⑨ テスト返却!! と事件!?
中間テストの荒波が過ぎ去り、季節は六月へ突入。
今日から全校生徒がちらほら夏服へと切り替わる衣替えのシーズンが到来した。
朝、教室のドアを開けると、窓際の席で数人の女子と談笑していた水瀬さんがこちらに気づいた。
彼女は友達に軽く手を振ると、迷うことなく俺の机のほうへと小走りで寄ってくる。
「相沢くん、おはよう」
「ああ、おはよう。水瀬さんも早いな」
挨拶を返しつつ、俺の視線はどうしても水瀬さんの真新しい夏服姿へと引き寄せられてしまった。
冬服の厚手なブレザーとは違い、半袖の白いブラウスは身体のラインをはっきりと浮き彫りにしている。
スラッとした細身のモデル体型だということはわかっていたはずなのに、生地が薄くなったことで起伏が誤魔化せなくなり――あ。意外とあるんだな。
朝っぱらからそんな男子高校生丸出しの感想を抱いてしまい、俺は慌てて視線を黒板の方へ逸らした。
「ふふ、どうしたの? そんなにじっと見つめて」
「いや……夏服の水瀬さんを見るのは初めてだったから、なんか新鮮だなって思っただけだ」
「あ……うん。そうだよね。相沢くんの夏服姿も、すごく新鮮だし……かっこいいよ」
「か、かっこ――!? ごほんっ……あー、っと……水瀬さんもかわいい、と思う」
「へぅ……ありがと……」
互いに褒めあって互いに風呂上りくらいに真っ赤に『恥ずか死』してしまう。
……いかん。冬服の時も破壊力は高かったが、夏服の清楚さはちょっと目に毒すぎるかもしれない。可愛すぎるっ!!
というわけで放課後。
テストの答案用紙がすべて返却され、俺たち天文部は部室で運命の発表会を開いていた。
「はーい、みんなお疲れさまぁ。無事に赤点回避、夏合宿の予算は死守したよぉ」
「……当たり前ですよ。あれだけスパルタで勉強したんですから」
凜乃先輩ののんびりした宣言に、俺は短くため息をついた。
テストの出来は全体的に上々だった。
俺はいつも通り、学年の真ん中より少し上くらいをキープ。水瀬さんは当然のように全教科ほぼ満点で、学年一位の座を揺るぎないものにしている。
「凜乃先輩も、なんとか平均点くらいは取れたみたいですね」
「んー、陸くんが古典の予想問題当ててくれたおかげだよぉ。ありがとねぇ」
先輩が夏服の薄手のニットベストを揺らして、えへへと笑う。
ちなみに先輩の夏服姿は、冬服よりもさらに『色々と窮屈そう』という言葉に尽きた。漫画やアニメみたいにいつかボタンがはじけ飛ぶんじゃないか冷や冷やする。まあ目のやり場に困るという意味では、部室の難易度がさらに跳ね上がっているのは確かだ。
「で……めいは、どうだったんだ」
「ふっふっふ、聞いて驚いてください! なんと、数学は三一点ですっ!」
「……お前な。誇らしげに見せつけてるとこ悪いけど、ギリギリ赤点回避だぞそれ」
「いいんです! りく先輩が手取り足取り教えてくれたおかげで、一桁は免れたんですからっ!」
わが校の赤点は三〇点以下。かなり緩いほうだからギリギリは恥じるべきなんだが……。
めいが半袖のブラウス姿のまま、バンザイをして俺の腕に飛びついてくる。
冬服でもあれだけ柔らかかったものが、薄着の夏服越しにダイレクトに押し当てられるのだ。これはもう歩くわいせつ罪では?
それだけじゃなく最近めいがすぐ抱き着いてくるせいで『もしや相沢は勃起不全なのでは?』『城島とよくいるしホモなのでは?』という噂が出回り始めてこっちは迷惑してるんだ。
「おい、くっつくな。暑苦しいだろ」
「えへへー、夏服のりく先輩の腕、ひんやりしてて気持ちいいですよぉ」
「ふふ、めいちゃん、相沢くんが困ってるよ?」
水瀬さんが優しくたしなめながらも、めいの腕をそっと俺から引き剥がそうとする。相変わらず笑顔の奥の目が少しだけ笑っていない。
「むー、水瀬先輩は学年一位だからって余裕ぶってずるいです!」
「そういう問題じゃないと思うけど……ほら、相沢くんは私の隣、座って?」
「あ、それなら私は陸くんの正面でおやつ食べるねぇ」
薄着になった分、前以上に距離感に気を付けてほしいものだが――言っても無駄だろうな。
*
――事件だ。
事の発端は、何のことはない日。
ただの日常の延長線上にある平凡な日の放課後だった。
部室へ向かうため昇降口で下駄箱を開けると、上履きの上にぽつんと、二つ折りにされた一枚のルーズリーフが置かれていた。最初はラブレタードッキリか? とも思った。
「ん……? なんだこれ」
よく見ればラブレター、なんて感じでもない。
不審に思いながら開いてみると、そこには定規を使ったかのような硬い筆跡で、たったひと言だけ書き殴られていた。
『女の敵』
「……は?」
思わず声が出た。
周囲を見回しても、下校を急ぐ生徒たちがちらほら歩いているだけだ。
女の敵。あまりにも身に覚えのない単語である。
俺の日常を客観的に見れば、確かに美少女三人に囲まれていて、他クラスの男子から見れば、殺意を覚えるほど贅沢な環境に見えるのかもしれない。だからって敵って。男の敵ならまだわかるんだが。
誰かの嫉妬による、くだらない悪戯か。
俺はその紙切れをポケットにねじ込み、深く考えることもなく自販機横のゴミ箱へ投げ捨てた。
だが、それは単なる前触れに過ぎなかった。
翌日、階段の踊り場を通りかかった瞬間、上階の手すりからバシャッと冷たい水が降ってきた。
すんでのところで躱したものの、制服の肩口から背中にかけてびしょ濡れになった。
「うわっ、冷たっ……!?」
見上げると、上階の通路を誰かが走り去っていく足音だけが響いていた。
さらにその次の日には、体育の授業を終えて戻ってくると靴箱からローファーが消えていた。
校内中を捜し回り、最終的に非常階段の踊り場に綺麗に並べて置かれているのを発見した。
陰湿というよりは、どこか手際が良くて執拗な嫌がらせ。あと犯人は悪に成り切れてない気もする。ローファーきれいに並んでたし。俺が犯人ならプールに投げ込むね。
きっと俺を妬むどこかの男子生徒が、直接文句を言えないからとコソコソ仕掛けてきているのだろう――そう思っていた。
「相沢くん、大丈夫……? なんだか最近、制服が濡れてたり靴を捜してたり、変なことが続いてない?」
放課後の部室で、水瀬さんが眉を八の字にして心配そうに俺を覗き込んできた。
真っ直ぐで澄んだ瞳に見つめられると、胸がチクリと痛む。自分のせいで水瀬さんに余計な気遣いをさせるわけにはいかない。
「ん? ああ、これか。いや、俺が水も滴るいい男すぎて、水の方から寄ってきちゃったんだよ」
「もう、相沢くんたら……。冗談言ってる場合じゃないよ」
呆れたように笑いながらも、水瀬さんは安心したように胸を撫で下ろした。
……よし、誤魔化せたな。
しかし、こんな嫌がらせに付き合わされるのも限界だ。もうかれこれ半月以上は嫌がらせを受けている。こんな不気味な火種を抱えたまま夏休みに入ってしまったら、合宿だの夏祭りだのを楽しめるはずがない。
「おい、蓮。ちょっと付き合え」
俺は部活帰りに、ちょうど部活を終えた蓮を捕まえて校舎裏へと連れ出した。
「ぎゃははははっ! 『女の敵』!? お前、手紙でダイレクトに罵倒されてんのかよ面白すぎだろ! ほんとサイコーだな!」
「笑い事じゃねえよ。このままだと何されるかわかったもんじゃない。今日、絶対にそいつを現行犯で押さえる」
「――で、相手はどんな奴なんだ? やっぱり嫉妬が原因か?」
「さあな。足音の軽さからして小柄な奴だと思うが、顔までは見えてない。だから、俺が囮になる。お前は物陰から挟み撃ちにしてくれ」
「オッケー、任せとけ。親友の危機だからな、きっちり捕まえて焼きそばパン奢らせてやるよ」
蓮がニヤリと笑い、頼もしく親指を立てる。
作戦は単純だ。
放課後の校舎。――そうだな、部活終わりがちょうどいいか。誰もいなくなった教室へ、俺が一人で忘れ物を取りに行くフリをして無防備に歩く。犯人が俺の後を追って仕掛けてきたところを、死角に潜んだ蓮と前後から挟み撃ちにして捕獲する。完璧だ。
「あ、ちょっと忘れ物したっぽいからみんな先に帰ってて」
「相沢くん忘れ物? ついていこうか?」
「あー、いいよいいよ。蓮でも捕まえて一緒に帰るから」
「――ねえ相沢くんってもしかして城島くんと付き合って」
「そんなわけないだろ」
「だ、だよね!! うん、ごめんね変なこと聞いて! じゃあまた明日!」
部室前で水瀬さんと別れて、教室へと向かう。
ちょうど蓮からも『準備OK』と連絡が来ている。
そして教室棟の廊下へ忘れ物をした振りをして帰ってきた俺。
わざと足音を響かせながら、誰もいない二年生の教室へと向かって歩いた。
ツ、ツ、ツ……。
背後から、息を殺して忍び寄る微かな足音。
――来た。
俺が教室の引き戸に手をかけた瞬間、背後から何かが振りかぶられる気配がした。
「今だ、蓮!」
俺が素早く振り返ると同時に、廊下の角から蓮が飛び出して退路を塞ぐ。
バッと両腕を伸ばし、背後から襲いかかってこようとしていた犯人の手首をガッチリと掴み取った。
「捕まえたぞ、毎日毎日好き勝手やってくれたな――って、え?」
掴んだ腕は、男子生徒のそれにしてはあまりにも細く、折れそうなくらい華奢だった。
手元からペットボトルが落ちて、床に水たまりを作る。
「……っ! 離しなさいよ、この女たらし! 女の敵!」
睨みつけてきたのは、男子生徒などではなかった。
黒く艶やかな髪を肩口で切り揃えた、ツンと吊り上がった勝ち気な瞳の女子生徒だった。
「離しなさいよ! 触るんじゃないわよ不潔!」
「暴れるなって! おい蓮、手ぇ貸せ!」
「うおっ、元気いいなこの子! ちょっと陸、ここで騒がれたら俺たちが事案になっちまうぞ!」
廊下に響き渡る叫び声に肝を冷やし、俺と蓮はバタバタと暴れる女子生徒を両脇から抱えるようにして、一番近かった天文部の部室へと滑り込んだ。
放課後の部活動はとっくに終わっており、幸いにも部室には誰もいない。
カチャリと内側から鍵をかけ、俺は息を切らしながら彼女をパイプ椅子へと座らせた。
「ふぅ……。おい蓮、そこから逃がすなよ」
「へいへい。出口はここだけだからな」
蓮が部室の頑丈なスチール製ドアにもたれかかり、腕を組んで退路を完全に塞ぐ。
完全に逃げ場を失ったことを悟ったのか、彼女はそれ以上暴れるのをやめ、不貞腐れたようにぷいっと横を向いた。
膝の上で握りしめた拳を小刻みに震わせ、ぶつくさと文句を零し始める。
「……お姉ちゃんが、変な部活に入ったからよ」
「お姉ちゃん?」
聞き捨てならない単語に、俺は眉をひそめた。
天文部に入っている女子は三人しかいない。
凜乃先輩の妹……なわけがない。あのおっとりした先輩の血縁にしては目つきが鋭すぎるし、何よりめいとも雰囲気がまるで違う。
ということは、もしかして――。
俺は彼女の胸元、制服のブラウスに留められた小さなアクリルプレートへと視線を落とした。
「――水瀬?」
そこにははっきりと、『水瀬』の二文字が刻まれていた。
ということは、つまり。
「水瀬さんの妹!?」
「そうよ! 文句ある!?」
言われてみれば、艶のある黒髪の質感や、整った鼻筋のラインが水瀬さんに驚くほどよく似ている。冷たく睨みつけてくるその目元も、よく見れば水瀬さんの面影そのものだ。ただ一点、はっきりわかる胸の膨らみを除けば……。
「お前、お姉ちゃんのなんなのよ!」
ガルガルと喉を鳴らす威嚇中の子犬みたいに、水瀬さんの妹はパイプ椅子から身を乗り出して俺に吠えかかってきた。
俺は気圧されそうになりながらも、平静を装って首を傾げる。
「なにって……友達?」
「つまりセフ――」
「ちげえよ!!!」
「ぎゃはははははっ!! やべえ笑い死ぬぅううううう!!」
なんてこと言おうとするんだこの女!
突拍子もなさ過ぎて今年一番大きい声での全力否定するはめに……。
ドアの前で腹を抱えて崩れ落ちた蓮の大爆笑が、狭い部室に凄まじい音量で反響した。




