19話 天川笑兎は空気を壊す女
「こっちは俺の妹の彩花。 それで、こっちが幼なじみのエリナ。 ……いや、そんな目で見るなって。 ちゃんと説明するから」
鋭い視線で両側から突き刺され、優人はたまらず両手を上げて降参の意を示した。
もっとも、こいつは始めからずっと全面降伏状態みたいなものだったので、今さら大した意味はない。
「だから、その……ここにいるエリナは、俺が十歳になるまでずっと一緒にいた幼なじみなんだ。 そのあと家の都合でアメリカへ行って、今回またこの町に戻ってきた。 で、こっちの彩花は妹だけど、血は一滴も繋がってない。 エリナも知ってる通り、うちは父子家庭だっただろ? 俺が十一歳のときに父さんが再婚して、その再婚相手の娘が彩花なんだ」
たしかに、そうだった。
エリナがアメリカへ渡ったあとで、優人の父親は再婚した。
だからこの二人は、そもそも互いの存在そのものを知らなかったわけだ。
……しかし、だ。
優人のやつ、エリナとはそれなりに手紙のやり取りをしていたはずなのに、そのへんの話は一度もしなかったのか?
彩花の方にも、アメリカへ行った幼なじみがいることを話していた気配はない。
双方に一言ずつでも伝えておけば、少なくともここまで話がこじれることはなかっただろう――というのが、俺の冷静かつ客観的な分析だった。
「……なるほど」
「そういうことでしたか……」
優人の説明を聞き、エリナと彩花はひとまず納得したように小さく頷いた。
おかげで張り詰めていた空気も、ほんの少しだけ和らいだ。
優人もようやく助かったとばかりに安堵の息を漏らす。
――が。
「ふぅん。 妹、ねぇ? つまりユウトの家族ってことよね? お兄さんと妹か。 ……へぇ、そっかぁ」
エリナがやけに「家族」と「兄妹」を強調しながら、何故か勝ち誇ったような顔をした瞬間だった。
ぴくっ、ぴくぴくぴく――。
彩花の眉が、再び不穏な動きを見せる。
彩花は上品に手を口元へ添えたまま、目だけはまるで笑わず、それでも顔には柔らかな微笑みを浮かべて応じた。
「ええ、とっても仲がいい家族です。 お兄様とは、とても仲の良い――血の一滴も繋がっていない兄妹ですから。……まあ、将来的には本当の意味で家族になる可能性もございますけれど」
ぴくぴくぴくぴくっ。
出た!
出ましたよ、彩花選手の高等戦術!
血は繋がっていない、ゆえに将来的には夫婦の縁だって結べる――と宣言しているも同然の、実に高度な一手でした!
さあ、これに対してエリナ選手はどう出るのでしょう? 解説の佐助さんは如何にお考えでしょうか?
えー。 そうですね。 彩花選手の一手は実に見事といえましょう。 しかし、エリナ選手とて黙っては……ああ! ご覧ください!
「へぇ? でもさ、兄妹って結局は兄妹でしょ。 お兄ちゃんなんて、いずれ絶対に妹のところから離れていくものなんだから。 それにあたし、あんたよりずーっと前から優人のこと知ってるし!」
これは強い! エリナ選手幼馴染みとしての利点を熟知しているからこその見事な一撃!
幼なじみ属性の本丸とも言うべき、“私の方が長く知ってる”カードをここで切り出すとは!
そうですね。 しかし、そんな程度で引き下がる彩花選手ではありません。 幼いころから優人の花嫁になるべく、日々たゆまぬ研鑽を積んできた健気な少女なのです。 ここで予想される次の一手は――
そんなふうに俺が一人修羅場実況を脳内開催している間にも、優人を挟んで二人の舌戦は再開していた。
「まあ。 期間の長さだけで優位に立てるとお思いなのですね。 ずいぶんと単純でいらっしゃること」
「はあ? 何それ。 そっちこそ家に一緒にいるだけで勝ったつもりになってる方がよっぽど単純でしょ」
「少なくとも、突然戻ってきて昔話だけを振りかざすよりは、今を共有している方が自然ではありませんか?」
「今を共有してるから何? 昔から積み重ねてきたものの方が、よっぽど重いに決まってるでしょ!」
またしても苛烈にヒートアップしていく修羅場。
優人が助けてーとか、目で訴えかけてくるが、俺に出来ることなどありはしない!
うーむ。 長年優人ラブコメを観察してきたが、ここまで見事に修羅場ってるのは俺としても初めてだ!
……などと感心していた、そのときだった。
天川が俺の袖を引っ張って問いかけてきた。
「喧嘩すると、佐助楽しい?」
「また急に変な事を聞いてくるな、お前……」
思わず小さく息を漏らしつつ、俺は声を潜めた。
「そりゃまあ……。 喧嘩ってのは世の中で一番面白い見世物の一つだとか言うしな。 俺に限らず、大抵の人間は楽しむんじゃないか? もちろん、自分に火の粉が降りかからない場合に限るが」
「そう」
天川はこくりと頷いた。
……何か納得したのか?
そう思って間抜け面でそいつを見ていた次の瞬間、天川は突然言い争うエリナと彩花の方へ向かってずんずん歩き出した。
は?
いや、何でだ。
お前また急に何をする気だ!
「おい、ちょっ――天川!」
慌てて手を伸ばしたときには、もう遅かった。
天川はすでに三人のすぐ近くまで行っていた。
「な、何?」
「ど、どうかなさいましたか?」
言い争っていたエリナと彩花も、天川が真顔で自分たちをじっと見つめるものだから、さすがに気圧されたように口論を止めていた。
やばい。
あの馬鹿、今度は何をやらかすつもりだ……?
俺だけでなく、その場にいた全員が固唾を呑んで天川を見守る。
そして天川は――
両手を軽く握ったまま、腕を持ち上げた。
さらに手首をくいっと折り曲げて。
「ガオー」
……。
何かよくわからない動きをした。
あまりにも意味不明すぎて、こっちの思考が一瞬完全停止した。
ぽかんと固まる俺たちを見ながら、天川は不思議そうに首を傾げ、もう一度同じポーズを取る。
「ガオー」
いや、だから何なんだ、それは。
ついさっきまで殺気すら漂っていた空気が、あっという間に消し飛んだ。
残ったのは、どう処理していいのかわからない絶妙に気まずい沈黙だけである。
「えっと……何、してるの……?」
その沈黙の中で、優人が恐る恐る問いかける。
すると天川は、持ち上げた腕はそのままに、手首だけを前後に揺らしながら短く答えた。
「喧嘩するときの獅子さん」
……。
再び、沈黙。
誰一人として予想していなかったであろうその答えに、俺たちの間にはもう一度微妙すぎる空気が流れた。
だが、それもほんの一瞬だった。
「ぷっ……あはははははっ! 何それ、変なの!」
「ふふっ……そうですね。 何なのでしょう、それは。……ふふ、可愛らしい方ですね」
ついさっきまで互いを睨みつけていたエリナと彩花が、すっかり毒気を抜かれた顔で笑い出したのである。
それを見て、優人もまた心底安心したように大きく息を吐き、へにゃっと微笑んだ。
険悪だった空気が、拍子抜けするほどあっさりと和らいでいく。
その場が和気藹々とした空間に変わるまで、ほとんど時間はかからなかった。
……ったく、あの馬鹿。
俺は眉をひそめてそんな連中を眺めていたが、結局、自分もすぐに苦笑せざるを得なかった。
まあ、仕方ない。
今回だけは、大目に見てやるとしよう。
そんなふうに苦笑しながら視線を向けた先では、何でみんなが笑っているのかさっぱりわからないという顔で、天川がこてんと首を傾げていた。
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