3話【アメトリン】
一樹と呼ばれたその日とは帽子を深く被り気だるげな顔をした長身の男だった。
「一樹兄さん。アメトリンを作った人であのオダマキの花くれた人だよ!」
兄さん呼びをするほど双が慕っているとは。ただ彼は居心地悪そうにしている。目の焦点を右往左往させたり肩を揺らしたり落ち着かない様子だ。
「あ、一樹兄さん!今日新しく入ったランバだよ!」
「どうも…」
私が一礼して挨拶すると「あぁ…よろしくな」と受け入れてくれた。
「……」
「なぁ、人を殺すってどう思う?」
一樹のその一言に一気に空気が張り詰めた。
「人を…?人を…殺す?」
双は唐突な質問に言葉を反芻するしかできない様子だ。
「唐突で驚くのも無理はない…ただ今のうちに聞こうと思っててな…」
一樹は息を吐いて一人一人周りにいる人の目を見て話し始める。
「インフラを遺漏で慈善的に補強する奴が出てある程度はマシになった…だがな」
「東京にはオミッションと強力な能力を持つ遺漏者が集まって無駄な戦いに明け暮れやがって最も混沌としている。日本に取り残された在日米軍や自衛隊員が何とかしているがみんなピリピリしていやがる」
「日本を支配しようとする遺漏者が東京に大集合している…つまりそこではそれを止めようとする者含めて殺人が行われている。戦争が起きているんだよ。そういう奴らに対抗するためにみんな殺気立っている」
沈黙が流れる。急に何を語るんだと言葉にならないが皆困惑を隠せていない。
沈黙の後一樹は「すまない」と一言謝り廊下へ向かった。
「今は平和だった昔と違うって言いたかったんだよ…」
一樹の背中を見ながら双は私に耳打ちしてきた。
「…急に言われても困るよね…?」
「うん。アンニュイだった」
私はそう返すしかなかった。
夕飯の時間になった。
食堂に皆で集まる。…ただ一人だけ席が空いている。シズという名前の人の席だろう。
「一人二人増えだ所で…ゆっくりしてきさいん」
そう言ったのはオーナーの荒見だ。私を歓迎してくれている。
料理を運びながら右目が髪の毛で隠れた桃色の髪の毛の女性が語る。
「宮城でおすすめ料理を聞かれた時に多くの人は牛タンだのずんだだの有名で安牌なメニューばかりを選ぶ」
「それはあまりにも退屈だ」
「今夜は『石巻やきそば』にするよ」
「海鮮の出汁が効いてて上に目玉焼きが乗ったボリュームと旨味が満点なんだよ。おまけに作りやすい!」
「花菜さん…石巻やきそばもそこそこメジャーじゃないですか?」
白い髪の毛の男性…鈴彦が静かに呟くとじとりと花菜と呼ばれた彼女は睨む。
「鈴彦…名産品とそこそこメジャーでは雲泥の差なんだよ…わかるよな?」
「ひぃ…ぇ」
鈴彦は肩をすくめてしまった。
花菜はついでと言わんばかりに大きな牡蠣を私の目の前に突き出した。
「宮城の牡蠣はデカい。滅茶苦茶に美味しい。」
千春は口を挟む。
「岩手の牡蠣も…」
「ふぐすま(福島)のもねぇ」
荒見がニコニコとしている。東北の牡蠣自慢…東北の海が凄いのはわかった。
石巻焼きそばは目玉焼きが上に乗っていてボリューミーで海鮮の味もして美味しく牡蠣は無駄に味付けがなく素材そのものの味がとても濃くて滑らかだった。
それはそうと箸が使える事を指摘された。やはり私は日本人なのだろうか。
「おい…っこれ東北民の内輪ネタじゃねぇか!!!ランバ置いてけぼりかよクソがぁっ!!!」
ダンッ!!と机を叩く花菜。自分で東北の話を振って自分でツッコんでいる。双から口が悪いと言われていたが…。どちらかと言うと情緒不安定ではないだろうか。
「んー…焼きそば…牡蠣…美味しいけれど…食べるの初めてかも」
「は?マジで言ってんの?」
花菜が顔をあんぐりとする。
「焼きそば…食べたこと…無い?」
「……いや、多分だから、うん」
と言うか何か食べたという記憶がない。好きなものと聞かれても答えられないかもしれない。
「んー、んー…」
私は昔何していたのか…。知っている人とか…。頭を捻る。
……駄目だった。焦っても仕方ないか。
賑やかな夕食の側でバグシィはキャットフードや猫用缶詰を食べていた。ペット用の生活必需品も揃えられるのか。
「美味しい?」
そう聞くとバグシィは「…フゥウ…」と『食事を邪魔するな』みたいな低音の威嚇をされた。
「失礼…」
私は自分の食事に戻った。
「あはは!意外とバグシィはおすましさん?」
双がやり取りを見て笑っている。確かにずっとやんのかステップしているし自分のパーソナルスペースがあるのかもしれない。
ある程度食べ進めていったところで話を振られる。
「ちょっと待って。ランバのアレルギーとか大丈夫なの?」
獣人の姿をしたまひるが首を傾げる。それに花菜は自信ありげに応える。
「大丈夫。アレルギーがあってもあたしが対処する」
「あぁ、そういう使い方もできるんだ〜…へ〜」
まひるの兄の敦己がそう含みのある言い方をしている。
まひるはそれを聞いて溜息を吐いた。何だかそれだけで2人の関係性が見えてきた。
――――
翌日
「千春〜」
私を呼ぶ声。この騒がしい双が私より一個年上なのかと 思うと何だか自分のほうが早く生まれればよかったと思ってしまう。
双がランバにアメトリンを案内したいと言い出し何故か私も駆り出された。一人だとずっと喋り続けてしまうから…らしい。
アメトリンか。私も父が生きていればこっちで暮らしていたのかもしれないと考えてしまう。家族が揃っていれば。
…私の目の前で死んだ父。未だに夢に見る。双も家族を亡くしているが彼も夢に死んだ家族は出てきたりしているのかも。
ランバと双に並びアメトリンを歩く。同じ様な仮設住宅が並び家族仲睦まじい様子を見せている。私はこの場所はあまり好きではない。自分が惨めに思えてしまう。
堪らなくなり双がいつも持ち歩いているラジオに耳を傾ける。
『そうですね〜本日北海道ではお菓子を作り出すオミッションが発生したみたいですね。品質は安全…なのでしょうか?……あっそうだ!!今すべての言語がわかるなら判別不能の暗号も読めるってことでしょ!?歴史がひっくり返りますよね!!多分ヴォイニッチ手稿もわかりますよこれ!!!……今ネット見れないですね…』
このレポーター…本名なのかは知らないけれど『波佐本人見』は人々にとって情報を得る最も手軽な手段になっている。毎日同じ人が情報を流してくれる。それだけで安心する。いつからか彼女は人々の間で人気を集めている。
【遺漏】という名称も政府関係者に謎の異形頭が集合的無意識だの遺漏だのと説明し消えた。その会話を遺漏により盗聴し発信した。
そんな自身の危険も政府の機密情報も気にしない姿勢に人々はイカれたレポーター…『イカレポ人見』なんて愛称だか蔑称だかわからないあだ名で呼ぶ人も周りにいる。
日本国内で東京を除いた地域ではあけぼのクラブ(アメトリン含む)など穏健派がある程度自主的に秩序を保っている。政府が機能しなくなり限界になった国民は自分達で新しい秩序を保っている。
しかしそれは薄氷を踏む状態であり少しでも崩れればすぐに無秩序に戻ってしまう。そんな世界を闊歩するのは並大抵のことじゃない。
双は広間を指差しランバに説明する。
「此処らへんには偶に生活必需品を売りに来る陋能転国の関係者が来るんだよね〜」
「あーあの爺さんね」
私は相槌を打ちながらあの爺さんを思い浮かべる。気さくで色々作れる遺漏を持つ人。でもあの遺漏既視感がある。何処かで見た…。なんかのゲームのアイテムだった気がする。
【陋能転国】
主にオミッション被害の阻止、医療などの慈善活動。食料と飲料供給を行っている。
海外との貿易ができなくなったりオミッションによる被害により食料が足りなくなっている。
動植物をオミッションが食い荒らし被害は甚大。それを解決する為に色々奔走している。
特に医療技術が凄まじく手足や臓器など失った体の部位を補強する遺漏持ちがいるらしく凄まじい技術を持ち合わせている様子。
幸運な事に東京付近は危険なので東北で最も人のいる仙台を拠点にしている。更に物資を日本全国に生き渡らせるために物を空間転移させる人が陋能転国に協力しているらしい。
「そうだ!陋能転国の拠点は仙台駅の近くにあるんだよ!記憶喪失なら記憶を戻せるかもしれない!」
確かに。医療技術が特に秀でていて手足や臓器の再生すらできるのなら失った記憶を戻せる可能性も高い。
ランバはそれを聞いて目を輝かせる。
「行ってみたい。良いかな…?」
「俺は全然良いし!」
「私も…他の人に出かけることは伝えないと」
――――――
あけぼのクラブに戻り陋能転国に行きたいという旨を吐露する。私の正体を看破してくれる遺漏者がいるかもしれないという期待が私の心を揺さぶる。私の願いを棄却するとは思えないと思うほど彼らはとても良くしてくれている。実際今回のおねだりは快く承諾してくれた。
まひるは話を聞いて口を開く。
「獣人とか人と違う体の人は珍しくないよ。私もそうだし。それにドラゴンの人もいるし。」
(見たい…)
ドラゴン。それが現実にいるのならどのような生態なのだろうか。鳥とか爬虫類とかと近かったりするのだろうか。
「記憶喪失のことはちゃんと診て貰ったほうが良いだろうね。医療技術がすごいんだっけ?私も行ってみようかな…狂犬病とか気になるし」
話の途中で見慣れない茶髪に長身の男が現れた。
「おーまだギリ日ぃ出てるよ。偉い!それに部屋から出た!百点!」
双が明るい声を出した。
「……はよ…」
彼は私に何も言わない。気にも留めず廊下の奥に消えていった。ただ拒絶はされていないようだ。
石黒シズ…遺漏を持たない一般人らしい。昨日の夕食にも顔を出していなかった。
「母子家庭で母親が行方不明でメンタルやられてるからさ…そっとしておくしかなかったんだよね…しつこく声をかけたりしたら嫌がるだろうし…」
シズが部屋から出たのを物珍しいのか花菜がバタバタとシズに向かい走り出す。
「シズ!!今度こそ陋能行くぞ!!服着替えろッ!!」
シズの口にパンを突っ込み着替えをぶん投げている。あの人いつもこんな感じなのか?私が陋能転国に行くからついでに彼のメンタルも診てもらおうという魂胆だろう。
バグシィについては色々とまだ迷っている。あの普通じゃない見た目の猫が何なのかとかまだ話せていないしなぜ私に渡されたのか…本当に猫なのか怪しい。…ひとまず私とシズを診てもらって猫も診てもらえるか聞いてからにしよう。
バグシィと言えば鈴彦が首輪を作ってくれた。
【『あけぼのクラブ』バグシィ】と書かれている。
「ど…どうでしょうか、首輪がないと見た目のせいでオミッションだと勘違いされるかもですし…」
照れくさそうにふふ、と笑う。
バグシィは特段反応を見せず相変わらずやんのかステップだった。
―――――
「ここにも手掛かりは…無い」
肩に小さな虫とクマを合わせたような生き物を乗せ1人の男が愚痴る。
そこは北欧のスウェーデンの人のいない海岸。
結界をすり抜けるとまるで最初からそこにいなかったように姿を消した。
男は次に姿を現したのはオーストリアの首都ウィーン。音楽の都と呼ばれる美しい街の街灯は消え人々が集まりオミッションから身を守るために協力している。
それには目を向けず男は何かを探し求めていた。
首都から離れ人けのない森に入っては道から外れ獣道に入っていった。




