがおかしい

 有栖川ありすがわ世慕よしの


 世の中の者が慕うと書いて世慕。

 名前からして、いかにも「私は高貴な人間です」とでも言いたげな響きを持つ少女。


 いや、名前だけではない。

 その立ち姿も、仕草も、言葉遣いも、そして背負っている家柄までもが、完璧なまでに“お嬢様”という記号で構成されていた。


 彼女の性格を一言で表すなら、この言葉が一番しっくりくる。


 高飛車。


 とにかく高圧的で、世の中のあらゆる物事が自分の思い通りに動かなければ気が済まない。

 実に面倒くさい性格をしたお嬢様だった。


 有栖川家は、このラノベじみた世界においても由緒ある旧華族の流れを汲む名家であり、財界と政界の双方に強い繋がりを持つ、いわば名門中の名門らしい。


 だからこそ、世慕の一挙手一投足には確かに気品があった。


 ……それを覆い隠して余りあるほど、性格に難があっただけで。

 自尊心が高く、尊大で、他人を見下すことを当然のように受け入れている厄介なお嬢様だ。


 中学時代、有栖川はお嬢様学校ではなく、俺や優人が通っていたごく普通の中学校に在籍していた。


 その美貌と家柄のせいで、彼女は校内でもかなり有名だった。

 俺たちと――正確には優人と本格的に接点を持つようになったのは、中学二年になって同じクラスになってからのこと。


 当時の有栖川は、まさしく傲慢を絵に描いたような少女だった。


 だが不思議なことに、男子からの人気はかなり高かった。


 いや。

 むしろ、だからこそ、なのかもしれない。


 人気は確かにあった。

 ただ、その方向性が盛大に間違っていた。


 なにしろ、彼女の周囲にいた男子どもは、揃いも揃って召使いみたいに扱われていたのだ。


 完全に女王様と下僕である。


 しかも問題なのは、下僕扱いされている男子たち自身が、それをどこか楽しんでいるように見えたことだった。

 あいつら全員、マゾの素質があったに違いない。


 まあ、顔だけは間違いなく綺麗だったので、理解できないこともない。

 ラノベみたいな世界だし、そういうこともあるのだろう。


 当時の俺は、その程度にしか考えていなかった。


 その反動と言うべきか、女子の間ではかなりの悪評を持っていたけど。


 とはいえ、有栖川を真正面から敵に回すのは、さすがに負担が大きかったのだろう。

 表立って衝突するようなことは、まずなかった。


 もちろん、彼女に対する不満は日ごとに少しずつ積み重なっていたが。


 そんなある日、事件は起きた。


 体育の時間だった。


 男子は体育館の片隅でストリートバスケもどきに興じ、女子たちはドッジボールをしていた。


 きっかけは、実に些細なものだった。


 有栖川の性格を考えれば、むしろいつもの光景の一つだったと言ってもいい。


 彼女は自分に飛んできたボールを受け止めた。

 だが味方にパスするでもなく、相手へ投げるでもなく、その場でしばらく止まっていた。


 そして、つまらなさそうにボールを後ろへ放り投げた。


 ただ、それだけのことだ。


 何をしているのかと問う女子たちに対して、有栖川はいつものように尊大な顔で、ただ一言。


 「つまらない」


 そう言っただけだった。


 その態度に耐えきれず、声を荒げたのが、当時優人と親しくしていた女子だった。


 一気に空気が険悪になった。


 その間へ割って入り、どうにか場を収めたのが、我らが主人公である優人。

 どうやって収めたかは……まあ優人らしいやり方だったとだけ言っておこう。


 たぶん、あの時がきっかけだったのだと思う。


 有栖川が優人に興味を持ち始めたのは。


 それ自体は別に問題ではない。


 優人が美少女と関わることなど、今さら珍しくもない。

 むしろハーレム候補が増えるのは俺としても歓迎すべき事態だった。


 俺はその時も「優人のやつ、また面倒なことになりそうだな」と内心でにやにやしていたくらいだし。


 ……確実に、俺は色々と見誤っていた。

 有栖川世慕という少女の危険性というものを。


 そしてその興味は、やがて厄介な形で優人とその周辺に影響を及ぼす。


 中学三年に上がる頃、優人の周囲にいた女子たちが、些細ではあるが嫌がらせのようなことを受けるようになった。


 最初は偶然だと思った。

 だが、回数が重なれば、さすがに見えてくるものがある。


 それに丁度優人から相談されたこともあって、俺は自分なりの情報網を使い、何が起きているのかを調べ始めた。


 その結果、背後に有栖川の影があることがわかった。


 明らかに嫌がらせは日々エスカレートしていたが、まだ誰かが怪我をするような事態にはなっていなかった。


 だからこそどうするべきかと対応に悩んでいた時に、ついに優人が怪我をする出来事まで起きてしまった。


 怪我といっても、手首の捻挫程度の軽いものではあった。


 だが、それは単なる幸運だ。


 一歩間違えば、もっと面倒なことになっていたかもしれない。


 事件のあらましはこうだ。


 優人と親しくしていた女子グループに、柄の悪い連中が絡んだ。

 そこへ偶然通りかかった優人が割って入り、口論は軽い揉み合いへと発展した。


 その最中、優人が一人に気を取られている隙に、別の男が女子の一人を突き飛ばそうとした。


 それを止めようとした優人が、体勢を崩して後ろへ倒れた。

 そのとき、手首を痛めたのだ。


 優人が怪我をしたのを見るや、連中は急に顔色を変えた。

 まるで優人ではなく、その背後にある何かを恐れるように、慌ててその場から逃げ出したのだ。


 それ以降あの連中は二度と見ていない。

 彼女たちへ直接何かをすることもなかった。

 表面上、その事件はそこで終わったように見えた。


 だが、俺だけは気づいていた。

 その一連の出来事の背後に、有栖川がいたことに。

 優人が怪我をしたあの時、少し離れた場所からどこか退屈そうな顔で騒ぎを眺めていた有栖川の姿に。


 日々エスカレートしているという俺の考えは正しく、ついには優人まで傷つけられた。

 そして、それは今回で終わりではないかもしれない。

 このまま放っておけば、いつか本当に取り返しのつかないことが起きるかもしれない。


 そう判断した俺は、有栖川に直談判することにした。


 彼女を呼び出して問い詰めたのだが、有栖川は意外なほどあっさりとそれを認めた。


 だが、俺が何よりも腹を立てたのは、彼女の態度だった。


 罪悪感のなさ。

 つまらなさそうな表情。

 退屈そうな声。


 そこまでは、まだいい。


 いや、よくはないが、百歩譲って飲み込めないこともなかった。


 もしそこに優人への恋心があり、それが歪んだ形で表に出てしまったのだとしたら、まだ理解はできた。


 結局は、優人のラブコメ体質が呼び込んだ災厄の一種だ。

 そう思えば、俺としても納得する余地くらいはあった。


 だが、有栖川にあったのは、そんなものではなかった。


 ただの興味。

 退屈しのぎ。

 目障りだったから。


 優人に興味はある。

 だが、別に好きというわけではない。


 優人と、その周囲の女子たちが楽しそうに笑っているのが気に入らなかった。


 ただ、それだけ。


 その、あまりにも軽すぎる理由が、俺にはどうしても受け入れられなかった。


 俺はそのとき初めて、有栖川世慕という人間を“敵”として認識した。


 これ以上、彼女を放置するわけにはいかなかった。


 俺は有栖川本人だけでなく、彼女の指示で動いていた連中にも釘を刺した。

 必要とあれば脅しも使ったし、二度と優人の周囲に手を出せないようにした。


 師匠に頼んで、有栖川家にとって表に出ると面倒な情報もいくつか握っていた。


 だから、思ったより話は早かった。


 有栖川本人は不満そうだったが、本家の方が事を大きくしたがらなかったのだろう。

 結果として彼女は、半ば強制される形で別の学校へ転校していった。


 こうして、有栖川世慕は俺たちの前から姿を消したのだった。

 それで終わったはずだった。




 ◇ ◇ ◇




 ――はず、だったのに。


「……どうしてこうなってるんだ」


 俺はこめかみを押さえながら、自分の知る有栖川と同一人物なのか疑いたくなるほど大人しく隣に立っている彼女を見た。


 昨日から、理解不能な現象の連続だ。


 天川あまがわといい、有栖川といい、こいつらはいったい何が悲しくて、脇役モブである俺に絡んでくるのか。


 本当に、心の底から理解できない。


 ただでさえ天川の扱いに困っているというのに、そこへ有栖川まで加わるとなれば、もう手に負えない。


 正直に言って、脇役である俺の処理容量はすでに軽く限界を超えている。


 そして何より、今の俺の頭を痛くしているのは――


「今でも、忘れられませんの……。 虫けら以下を見るような、あの冷たい目……。 わたくしに浴びせられた、あの数々の言葉……。 肌が粟立つほど鋭くて、突き刺さるように冷たいあの空気……」


 有栖川は、自分の体を抱くようにして、ぶるりと肩を震わせた。


 さっきまでの俺なら、その震えを怒りだと判断していただろう。

 だが、今は違うとわかる。

 わかりたくはなかったが、わかってしまう。


 これは怒りではない。

 怨みでも、恐怖でもない。


 明らかに、反応の方向が俺の想定と違っている。


「……ああ、思い出すだけで、また……」


 有栖川の頬がわずかに赤く染まる。


 やめろ!

 そんな顔をするな!


 俺はその可能性を認めたくない。

 認めたくはないが、目の前の現実から目を逸らすにも限度がある。


 どうやら、有栖川世慕は。

 あの一件をきっかけに、何かを盛大に履き違えてしまったらしい。


 それも。

 よりにもよって、この俺のせいで。


 ……いや、待って。 俺のせいではない。

 俺は悪くない。 断じて悪くない。

 悪いのは、あのとき勝手におかしな受け取り方をした有栖川であり、ついでにこの面倒な世界そのものだ。


 だから俺は無罪。

 完全無欠に無罪。

 はい! 証明終わり!


「月影様……」


 潤んだ目でこちらを見上げてくる有栖川を前に、俺は頭を抱えた。


 認めたくない。

 認めたくないが。


 このお嬢様、有栖川世慕は――




 「もう一度、わたくしを罵ってくださいませ」




 ――マゾ属性に目覚めてしまったらしい。

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