18話 開幕! 幼馴染と妹の修羅場
不意に割って入ってきた声の方向に視線を向けると、そこにはこちらへ近づいてくる優人の妹、神代彩花ちゃんが見えた。
やわらかな足取りでこちらへ歩いてくるその姿は、まさしく清楚可憐な大和撫子を絵に描いたようだった。
艶やかな長い黒髪。上品なお嬢様学校の制服。男の胸を問答無用で撃ち抜く、楚々とした美しさを持っている、いかにもお嬢様的なイメージの少女。
「あ、彩花。 うん、偶然だな。 今帰り?」
彩花の突然の登場に、エリナはまたしても警戒心を最大まで引き上げていた。
対する優人はというと、いつもの調子で何も考えず手を振っている。
この鈍感主人公め。
その無防備さ、いっそ才能だな。
いや、もはや災害と言っていい。
彩花も優人の方へ歩み寄り、はにかむように微笑みながら小さく手を振り返した。
……が、その途中で、自分を警戒心むき出しで見つめていたエリナと視線がぶつかった。
「……」
「……」
数秒。
両者、沈黙。
そしてその沈黙が意味するものは一つしかない。
――暴風前夜である。
これから巨大な修羅場ラブコメ台風が上陸します、と予告しているのだ!
先に沈黙を破ったのは彩花の方だった。
「……ところで、優人お兄様。 そちらの方は、どちら様でしょうか?」
やわらかな声色。
やわらかな物腰。
しかし、その実、妙に冷たい。
当事者でもない俺ですら背筋に薄く寒気が走ったくらいなのだから、優人本人が受けた圧など推して知るべしだった。
ちらりと優人を横目で見ると、案の定、顔からわずかに血の気が引いていた。
“理由はわからないけど妹が怒ってる気がして怖い”という感情が、あまりにもわかりやすく顔に出ている。
お前、そこまでわかるなら、もう一歩頑張って“何で怒ってるのか”まで察してやれよ、この鈍感野郎。
「はぁ? それを言うなら、あんたこそ何なのよ。 さっきからユウトのこと、お兄様だの何だのって」
今度はエリナが一歩前へ出て、優人と彩花の間に割って入った。
鋭い視線を真正面から彩花へ向ける。
互いを睨みつける二人の少女。
見ているこっちまで息が詰まりそうな空気の中で、二人は一歩も引かずに視線をぶつけ合っていた。
優人は「何でこの二人、いきなりこんなことになってんだ?」と言いたげな顔で立ち尽くしている。
まあ、こいつの視点からしたら初対面同士の二人がいきなり敵意むき出しで火花を散らし始めたわけだから、困惑するのも無理はない。
俺はこの地獄のような空気の中に割り込む自信がないので、息を殺して一歩後ろへ下がってもらいます。
そのまま状況を楽し――いや、見極めることにします。
なお、もう一人の空気の読めない問題児――天川は、何をしでかすかわからないので襟首を引っ掴んで俺の隣へ回収しておいた。
こいつは時限爆弾みたいなものだ。 監視しておく必要がある。
「どうしてお兄様とお呼びするのか、ですか?」
彩花は上品な微笑みを浮かべたまま、しかし目だけは笑わずに言った。
「そのようなこと、当然ではありませんか。 お兄様は私のお兄様なのですから。 ……それで、あなたはどのようなお立場で、そんなに親しげにお兄様のお隣へ?」
ぴくり、とエリナの眉が跳ねた。
「はあ? 何それ。 意味わかんないんだけど。 親しげも何も、あたしはユウトの幼なじみよ。 あんたみたいに、いきなり現れて妙な呼び方してる方がよっぽど怪しいでしょ」
ぴくり、と今度は彩花の眉が跳ねた。
「まあ。 ずいぶんと威勢がよろしいんですね」
彩花は手を口元へ添えて、くすりと笑った。
「ですが、その割には少々お言葉が荒いようで。 ……ひょっとして、頭へ行くはずの栄養まで、ずいぶんと胸元の方へ吸われてしまったのでしょうか?」
ぴくりぴくり、とまたしてもエリナのこめかみが引きつる。
「……は? 何それ、喧嘩売ってるの? っていうかあんたこそ、胸どころか性格の丸みまで全部なくしちゃったんじゃない? まあ、 女の子の魅力が全部それで決まるとまでは言わないけど、そこまで貧弱なら、ね。」
ぴきっ。
「あら、ご心配には及びませんよ。 性格まで膨らんでしまうよりは、よほど見栄えがよろしいかと存じますので」
ぴきっぴきっ。
うーわ……。
すごいなこいつら。
片方は感情のまま殴りつけるように言葉を叩きつけ、もう片方は笑顔のままナイフみたいな言葉を差し込んでいく。
タイプの違う毒舌って、こうも見事に噛み合うものなのか。
そんな様子を眺めているうちに俺は今更ながら自分の重大なミスに気づき、嘆くしかなかった。
無音カメラ(少しグレーな一品)を家において来ちゃった! 俺のアホ!
こんな面白おかしい修羅場を映像保存できないなんて、何という不覚!
こうなったら全てのシーンをこぼさないようによーく観察するしかない!
絵に描いたような修羅場!
実に美味であります。たまりませんな、これは!
そうやって数度の応酬の末、これでは埒が明かないと判断したのか、二人は同時に優人の方を振り向いた。
「ユウト! この訳わかんない子、何なの!?」
「お兄様! この無礼な方は、いったいどなたなのですか!?」
……お前ら、本当は仲いいんじゃないか?
タイミング完璧すぎるだろ。
優人は左右から同時に詰め寄られ、気の毒なくらい狼狽えていた。
それでもどうにか笑顔を引きつらせながら、二人の間へ割って入る。
「ま、まあまあ! 二人とも落ち着けって。 何でこんなことになってるのかは俺もよくわからないけど、初対面なんだし、そんな言い方は――」
「「いいから、早く!」」
「説明して!」
「説明してください!」
見事な追撃で何とか場を和ませようとした優人の健気な仲裁努力は、二人の華麗な合唱によって木っ端微塵に砕け散った。
縮こまる優人。
詰め寄る二人の少女。
その光景を見て、俺は思わず軽く合掌した。
南無。
まあ、自業自得だけどな。
この状況にニヤニヤが止まらない俺をみて、隣でじっと様子を見ていた天川が、こてんと首を傾げた。
「佐助、楽しい?」
「また何を言い出すのかと思えば……」
思わず小さく息を漏らしつつ、俺は声を潜めた。
「当たり前だろ。 楽しくないわけがない」
本当ならこの感動を拳を握って大声で語りたいところだが、この空気の中でそんな真似をして水を差すほど無粋ではない。
だから俺は、囁くみたいな小声でそう答えるに留めた。
「どうして?」
いや、どうしてと言われましても。
そんなもの、脇役だからとしか言いようがない。
だが、今のこいつにそれを説明したところでややこしくなる未来しか見えないので、俺は軽く無視して再び視線を前方へ戻した。
ちょうどそのとき、優人がもう一度どうにか二人を宥めようと身を乗り出していた。
修羅場は、新たな局面へと向かおうとしていた。
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