㊲ 商店街が再び!
昼下がりの日差しが石畳を柔らかく照らす中、俺たちは赤音島の中心街へと繰り出した。昨日の買い出しとは違い、時間に追われない散策は驚くほど足取りが軽い。ルンルン気分で歩いていたらおもっくそ転んだ。
「り、陸くん!?」「せんぱい!?」「りくくん!?」「……ばか」
「は、ははっ、浮き足立っちゃったみたいで」
ドジった。ガチで恥ずかしい。恥ずかしすぎて顔から火が出てしまいそうだ。
どれだけ足取りが軽くても筋肉痛なのを忘れてはいけない。
服についた砂埃を払っていると、左に葵、右にめい。という布陣で腕をがっちりホールドされた。
まあ確かにこれだと転びようがないが……ないが……
「歩きづらいって」
「こうでもしないと転んじゃうよね?」「よちよーち。りく先輩はめいがついていてあげますからねー」
俺は赤ちゃんか何かか。
「凜乃先輩助けてくださーい」と救いを求める。
「うふふっ。みんな仲良しさんだねえ」
ダメだ。この人だけ見ているものが違う。
昨日よりも時間がかかって二十分ほど歩くとようやく商店街が見えてきた。
「わあ、見てください! あそこのお肉屋さん、揚げたてって書いてありますよ!」
めいが真っ先に指を差したのは、昔ながらの佇まいを残す精肉店の店先だった。俺の腕なんてぽいっと放り出して肉屋さんに行ってしまった。まあめいは花より団子。男より肉ってほうが確かに似合う。
立ち上るラードの香ばしい匂いに誘われ、全員で寄り道をする。
「コロッケ五個ください」
「はいよっ! コロッケ五個ねー! 兄ちゃん女の子四人も引き連れてモテモテだねえ!」
「ええ、はは。ありがとうございます。あ、これお金です」
「四百円ちょうど。まいどあり!」
元気のいいおじいちゃん店主から紙袋に包まれた熱々のコロッケを受け取り、お店の横の空きスペースで全員でハフハフと息を吹きかけながら頬張る。
高温の脂で揚げられた衣がサクッと良い歯ざわりで、口の中に芋甘さと旨味が広がる。揚げ物には絶対ソース派の俺だがこれならソースがなくたって何個でも食べられそうだ。
「あつっ……! でも、衣がサクサクでジャガイモが甘い!」
「お肉の旨味がしっかり染みてて、とっても美味しいねえ」
葵が目を細めて笑い、凜乃先輩もおっとりと頷く。
めいは早くも二口目で中身をこぼしそうになって楪に「ちょっと、服汚さないでくださいよ」と小言を食らっていた。そんな賑やかなやり取りを眺めながら歩く時間は、昨夜の冷たい海が嘘のように長閑だった。
商店街の路地を抜け、少し坂を登ったあたりで、蔦の絡まるレンガ造りのこじゃれたカフェを見つけた。
カランコロンと心地よいベルの音を響かせて中に入ると、店内はどこか懐かしいレトロ調の落ち着いた空気に満ちている。
テーブル席に腰を下ろし、名物だという厚焼きのパンケーキを注文した。
しばらくして運ばれてきたのは、絵本から飛び出してきたような見事なきつね色のパンケーキだ。じわりと溶け出すバターと、たっぷりとかけられたメープルシロップの甘い香りがテーブルいっぱいに広がる。最近流行のふわふわスフレパンケーキではなく、絵本のネズミだかモグラだかが焼く片目のパンケーキだ。ふわふわも美味いが俺はこっちのほうが好きだ。
「おいしそう……!」
「ナイフ、入れるね」
葵が嬉しそうにフォークとナイフを動かし、湯気を立てる柔らかな生地を器用に一口大へと切り分けていく。
その甘い光景に頬を緩めつつ、俺は何気なく視線を店内へ泳がせた。
窓際の席に、ふと目が留まる。
そこに座っていたのは、ひとり掛けの席でノートを広げている不思議な雰囲気の少女だった。
ペンを走らせながら、しきりに何事かを呟いている。
――ただの独り言、にしては様子がおかしかった。
誰かの言葉に頷くように小さく相槌を打ち、時に困ったように眉をひそめ、時に楽しげに笑いながら言葉を返している。まるで、空席のはずの向かい側に誰かが座っていて、ふたりで親密な会話を交わしているかのような、滑らかすぎるやり取り。
……世の中、いろんな奴がいるんだな。
勝手な偏見で申し訳ないが、こういう島って特有雰囲気というか、不思議な空気があって、怪奇現象に近い何かがあっても不思議じゃあないと思っている。まあそっちのほうが夢もあるしな。
うんうん頷いていると、ふわり、甘いメープルの香りが目の前を塞ぐように近づいてきた。
フォークの先に刺さった、ふっくらとしたパンケーキの小片。
そして――それを持つ手の主へと視線を戻す。
「ほかの女の子見てちゃ、だめだよー」
葵だ。
少しだけ唇を尖らせて、悪戯っぽく、けれどほんのり拗ねたような光を瞳に宿らせた葵が、フォークを差し出したままじっとこちらを見つめていた。
「すまん、ちょっと考え事をしていてな」
「ふーん。まあいいけどね。どれだけよそ見しても、陸くんは私だけ大好きだもんねえー?」
勝ち誇ったように言ってのけた葵だったが、言ってて恥ずかしくなったのか、つーんっと澄ました顔がみるみるうちに耳まで真っ赤になっていく。
自分で爆弾を投げて自分で被弾している姿がたまらなく愛おしくて、俺は口元を緩め、フォークの先のパンケーキをパクリと咥えてから、はっきりと言葉を返した。
「ああ。俺は葵が大好きだ。葵だけを愛してる」
「っ……!」
フォークを持ったまま、葵が両手でカッと熱を持った顔を覆って小さく身もだえする。あまりの照れっぷりに、こっちまで恥ずかしくなってしまう。
だが、そんな甘い空気を許すはずもない輩が約一名、テーブルの斜め向かいにいた。
「うぅ……めいとは遊びだったんですね」
ジト目でじーっと俺を見つめながら、燃料もないのにわざわざボヤを起こそうとしてくるめい。両手を目元に当てて、わざとらしすぎる泣き真似を披露している。
「遊びも何も。そもそもが何もないだろ」
「先輩ひどい!」
「そうやってからかうなら、もっともらしい理由のひとつやふたつ用意しとけよ」
「あるんだけどなあ……」
めいはわざとらしくため息をつき、テーブルの端でアイスティーのストローをくるくると回してみせる。
「ほら、昨日の海とか! あんなに激しく水を掛け合って、めいにだけあんな必死なお顔を見せてくれたのに……! あの熱い視線は全部ウソだったんですかー!?」
「ただの小学生レベルの水の掛け合いをドラマチックに脚色すんな」
「めいさん、それ以上お姉ちゃんを煽るようなこと言わないでください」
横から冷ややかな視線を向けたのは、自分のお皿のパンケーキを綺麗に切り分けていた楪だった。フォークを握りしめ、ジト目でめいを牽制しつつ、チラリと俺のほうへも鋭い視線を寄越してくる。
「大体、相沢の好意なんてゴミ同然なんだから、そんなもん受け取らなくて正解よ。……でも、お姉ちゃんを本気で泣かせたら絶対に許さないから」
「泣かせるわけないだろ。……あと好意をゴミ扱いすんな」
「うふふ、みんな仲良しで何よりだねえ」
凜乃先輩はといえば、生クリームをたっぷり乗せたパンケーキを幸せそうに頬張り、完全に我関せずといった様子で微笑んでいた。
顔を覆った指の隙間から、まだ赤みの引かない瞳で葵が上目遣いに俺を覗き込んでくる。
ふわりと目が合い、二人して小さく吹き出した。
ふと、さっきの窓際の席へ目を戻してみる。
ノートを開いていたあの少女は、いつの間にかバッグを肩にかけ、空席に向かって「じゃあ行こうか」と小さく微笑みかけてから、足音も静かにレトロな木製ドアを押し開けて出ていくところだった。
誰かと生きる世界が、人それぞれにある。
目の前で騒がしくパンケーキを奪い合う仲間たちと、恥ずかしそうにフォークを握り直す大好きな彼女。
甘いメープルの香りに包まれながら、俺は改めて、この賑やかで温かい自分の居場所を噛み締めていた。




