9話 お前は人間だ
俺は少し乱暴に頭を掻いた。
あーその、なんだ。
これから俺が少々脇役らしくないことをするかもしれないが、それでも俺は脇役だからね。 うん。
と、自分への言い訳をして天川の正面に座り直し、両手を持ち上げた。
そして、その手を――
「……?」
天川の両頬をむにっと掴んで固定し、そのままぐっと顔を近づける。
天川は相変わらずの無表情で、ただぼんやりと俺を見返していた。
いや、そんな真顔で見つめるな。
正直なところ、今自分が何をしているのか、俺だってあまりよくわかってないんだから。
そのまま一分ほど、俺は天川の顔をじっと観察した。
次に片手を天川の額へ、もう片方を自分の額へ当てる。
その状態をまた一分ほど維持。
さらに今度は、天川の右手を両手で取って、片方で手のひらを支えながら、もう片方の指先を手首へ当てる。
そして再び一分。
その一連の妙な検査ごっこが終わるまで、天川は一切抵抗しなかった。
無表情のまま、ただ俺のやることをじっと見ているだけだった。
……俺は一体何をやってるんだろ。
いや、本当に何やってんだ?
そんな情けない気持ちになったが、それはそれとして。
俺はようやく天川から手を離し、ゆっくりと口を開いた。
「呼吸数、一分間に十四回前後。 脈拍、一分間に五十五回くらい。 体温は、俺の平熱が三十七・三度だから、それより少し低い程度と推定」
俺の報告に、天川は小さく首を傾げた。
それが何だと言いたげな顔だった。
だから俺は、その疑問にちゃんと答えてやることにした。
「呼吸もしてる。 心臓も動いてる。 体温もある。 つまり、お前は人間だ。 そもそも人形が喋って歩いて、ついでに健全な男子高校生を拉致って制圧するとか、できるわけないだろ! 常識的にも物理的にも無理だ。 DNAを舐めるな、この野郎!」
「……でも、さっき人形って……」
「だー・かー・ら!」
とん、とん、とん。
どう見ても納得していなさそうな天川の頭頂部へ、言葉の区切りごとに軽く手刀を落として黙らせる。
「……痛い」
そりゃそうだ。
痛くなるようにやったんだから、痛いに決まってる。
そして、痛いということは。
「痛いだろ? それは外からの刺激をちゃんと危険として感知してるってことだ。 生きてる人間の証拠だよ。 本物の人形が、痛いなんて感覚を持つかっての」
そこで俺は一拍置いた。
「人形、って言ったのは確かだ。 けどな」
俺は頭を押さえていた天川の両頬を今度は手で摘まみ、左右にぐいーっと引っ張った。
「ぁうー……」
何か文句を言ってるような気もしたが、俺の知ったこっちゃねぇ!
「それはお前の表情があまりにも人間味なさすぎたからだよ。 何があっても顔色ひとつ変わらないし、ちょっと息を止めてたら本気でそのまま人形だと勘違いしそうになるし。 『私は人形だったの?』かって? むしろこっちが聞きたいわ!」
「うぅぅ……」
頬を引っ張られたまま、天川がかすかに呻く。
……いや、呻いたのか?
気のせいかもしれない。
それにしても、こいつの頬は何でこんなに柔らかいんだ。
これ本当に人間の皮膚か? マシュマロかなにかか?
「だから、結局お前は何なんだよ。 人間なのか? 人間の皮を被った人形なのか? それとも人形の皮を被った人間なのか?」
我ながら何を言ってるのかさっぱりわからない。
ただ、この妙に柔らかくて、変に吸いつくような頬の感触のせいで、こっちの思考もだいぶ怪しくなってきていた。
やばい。
これはよくない。
このままだと、永遠にこのほっぺたをむにむにし続ける生き物になってしまうかもしれない。
いや、いっそそれでも――
「やめて」
ごきっ。
「ぐぇっ!?」
天川の声が聞こえたかと思った次の瞬間、両肩にとんでもない痛みが走った。
気づけば俺は、両腕を後ろに極められたまま、再び天川の下に敷かれていた。
……今日、やたらとこいつの下敷きになってる気がするな?
ろくに回らない首を無理やり動かし、俺は自分の上に乗っている天川を見上げた。
相変わらず無表情。
何の感情も浮かんでいないように見える、あの無機質な顔のままだ。
ただし――頬だけは、ほんのり赤かった。
子供が怒ってふくれるときみたいに、少しだけ熱を持って膨らんで見える。
「……痛かった」
その台詞を聞いた瞬間、俺は肩の痛みすら忘れて吹き出した。
「ぶはっ……あはははははっ!!」
いや、待て待て待て。
何でだよ。
何でこんなにおかしいんだ。
たったそれだけのことなのに、妙にツボに入った。
「くっ……あーもう駄目だ、やめろ、ほんと……っ、くくっ……!」
俺が笑い転げている間も、天川は俺の腕を押さえたまま、小さく首を傾げている。
その仕草と、少し赤くなった頬が絶妙に噛み合っていて、余計に笑いが込み上げてきた。
「っ、ははっ……お前、俺を笑い殺す気かよ……!」
「……?」
心底わからない、とでも言いたげなその仕草に、また笑いそうになる。
だが何とかこらえた。
ここで本当に呼吸困難になったら洒落にならない。
荒れた息をどうにか整えながら、俺は天川を見上げて口元を緩めた。
「はぁ……はぁ……っ、何だよ。 お前でも怒ること、あるんじゃん」
その言葉に、天川の瞳がわずかに大きく開いたのを、俺は見逃さなかった。
「私が……怒った?」
「ああ。 今のは立派に怒ってたな。 それで怒ってないとか、説得力ないぜ」
ぽかんとしたように、その言葉を反芻する天川。
その間に腕へかかっていた力が少し緩み、俺はようやく肩が外れそうな危機から解放された。
……ああ、よかった。
次からはこいつを怒らせるようなことは控えよう。
面白かったのは事実だが、さすがにこっちの身体が保たない。
俺は起き上がり、両肩をぐるりと回しながら、まだ固まったままの天川へ問いかけた。
「で? 初めて怒ってみた感想はどうだ、人間の天川さん」
「……わからない」
天川はそう言って、こてんと右へ首を傾げ、今度は逆に左へ傾げた。
まるで、見たこともない景色を目の前にした子供みたいだった。
しばらくそうして考え込んだあと、天川は本当に慎重に、けれど確かに言葉を選ぶように口を開いた。
「……でも」
一度、そこで言葉を切る。
そして、まだ自分でもよく理解できていないのだと伝わる声で、それでもはっきりと続けた。
「……悪く、ない……かも」




