⑧ 勉強会後!!
シュークリームで糖分を補給し、再びスパルタ指導を再開してから数時間。
カーテンの隙間から差し込む光が、夕方の茜色へと染まり始めた頃だった。
「ふはぁぁぁ……! もう一問も頭に入りませんっ! 限界突破です!」
めいがローテーブルの上にぺたんと突っ伏し、そのまま仰向けになって手足をばたつかせた。
見れば、ノートの上にはぎっしりと途中式が書き込まれている。文句を垂れつつも、なんだかんだ最後まで投げ出さずにやり切ったらしい。こういうところは偉いと思う。言えば調子に乗るから言わんが。
「お疲れさま、めいちゃん。これだけ解ければ、平均点は余裕で狙えるよ」
「うぅ、水瀬先輩の笑顔が神様に見えます……。あ、そうだ! 頑張ったご褒美に、夜ごはんはりく先輩の手料理が食べたーい!」
「「――!?」」
突如放たれためいの爆弾発言に、隣でノートを片付けていた水瀬さんと、おっとりお茶を飲んでいた凜乃先輩が同時にピクリと反応した。
水瀬さんの目が据わり、凜乃先輩もカップを持ったまま固まる。
……なんなんだ、その「一人暮らしの男子高校生の手料理という未知の領域に踏み込まれた」みたいな女二人の顔は。
「手料理って……お前、そんな大したもの作れないぞ。適当にコンビニで弁当でも買って――」
「えーっ! やですやです! りく先輩の自炊ごはん食べたいです! 一人暮らしの男の人の料理って、なんかこう、ロマンがあるじゃないですか!」
「ロマンってなんだよ。……先輩たちも、腹減ってます?」
「え? あ、うん……迷惑じゃなければ、私も食べてみたい、かな……」
「私も陸くんのごはん、すっごく気になるなぁ」
二人にまでそう言われてしまえば、さすがに追い出すわけにもいかない。
「……しゃあねえな。冷蔵庫にあるものでよければ、適当に作るけど」
俺はため息をついて立ち上がり、キッチンへと向かった。
一人暮らしの男が急に四人前の飯を振る舞うとなると、メニューは限られてくる。
冷蔵庫のチルド室を開け、週末に小分けにして冷凍保存する予定だった業務用スーパーの鶏もも肉大容量パックを取り出した。約一キロ。大勢でガッツリ食うなら、やっぱりこれしかない。
「よし、唐揚げにするか」
鶏もも肉を一口大よりやや大きめにザクザクと切り分け、大きめのボウルへと放り込んでいく。
俺流の唐揚げは極めてシンプルだ。
ボウルに肉を入れたら、希釈用のめんつゆをドバドバと気持ち多めに回し入れる。本来ならここにニンニクチューブとショウガチューブを好きなだけぶち込んでガツンと効かせるのが男飯の鉄則なのだが――。
「……さすがに女子が三人もいる前で、口からニンニク臭を撒き散らさせるわけにはいかないか」
ニンニクは自重し、その代わりにショウガチューブをたっぷりと絞り込んだ。これだけでも十分にパンチは効く。
調味料を肉に揉み込み、しばらく味を染み込ませる。
待ってる間、キッチンについている窓からそれとなくリビングの様子を覗いてみる。
みんな楽しそうに談笑している。
「――そろそろ染みてきたかな」
片栗粉をまぶして揚げる。
コンロの深型フライパンに油を注ぎ、火をつけた、その時だった。
「あの……相沢くん」
キッチンの入り口から、遠慮がちに水瀬さんがひょっこりと顔を覗かせた。
さっき結び直したのか、黒髪をサイドでまとめた姿がなんとも家庭的で目を奪われる。
「何か手伝おうか? 野菜切ったり、お皿並べたりくらいならできるよ」
「いや、唐揚げだけだし油が跳ねると危ないから、水瀬さんは座ってていいぞ」
「でも、相沢くんに全部任せるの申し訳なくて……。あ、じゃあ、お米研いでおこうか?」
「あ、それは助かる。炊飯器の横の計量カップで三合頼む」
「うん、任せて!」
嬉しそうに袖をまくってシンクに立つ水瀬さん。
二人並んでキッチンに立つこの距離感は、なんというか新婚っぽくて妙に落ち着かない。
水瀬さんが手際よく米を研ぎ終えてリビングへ戻っていった、まさにその直後。
「りく先輩ー! めいもお手伝いしますっ!」
パタパタと小走りでめいがやってきた。
狭いキッチンの通路に滑り込み、俺の真横にぴったりと張り付いてフライパンを覗き込んでくる。
「何すればいいですか!? 味見ですか!? それともめいをつまみ食いしますか!?」
「バカ言ってないで向こう行ってろ。油が飛んだら危ないって言っただろ」
「むー! 水瀬先輩はお手伝いしたのに、めいだけ仲間外れですかー!」
「米研ぎは終わったんだよ。ほら、邪魔だからリビングのローテーブル拭いてきてくれ」
「ぶー……。じゃあ、一番大きい唐揚げ、めいにくださいね!」
ほっぺたを膨らませて去っていくめいを見送り、ようやく油の温度が上がってきたのを確認して、片栗粉をまぶした鶏肉を投入する。
ジュワァァァッ、と心地いい音が狭いキッチンに響き渡った。
香ばしい醤油とショウガの香りが立ち込める中、トングで肉を裏返していると――。
「ふふ、いい匂いだねぇ」
背後から、ふわりとおっとりした甘い香りが漂ってきた。
振り返ると、今度は凜乃先輩がキッチンのカウンターに肘をつき、豊満な胸元を預けながら微笑んでいた。
「先輩まで……なんですか。手伝いなら本当に大丈夫ですよ」
「んー? 手伝おうかと思ったんだけど、男の子が一生懸命お料理してる背中って、なんだかすごく格好いいなぁって思ってぇ。見てたくなっちゃったの」
「……からかわないでください。油が跳ねますよ」
「ふふ、照れちゃって可愛い。揚げたて、ひとつ味見させてぇ?」
小首を傾げて口元に人差し指を当てる先輩に、俺は心の中で「この人は無自覚に男を狂わせる天才か」と毒づくしかなかった。
代わる代わるやってくる女子三人のせいで、唐揚げの火加減よりも俺の心拍数のコントロールのほうがよっぽど難しい。というか火を使ってるときに近くに来ないでほしい。
「……ほら、揚がりましたから。火傷しないでくださいね」
小さめの唐揚げを菜箸で挟み、冷ましてから先輩の口元へ差し出すと、先輩は「はむっ」と小さく口を開けて受け止めた。
「んん〜っ……! サクサクでジューシー! ショウガが効いててすっごく美味しいよぉ、陸くん!」
「そりゃどうも。……ほら、リビングに運ぶの手伝ってください」
大皿に山盛りに積み上げられた茶色い黄金の山。
炊き立ての白米の匂いと、リビングから聞こえる「わぁ、美味しそう!」という歓声。
無事に料理が成功したことに、ひとまず胸をなでおろした。
「うわあいい匂い! これショウガだよね。相沢くんってお料理上手なんだね」
「せんぱーい! あーんしてくださいあーん!」
「自分で食え自分で」
「えー、ちょっとくらいいいじゃないですかーっ!」
我、相手にせず。
テーブルに並んだ料理を前に、全員で手を合わせて
「「「「いただきます!」」」」と食べ始める。
一口、唐揚げを口に放り込むとじゅわーっと肉の旨味とショウガの香りが鼻に抜けていく。続いて白米を頬張るともう口の中でフェスティバルの開催だ。――野菜はどうしたって? 一応カット野菜は別皿で用意している。
「美味しすぎます! りく先輩! 結婚してください!」
「はいはい寝言は寝てから言ってね」
「これには流石の私も負けちゃいそうだよぉ」
「凜乃先輩って料理するんですか?」
「するよー? こう見えても料理得意なのよぉ」
「食べる専門家と思ってましたよ」
「ひどーい」
「相沢くんがこんなにお料理できるなんて、ギャップ萌えってやつだね」
「なんだ萌えって。萌える要素どこにあるんだ」
「知らないの? 料理男子って人気高いんだよ」
「へー。そうなのか。初耳だわ」
わいわい盛り上がって、久々の賑やかな夕飯に心地よさを覚える。いや、思い出すが正しいか。
たまにはこういうのもいいかもな。
「美味しかったぁ! ごちそうさまでしたぁ」
「りく先輩の唐揚げ、毎日でも食べたいレベルでしたっ!」
「本当に美味しかったよ。相沢くん、ごちそうさま」
山盛りにあった唐揚げも三合炊いた白米も、見事にきれいに平らげられた。
皿洗いを手伝おうとする三人を「客人に後片付けまでさせるかよ」と追い払い、時計を見れば針はすでに午後八時を回っている。
「じゃあ、そろそろ帰ろっか。遅くなるとお家の人も心配するしねぇ」
「そうですね! 月曜日からのテスト、赤点回避どころか満点狙っちゃいますよー!」
三人はスクールバッグを抱え、玄関先で靴を履く。
男の一人暮らしの玄関に、女子用のローファーやスニーカーがぎゅうぎゅうに並んでいた光景もこれで見納めだ。
「今日は本当にありがとう、相沢くん。部屋まで貸してもらって、ご飯まで作ってもらっちゃって……」
「いや、みんなで勉強した方が俺も集中できたし。気をつけて帰れよ」
「うん。じゃあね、相沢くん。また月曜日に」
「陸くん、ごちそうさまぁ〜」
「りく先輩、バイバーイ!」
手を振って夜の帳が下りた住宅街へと去っていく三人を見送り、パタンと玄関のドアを閉める。
鍵をかけ、深いため息を一つ吐き出した。
一気に静まり返った部屋。さっきまでの賑やかさが嘘のようだ。
「……ふぅ。どっと疲れたな」
リビングに戻り、ローテーブルの周りを片付けようとして――気づく。
「……ん?」
違和感の塊が、あちこちに散らばっていた。
まず、ローテーブルの端。
淡い水色の、手触りの良さそうな薄手のカーディガンが畳まれてちょこんと置かれている。胸元には控えめな刺繍――水瀬さんのものだ。肌寒い時に羽織っていたはずだが、上着を忘れて帰るなんて普段のあいつならあり得ない。
次に、ソファの足元。
ピンク色のキャラクターが描かれた、細長いペンケースが転がっていた。ファスナーにジャラジャラとキーホルダーがついている、めいの筆箱だ。学生が週明けからテストだというのに、筆箱を置いていく奴がどこにいる。
極めつけは、テレビ台の横。
昼間に凜乃先輩が持ってきていた、大きめのタッパーと可愛らしい花柄のハンカチ。あんなに目立つタッパーを丸ごと忘れるか普通。
「……あいつら、わざと置いていきやがったな」
無意識のうっかりなら一人くらいだろうが、三人揃って綺麗に私物を残していくあたりわざととしか考えられない。特に水瀬さん。これが決定的だ。
「ったく……」
俺は苦笑いを零しながら、ポケットからスマホを取り出した。
まずは一番あり得ない忘れ物をした優等生へ。
『水瀬さん、カーディガン忘れてるぞ。夜道冷えるだろ』
送信して数秒。ほとんど既読スルーの隙もなく、即座に返信が届いた。
『あ、本当だ! 全然気づかなかった……。今度取りに行ってもいいかな?』
「絶対気づいてただろ……」
思わず画面にツッコミを入れつつ、次は後輩のアカウントを開く。
『めい、筆箱落ちてるぞ。月曜からテスト本番なのにどうやって受ける気だ』
ピコン、と軽快な通知音。
『わぁっ! めいの相棒が! りく先輩の部屋に運命を感じて居座っちゃったみたいです! 今度お礼のプリン持って回収しに突撃しますねっ!』
「突撃するな」
そして最後は、のんびり屋の部長へ。
『先輩、タッパーとハンカチ忘れてますよ。洗っておきますけど』
少しの間を置いて、ほわほわとしたアザラシのスタンプとともに返信が来た。
『あ、忘れちゃったぁ。陸くん、今度タッパー回収ついでにご飯作ってあげよっかぁ?』
「……」
画面を見つめたまま、俺は思わず頭を抱えた。
誰一人として「月曜日に学校で返して」と言わないあたり確信犯だ。
ちなみに月曜日それぞれにちゃーんと返してやった。




